アクエリアンエイジ フラグメンツ〜調和の杯〜

断片2「黒幕、再臨」

「ご免!」
 桜崎翔子は伊勢あかりをかばって間に飛び込んだ。紐でくくった麻雀牌を懐から取り出し、膝立ちになって構える。

 この妖気は最近知ったばかりだ。WIZ-DOM。西洋の魔女たちが発する青い妖気。
 しかしなぜだ。
 斎宮に仕える巫女から、魔女の妖気が出ている!?

 呪殺が飛んでくる――かと翔子は思った。

 だが、睡蓮(すいれん)が狙ったのはあかりの命ではなかった。
 彼女が指さしたのは鏡だった。
 あかりの手にあった鏡が、ふいに、あかり自身を拒否するかのように小さな衝撃を発した。
「痛っ」

 あかりが手放した鏡は、落ちることなく宙に浮いたまま、ぶくぶくと泡立ち始めた。まるで固体のまま沸騰しているかのように。
 そうして広い部屋の中央の中空で、グロテスクにふくらみ、体積を膨張させつづける……。

「睡蓮……」
 あかりは、きつくひきむすんでいた唇をひらいて、そうつぶやいた。
「神智の魔女、スイレン・オクリーヴとおよびください。あかり様」
「私を見捨てるのね、睡蓮」
「結果的には、そうなってしまいますでしょうか」
「最初からそのつもりだったの?」

 睡蓮……魔女スイレン・オクリーヴは、膨張して奇怪な物体となりつつある鏡に妖気を注入しながら、少し沈黙した。

「いいえ」
 長いまつげが、翳る。
「私は宮さまにお仕えする忠実な巫女でございました。そうでないもう1人の私が生まれたのは、ごく近日でございます。遠く魂の奥底から、目覚めて真の主に仕えよとの命を聞きました。私は魔女……目覚めよ……その声に抗えなくなりましたれば」

 おゆるしあれ。

 若い“魔女”は、小さくつぶやいた。

 乾いた破裂音がした。
 中空に浮かぶ、膨張しつづけていた異形物体に亀裂が走った。
 次の瞬間、光条が発散され、物体が砕け散った!

 そこには――
 膝を抱えた子供が浮かんでいた。まるで繭から生まれたように。
 男の子だ。
 子供だった。伊勢あかりも小さいが、そこに現れたのは明らかな男児だった。
 大時代な、ヨーロッパふうの宮廷服を着込んでいる。
 身体から、神々しいような、微光が放たれている。

 子供は、宙に浮いたまま、ゆっくりと身体を伸ばした。
 そして、急に目を開いた。

 あどけない、やわらかい笑顔。

「やあ」

 と、子供は言った。

「オクリーヴ、ひさしぶりだね」

 スイレン・オクリーヴは膝をついて、こうべをたれて言った。
「初めてお目もじいたします」
「私は君の祖先にエリクシーを与えたのだよ。だから初めてではない。魂の継承を信じるのならね」

 そして子供は、伊勢あかりのほうに向き直った。

「初めまして。日出づる国の太陽の巫女よ」
「どなた?」
「ご存じかどうか。私はセント・ジャーメイン。……この国ではサン・ジェルマンと言ったほうが通るのかな」
「サン・ジェルマン伯爵……。WIZ-DOMの不死の怪人。“死神を欺いた男”!?」
「光栄のいたりだね。その通り」
「有名人なんです?」桜崎翔子が攻撃態勢をとったまま訊く。
「人の子の身でありながら2千年を生きていると自称する伝説的な人物よ。この10年で3回は死んでいるはずなのに……」
「死になどしないよ。肉体を捨てて次元を移動しただけなのだ。ま、ややこしい場所にひっかかってなかなか戻ってこられないこともあるのだけれどね。今回は太陽の重力ひずみに囚われてしまって大変だった。だから帰還には太陽の力が必要だった。おかげさまというわけだよ」

「何が目的なの?」

 伊勢あかりの髪に飾られた鈴が鳴った。

「あなたはWIZ-DOM教皇庁ももてあますはねかえり者。地上に現れたら最後ろくなことはしない。WIZ-DOMの魔女たち自身があなたを異界に追放したことも二度三度ではない。何を企んでいるのですか?」

「君を勧誘しに来たのだよ」

 サン・ジェルマンは微笑した。

「超人・霊能・魔女・怪物・異次元人・異星人……。私はね、この6勢力の枠組みをそろそろ壊したいのだよ。私は、私自身が主催する7つめの勢力を組織しようと思っている。それによって、6つどもえの構図じたいが無意味化するようなアンチテーゼを提唱したい。君のようなカリスマが同志になってくれたらありがたいのだがね」
「なぜそんなことを?」
「面白いじゃないか」
「何が?」
「信じていた世界観が揺らいで右往左往する人間たちを見るのがだよ、もちろん」
「できますか、そんなことが」

 サン・ジェルマンは中空から、音もなく床に降り立った。そして、そばに控えている膝だちのスイレン・オクリーヴの金髪を指でもてあそんだ。

「彼女を見ただろう。日本の巫女王、伊勢あかりも認める阿羅耶識の霊能者だ。にもかかわらず魔女の力を備え持っている。これは本来ありえないことだ。これからは彼女のような異才が次々に現れてくるだろう。時代が変わりつつあるのだよ、斎王」

「まさか」

「バベル計画の崩壊のことは、もう耳にしているだろう。あれの影響だよ。アレクサンドラのレプリカバベルは、全部が失敗だったわけではなかったのだね。6色の力を混ぜ合わせ、新たな人造の神を作ることには失敗した。しかし塔の暴走は、人類の新たな覚醒を誘発したのだ。さしずめ、多重能力(デュアル)といったところか――」

「……」

「アレクサンドラのバベルが成功していたら、そこから生まれ出た“超越者”が中心となって、新たな世界の枠組みが創造されたことだろう。でも、それは駄目になってしまった。だから代わりに私が、新世界の枠組みを作ってあげるのだよ。多重能力者は我々覚醒した人類たちよりも、さらに一段階覚醒した人類だと評価できる。なぜなら存在自体が、すでにして現行の枠組みを破壊しているからだ。私と彼らが作る第七王国は、他の勢力の打破を目指すのではない。勢力の境界線をくずし、すべての能力者たちが、ゆるやかにひとつに統合されていくことになるだろう。……どうだろう、新しいと思わないかい?」

「あなたが」

 伊勢あかりがぽつりと言った。

「あなたがわざとそうなるようにしむけたのではなくて? バベルの計画が失敗しなければ、睡蓮は魔女には覚醒しなかった。その場合あなたはこの世界に帰っては来られなかった」
「いいところに目をつけるね。正解ではないが、あながち間違いでもない――そういうことにしておこうか。さて、プレゼンの時間は終了だ。答えを聞こう。私と一緒に来ないかね」

「まさか。お断りです」

「おやおや。これは不思議だ。こんなところに閉じこめられた暮らしは、まっぴらだ、そう顔に書いてあるのにね。理由を聞いてもいいかな」
「現実的ではないからです。あなたがどんな画策をしようと、いくら造反者が出ようとも、私たち阿羅耶識は阿羅耶識のままです」
「考え方が古いよ。実に古い」

 少年サン・ジェルマンは手のひらでこめかみをそっと撫でた。髪をかき上げると、そこには三日月型の傷跡があった。

「自分の持っている世界観が不変だと思っている。きっと、ダークロアあたりと同盟したことを進歩的だとか思っているレベルだろう。少し失望だな、お嬢さん」

「話がそれだけなら、おとなしく立ち去るがいいわ、サン・ジェルマン伯爵。私はこの宮に穢れが出ることを望みません」

「ああ、そうか。日本のシュラインは死や流血に触れることをひどく嫌うのだったね。なるほど、だから黙って帰してくれるというわけか。オクリーヴ、彼女はああ言っているけれど、どう思う?」
「……御心のままに」
「姫君をさらう悪の魔法使い、を気取るのも一興じゃないかな?」

 突然、サン・ジェルマンの背中から何本もの木の枝が生え始めた。ねじれ、折れ曲がり、枝分かれし、湾曲しながら左右に展開していく。
 その木の枝は黄金色に輝いていた。
 おそらく、純金そのものだ。

 その無数の黄金の枝がしなり、
 一斉に伊勢あかりへと襲いかかった。

「下がって!」
 桜崎翔子は「出てくれ役満ッ!」と念じながら、雀牌の霊力で迎撃する。
 どんな技が出るかは運しだい。ろくな配牌が来なかったら終わりだ。

「え……」

 すごい手応えがあった。
 翔子は自分で驚いた。
「出た……!? 初めて見た、ローカルトリプル。大七星」

 七つの対子が7つの星となり、円形を描いて、翔子の目の前に展開していた。7つ星のある場所に、見えない霊的な障壁が立ちはだかっていた。サン・ジェルマンの黄金の枝は、壁に阻まれて次々と砕け散っていた。

「良い家来を持っているね、実に良い」
 サン・ジェルマンは拍手した。
「褒められて調子に乗るとでも思ったかー。えっへっへーそれほどでもないぞうもっと言えー」
「こんな遊びはどうかな」

 サン・ジェルマンはゆっくりと右手を差しのばした。

 桜崎翔子と伊勢あかりは、信じられないものを見た。

 サン・ジェルマンの右腕の、肘から先が、消えていた

 そして桜崎翔子のすぐ目の前で、空間が縦に裂けていた。翔子が作った霊障壁の内側だ。空中をカッターナイフで切ってめくったみたいになっていた。中は暗闇で、星がまたたいている。
 その裂け目から、サン・ジェルマンの腕がぬっと突きだしていたのだ。

 サン・ジェルマンの腕が、翔子の肩越しに、あかりの袖をつかもうとしていた。翔子は驚いて、とっさに反応できない。

 そのとき――

 伊勢あかりの背後にいた「あの気配」が抜刀した。抜き打ちに弧を描き、伸びてきたサン・ジェルマンの腕をぶっつりと叩き切った!

「――っ!」

 今度はサン・ジェルマンが驚愕する番だった。少年は腕をひっこめた。当然、肘から先はついていなかった。

「何だ!? これは」
「大師さま、ご覧になれないのですか、あれを……」スイレン・オクリーヴが主をかばうように割って入る。
「私には見えない。何がいるのか?」
「あれに触れるのは良くありません。このまま立ち去るのがおんためかと」
「わかった。……お見事だ、斎王・伊勢あかり。ここは一手、君に譲るよ」

 サン・ジェルマンは立ち去る様子を見せた。彼の背後に、先ほどと同じような「空間の裂けめ」ができていた。切れた右肘からは黄金の枝が生え、それが元の腕のかたちに再生されはじめていた。服の袖まで再生されていた。

 少年はその裂けめへと、ごく優雅に足を踏み入れ、たちまち見えなくなった。
魔女、スイレン・オクリーヴがその後に続いたが、彼女は立ち去る瞬間、伊勢あかりに一礼していった。

 空間の裂けめが、剥がれた壁紙を貼るように元通りにおさまり、消えた。

 あとに残されたのは、砕けた黄金の粒と、リアルな少年の右腕の形をした純金のオブジェだった。


  サン・ジェルマン伯爵

サン・ジェルマン伯爵


 18世紀フランスに実在した人物。10カ国語以上を操り、音楽と絵画に才能を示し、伝説では石ころをダイヤモンドに変える能力を持っていたという。歳を取っても容姿がまったく衰えず、不死の丸薬の製法を知り、永遠の生命を得たとも伝えられている。

 公式記録では1784年に死亡したことになっているが、以後2世紀以上にわたって、「肖像画どおりの姿のサン・ジェルマンに会った」という信頼できる証言が続出している。

 次元横断能力を持ち、神出鬼没。
 伝説通りの不死身の存在であるが、肉体を破壊された場合、いったん異次元に離脱し、再生を待たなければならない。このとき次元層の位置が悪いと、なかなか元の世界に戻ってこられない場合がある。

 2千年を生きた結果、退屈をもてあましており、世界に対してさまざまないたずらを仕掛け、右往左往する人々を見て楽しんでいる。

 さまざまな理由から、現世にいないことが多いが、「サン・ジェルマンに心酔する弟子たち」が各地にいるため、彼らを通じて世界に影響を及ぼすことができる。「弟子」たちの中には、弟子であることを自覚しないまま活動している者や、先祖の代から特定の行動をプログラムされている者もいる。

 オカルト思想の始祖として神格化されることがある。19世紀のロシアの神秘家ブラヴァツキー夫人は、サン・ジェルマン伯爵から直接教えを受けた、と自称している。

 
フラグメンツ トップへ戻る

back
AquarianAge Official Home Page © BROCCOLI