アクエリアンエイジ フラグメンツ〜調和の杯〜

断片5「スイカの日」

 桜崎翔子はスイカを持ってきた。

 さるベッドタウンの一角に位置する一軒家。小石川愛美の部屋は小石川家の2階にある。
 日曜日の昼下がり。
 愛美は、藤宮真由美といっしょにテレビをみていた。

 液晶画面のむこうでは、新作映画のプロモーションでトーク番組にやってきた女優の小鳥遊ひびきが、品のいい笑顔とともに近況を語っていた。

「あーあ、ちょっと見ないうちに、私を置いて勝手にこんな美人になっちゃってまー」

 藤宮真由美は床に寝転がって海苔せんべいをかじりながら言った。人の家でこれだけ余裕でくつろげる人も、わりとめずらしい……と愛美は思う。

 そんなときに、窓からスイカが急に入ってきた。
 網に入ったまるごとのスイカが、窓のへりから部屋の内側に急にぶらさがった、そんな感じだ。
 それから、バニーガールの耳をつけた緋袴の巫女がひょいと姿を現し、バスケットシューズを脱ぎながら窓をよいしょと乗り越えてきた。

「おみやげでごじゃるなりー」
 と翔子は言った。
「珍しいわね」
 どうしてうちのお客は揃いも揃って窓から入ってくるのだろう、と愛美はいつも思うが、異常な人たちに説明を求めても異常な答えしか帰ってこないのがわかっているので、もういちいち問わない。愛美の机の上には、真由美が履いてきたメリージェーンタイプの革靴が上下ひっくりかえして置いてある。

「すいかー、冷えてるー?」むくりと起きあがって真由美。
「ぬるいっす。ぬるぬるっす」と翔子。
「なんかさー、お札とか貼って一瞬にしてキンキンにしてよ」と真由美。
「そんなんないっす」
「下で切ってくるね」と愛美。
「このせんせーが念力ですぱっと真っぷたつにしたらよろしゅうおじゃろう」真由美を指さして、翔子。
「えー? びちゃっとスイカジュースになるよ。そのジュースはコップの中には一滴も入らないと断言できる」
「包丁で切ってきます。試さないで」と愛美。

 愛美がスイカを持って出ていくと、真由美はテレビのチャンネルを変えた。午後のニュースが、宮島を映し出していた。『重要文化財の厳島神社能舞台から出火、全焼した事件で、広島県警は……』

 真由美はふと、翔子のほうを見て、小さく手招きした。

「翔子、翔子、ちょっといい?」
「なんでござるかみょー」
「ちょっとおりいって話があるんだけど」
「えー、そんな、心の準備が。言うても同性ですし。あ、でも確かに愛があればとか言いますけど。新しい世界に目覚めちゃうとか興味なくもないですけど。でもこういうのは少しずつじっくりとですね……」
「あ、そういうのいいから」
「ハイ……」
「あのね、ちょっとまどろっこしい話になるんだけど」
「まろどっこ?」
「私の知人の、さる人物が」
「はぁ、猿の人物が」
「うん、まあ猿でいいや。私のちょっとした、そう親しくもない知り合いが、個人的にあるものを欲しがっているんだけど、それはどうやらあなたんとこにあるらしいのね」
「私んとこっていうと、阿羅耶識で? 私、阿羅耶識の人じゃないですなり」
「え? そうなの? ほんと? 巫女なのに?」
「どっかの名簿に名前載ってるかもしれませんけど。そこらの神社とかお寺とかにふらーっと寄ってゴハンたかったりはしてますけど。じょーげカンケーとかソシキのハグルマとかそういうのがアレなんで、そのへんはうまくごまかしてナニしておりはべり。正式所属してないです」
「あそうなんだ。参ったな」
「ある人物がさる品物を欲しがっていてそれはとある阿羅耶識にあると」
「そう」
「売り買いをしたいと」
「違う」
「違う?」
「“盗みに参上するから、よろしく”だって」
「は?」

 切り分けたスイカを盆にのせた愛美が戻ってきた。

「何だか怪盗シャ・ノアールみたいな話ね」と愛美。
「世の中普通じゃない人で満ちておりょるなあ……」と翔子。「その人相当な手練れとみた」
「で、盗み出すから、阻止できるものならしてみなさいっていう予告状なの?」と愛美。
「それも違うの」
 と真由美。

「“急いでるから、結界とか警備とか、そういうのしないでくれ”だって」

 愛美と翔子が一瞬停止した。べつに愛美が能力を使ったわけではない。

「何、それ。あつかましい。ただでくださいって言っているようなものじゃない」と愛美。
「まあそうだねえ」と真由美。「ただで欲しいけど、くださいって頭下げるのがいやだから、こういう言い方になっちゃってるんだと思うけれど」
「わけがわからんとですよ」と翔子。「あの、ぶっちゃけそいつ誰なんですか。何でE.G.O.の上のほうから阿羅耶識の上のほうに正式に話しないんです? で、かんじんのお宝はいったい何なんです?」

「第1に」
 と真由美。
「その人物の名前を出すと、阿羅耶識は絶対に協力しない。第2に、上どうしの話になっちゃうと、たぶん紛糾しちゃってラチがあかない。第3に、品物が何かっていうのは、ちょっと説明が難しいからあとまわしにしてたんだけど、今から説明する」



「藤宮のねーさん……」

 真由美が説明しおえると、翔子はあいまいな笑みをうかべて大きく首を横に曲げた。

「ひょっとして、知ってて私に話しました? 今日、たまたま私がここに来ること知ってて待ってました?」
「ぐーぜんだよ」

 藤宮真由美はしゃくしゃく音を立てながらスイカにかぶりついている。

「とにかく、そーいう話があったってことは、偉い人に通してみますけど」
「うん。よろしく」
「でもこの話、私とか阿羅耶識にはぜんせんメリットないですよねー」
「そうでもないよ」
「ありますぅ?」
「藤宮真由美に貸しを作れる」

 桜崎翔子は絶句したあと、ハハハと笑って、

「それは何よりのお宝かもしれませんにゃー。じゃあ藤宮のねーさんも、そのぶんお友達に貸しを作って帳尻合わせてるわけでごじゃるな」

 真由美は嫌な顔をした。

「友達じゃないよ。あれは敵」皮だけになったスイカを盆において、ふたつめのスイカをとる。「今度会ったらそれがあいつの命日」

 テレビはいつのまにかアイドル番組に変わっている。

「あ、この子、私好き。ちょーかわいい」

 真由美がモニターを指さした。
 最近たてつづけにヒット曲を出したジュニアアイドル「ミコト」が、フリルのたっぷりついたワンピースの舞台衣装をひるがえして踊っていた。

 愛美が愕然として、
「あー、真由美、もしかしてとは思ってたけどやっぱりアナタ、あれなの、同性にたいしてどーにかしちゃう感じの!?」
「ちげーよ」

 アゴに手を当てて「んー」と唸っていた桜崎翔子が、ふいにこんなことを言った。

「私にはこの子、男の子に見えますけどにゃー」

「えっ、何それ?」と真由美。
「だって体型とか棒ですし、ちょっとしたしぐさとかが男の子の匂いですなり」
「棒な女の子だって普通にいるじゃん。ていうかこんなかわいいのが男なわけないじゃん」
「むしろこんなかわいい子が女の子なワケないでござる」
「え、何その理屈」
「最近ではそうなんですよ」
「いや、いやいや、どうみたって女じゃん」
「いえいえ、どうみたって男でおじゃる」

 小さな口で、スイカの切り口を削るようにちまちま食べていた愛美が、何の気なしにぽつりと言った。

「両方ついてるんじゃないかな」

 真由美と翔子がギョッとして、同時にふりむいて同時に言った。
「え? ついてる?」


     ☆


 チベットの山中。

 明度のたかいガラスをふんだんに使った、ブルボン王朝ふうの豪奢な屋敷が、切り立った崖のふちに建っている。

 人里をはるか離れた場所であるため、チベットにフランス建築が建っていても、ミスマッチには感じられない。
 ただ、森林と岩肌と空。自然の産物たちの中に、ぽつりと人工美があるというだけだ。

 異界の怪人、サン・ジェルマン伯爵の館である。
 だが、そのことを知る者はいない。
 こんなところに館など、つい先日までありはしなかったのだ。それどころか、この山には、道すら通ってはいないのだ。

 しかし――

 この屋敷に、ふらりと近づいていく人影が、ひとつ。

 道なき道。草と森と地形にはばまれた天然要害を、まるで苦にもせず、笑みすら浮かべて近づいていく人物がひとり……。



 クラシカルな邸宅に明らかに不似合いな、ハイテク機器で満たされたセキュリティルームに、けたたましい警報が鳴っている。

「ちょっ、侵入者!?」

 サン・ジェルマン邸の警備を拝命している、もとイレイザーの竜参謀ィリールァが、音を立てて立ち上がる。
 ありえない。この屋敷には、そもそも近づけないようにできているのだ。次元をずらしてあるし、うっかり迷い込んだとしても、彼女が放った異世界の獣たちの餌食になるだけだ。それなのに……。

 ィリールァは屋敷の外へと駆けだした。
 ホールをつっきって、正面玄関から外に出る。

 まばゆい昼の光の中に、人が立っている。

 美女だった。

 ロシアンブルー色のまっすぐな髪は足首ほどまである。
 ケープつきの外套の下には、肌にぴったり貼りつくような、ひどく布地の少ない衣装。
 絵に描いたような、妖艶。

「私の竜たちをどこへやったの?」とィリールァが言った。

「火の玉に焼かれたり、雷電にうたれたり、単にふたつに裂かれたりだ」と女が答えた。「みな死んだ」
「私はロード・サン・ジェルマンに仕えるィリールァ。大師の領域を侵すあなたは何者なの?」
「なるほど、魔法に開眼したドラグーン族というわけか」
「名乗りなさい」
「私はステラ・ブラヴァツキだ。それ以上は必要あるまい」
「黒魔導師ステラ・ブラヴァツキ――」
「いかにも。――汝は知るや、その意味を」

 ィリールァは戦慄とともに叫んだ。

「黒魔女ステラが死の印を刻みに来た――!?」

 ィリールァは身震いした。怖ろしい。怖ろしい怖ろしい怖ろしい。
 目の前にいるのは死そのものだ。
 生身のままで勝てるわけがない。

 ならば……。

 ィリールァの身体がふくらみはじめた。手は長く、胴も長く。白い尾。身体中に純白の羽毛が生え始める。屋敷と同じくらいの巨体に変化していく。
 背中からはいくつもの昆虫の羽根が生え始める。

 イレイザーのドラグーン族の秘儀。竜体変化――ドラゴンチェンジ。

 いまや彼女は、一匹の、純白の巨竜だった。
 白竜ィリールァが、天に向かって吼えた。
 ガラスが痛々しい音をたてて震える。

「む……これは困った」
 ステラ・ブラヴァツキがうつむき、つぶやいた。

 白い竜はのけぞりながら大きく息を吸い込み、
 純白に輝く炎の息を吹きかけた!

 炎はまるで蛇のようにステラの身体を巻き込み、からみつく。

 わだかまった炎が、ふいに消える。

 そこには無傷のステラが、涼しい顔で立っている。

「実に困った。竜の牙のコレクションが、また増えてしまうじゃないか」

  ミコト

アクティブ・アイドル“ミコト”

エンジェリック・アイドル“ミコト”


アクセンチュアル・アイドル“ミコト”

 突如出現し、音楽界を席巻したアイドルシンガー。
 アマチュアでの音楽活動の実績はいっさいなく、デビュー以前の経歴も謎につつまれている。本名、年齢、出身地等、まったく明らかにされていない。
 写真週刊誌がその正体をつかもうと追っているが、はかばかしい成果はない。

 実体が存在しないバーチャルアイドルではないかという噂すらささやかれている。

 トマトが苦手。


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