アクエリアンエイジ フラグメンツ〜調和の杯〜

断片6「返し矢」

 光あふれるガラスの回廊を、ステラ・ブラヴァツキが歩いていく。

 ふと、彼女は足を止める。

 ふらりと。
 曲がり角の死角から、和装の若い女が現われ、ステラを見据えて立ったからだ。

「ステラ・ブラヴァツキどのとお見受けいたします。私は能楽師、塩津清良。ゆえあってサン・ジェルマン閣下に身を寄せる食客でございます」
「それで?」
「先に、竜が一匹、お出迎えにあがったはずですが?」
「ああ、それなら」

 突然、回廊の一角が砕け飛んだ。外から何か巨大な質量が、斜めに落ちかかってきて、屋根と壁を押しつぶしたのだ。

 それは白い竜の巨体だった。

 白竜ィリールァの頭部が、意識を失って、回廊に半ばつきささるようにぐったりと横たわっている。

「乱暴なことを……」塩津清良が眉をよせる。
「ゆきとどいた挨拶に返礼をしたまでだ」
「当館の主は、あなた様にこの先には進んでいただかぬよう希望しております」
「帰れというわけか」
「いいえ、違います」

 塩津清良は微笑した。

「サン・ジェルマン閣下はあなたを捕らえて連れてこいとの仰せでした」

 塩津清良は、一拍、力強く床を踏み鳴らした。

 そのとたん、空気が凍りついたようになり――
 ステラ・ブラヴァツキは金縛りにあった。

「邪悪封じの足拍子――。あなたは一切の身動きを禁じられ、一切の妖術を封じられました」
「なるほど……。これは動けん。指も動かん」

 ステラ・ブラヴァツキはさらりとその事実を認めた。

「さて、それではあなたを主の間にお運びいたしましょう。あやしの術など使おうとは思いませぬように、妖術師どの。無駄な努力でございます」
「たしかに、これでは魔法は使えぬな」

 ステラ・ブラヴァツキは笑っている。

「だが、すでに完成している魔法は関係ないのだろう?」

 突然。
 巨大な岩の塊が横殴りに、回廊につっこんできた。まるで隕石が横に飛んできたようだ。
 その岩は人の手の形に広がり、塩津清良の身体をつかみとった。

「命を与えられた土塊よ。岩の巨人ヒュージゴーレムよ。邪魔者をすりつぶせ」

 回廊につっこんできたのは岩でできた巨人像の手だった。ガラスの廊下のすぐ外に、裸の女をかたどった巨大なゴーレムがいて、塩津清良を握りつぶしたのだった。

 いや――
 その握りつぶそうとした巨大なこぶしが、内側から押し開かれていく。

 腕力などなさそうな塩津清良が、怪力を発揮して、巨人の指を押し広げていた。
 塩津清良の顔に、鬼の面がかぶさっている。

 全身から奇怪な炎を放ち、塩津清良は獣のような声を上げた。

「おや、身体が動く」
 と、澄ました顔でステラが言った。
「さすがに、鬼に変じて鬼封じの力を発揮することはできない道理だな。わが娘よ、ヒュージゴーレムよ、真実の刻印が摩滅するまで、その女と遊び続けるがよい」

 そしてステラは、つかみあう1人の女と1体の巨人を置き去りにして、自分の足で悠々と回廊を進んだ。


     ☆


 黒檀でできた両開きの扉は、勝手に開いた。

 ステラがその部屋に足を踏み入れると、そこには金髪の若い魔女がひとり立っていた。
 その奥に、ビロード張りの紫色の玉座があり、紫のブラウスを身につけた少年がくつろいだ様子で腰かけていた。

「久しぶりだな、サン・ジェルマン君」
「久しぶりだね、ブラヴァツキー」

 魔女スイレン・オクリーヴが両者に割って入り、
「控えなさい黒魔女、大師の御前で……」

「おまえは少し黙っているが良い」

 言ったのはステラ・ブラヴァツキだった。とたん、スイレンの周囲に土星の魔法陣が浮かび上がった。魔法陣が青い輝きを増し、燃えつきるように消えると、スイレンはその場にくずおれて気を失った。

「やれやれ、妹弟子にひどいことをする」とサン・ジェルマンは言った。

「おまえの弟子になったおぼえはないな、サン・ジェルマン君」とステラ。

「弟子にしたのだよ。私はむかし、君の先祖のブラヴァツキー夫人に真実を見通す目を与え、そのかわりに彼女とその一族は子々孫々にわたって私に仕えるという約束をしたんだ。ブラヴァツキーの一族はすべて私の弟子だ」
「私が仕える相手は、私の真実のみだ」
「そうかな? 私がその気になれば、君の自由意志を奪うことくらい簡単なのだよ」
「できるものなら、やってみるがいい。どうした、今すぐやってみたらどうだ?」
「できれば、君には自分の意志で私の同志になってもらいたいからね。手駒が足りないんだ。私には自分の頭で考えられる駒が必要で……」

 ステラ・ブラヴァツキがあざ笑った。

「見えすいたごまかしはよした方がいいな、サン・ジェルマン君。おまえにはできないのだ。私を支配できるはずなのに、なぜかできないのでとまどっているのだ」

 サン・ジェルマンが押し黙った。

「実はその通りなんだ」少年は認めた。「ブラヴァツキー夫人との契約は有効のはずだ。私は、自分が異次元に追放されたりした場合、そのつどブラヴァツキーの後継者たちが再召喚してくれるようプログラムしていた。本来は君が私を復活させる手はずだったんだ。しかしなぜだ? 私の命令が君に通じないように妨害している者がいる。それは誰なんだ?」

「私自身に決まっているだろう?」

 とステラは言った。

「私は命令されるのは嫌いだ。確かに異次元からおまえが干渉してくるのを感じたことがある。が、そのつど自分で却下してきただけだ」
「そんなばかな。そんな力は」
「私にはあるのだ。何しろ魔法使いだからな。さて、世間話はこれくらいにして、用件を済まそう」

 ステラの口元が邪悪そうに微笑んだ。

「おまえはWIZ-DOMの裏切り者だ」
「ふふ、裏切り者には黒魔女が死の印を刻みに来るというわけだね」

 サン・ジェルマンは、何の脅威も感じていない風情で、玉座から立ち上がった。

「けど、どうやって私を殺すつもりなのかな? 君たちは何度も試しただろう? どんな魔法の武器も、私には決して届かない。そういう守りを固めたのだからね。異次元送りの魔法で追放しようにも、あと10年は星の位置が揃わないはずだ。私は不死身なんだよ」

「そのための道具を持ってきた」

 ステラは、外套の中から、脚のついた杯を取り出した。杯は不思議な金属でできており、ときおり透明になったり、虹色に輝いたりする。

 サン・ジェルマンが興味深そうにつぶやいた。

「それは……聖杯かね」
「その通り。といっても、レプリカだが。しかし奇跡の力はきちんと宿っている。私がいま、いちばん必要としているものを、聖杯はこの場に取り寄せる力がある」
「何を取り寄せようと無駄だよ。神話の槍グングニル・スピアーだって、私には届かない」
「サン・ジェルマン君、おまえは確か日本かぶれだったな。日本の魔術に“返し矢”というのがあるのだ。射られた矢を奪って、射返せば、その矢は必ずもとの持ち主に当たるのだそうだ」

「ほう、それで?」

 サン・ジェルマンは初めて嫌な予感をおぼえた。

「そしてこれが――さる少女に対して、おまえが射た矢というわけだ」

 ステラ・ブラヴァツキは聖杯の中に手をつっこみ、黄金色に輝く物体を取り出した。

 それは、純金そのもので形作られた……サン・ジェルマンの右腕だった。


     ☆


 伊勢あかりは、御幣としめ縄で封印しておいたはずの金の右腕が、なくなっていることに気づいた。

「まあ、では、泥棒さんはちゃんと持っていってくれたのね」


     ☆


「どんな武器も、どんな魔法もおまえには当たらないと言ったな、サン・ジェルマン君」

 金の腕が光を放ち、変形しはじめた。腕の形を失い、細長く伸び、6本の短い枝が生えた。ステラの手の中で、いつのまにかそれは、黄金の七支刀に変わっていた。

 ステラは言った。

「だが、おまえ自身からおまえを守るすべは、用意してあるのかな?」

「待て、ブラヴァツキー、考え直せ、私の同志になるんだ!」
 サン・ジェルマンの顔には明らかな怯えが浮かんでいた。
「新たな時代を作るんだ! 勢力の壁を崩し、いくつもの能力を備えた新たな……」

「申し訳ないが」

 ステラ・ブラヴァツキは首を振った。

「ラーメンと寿司を一緒に出す店で食事をする気にはなれないのでね。サン・ジェルマン君」

 魔女は黄金の七支刀を大きくふりかぶり、「コトダマ」を発した。

「この矢は必ず当たる」

 そして槍投げの要領で勢いよく投げた。

 七支刀の切っ先はサン・ジェルマンの胸の中央に音もなく食い込んだ。
 次の瞬間、彼の胸に「次元の裂け目」ができた。少年の身体に、縦に大きな亀裂が走り、亀裂の奥は星々がまたたく宇宙だった。
 まるで、自分自身をくるりと裏返すように、サン・ジェルマンは自分の身体に開いた穴に吸い込まれていった。黄金の刀も、一緒に消えていった。



 杖でつつかれて、スイレン・オクリーヴは目を覚ました。

 身を起こすと、目の前の人物を見上げた。黒い外套に身を包んだステラ・ブラヴァツキが立っていた。他には誰もいなかった。

「まだサン・ジェルマンへの忠誠心を感じるか?」

 スイレンは首を横に振った。

「いいえ……。今は……。でもさっきまではあれほど……」
「よろしい。それは遺伝する呪いのようなものだ。やっとまともに話が通じるな」
「はい」
「さて。スイレン・オクリーヴ。黒魔女ステラが汝に死の印を刻みに来た」

 スイレンが怯えて身を固くする。

「と、言いたいところだが。私は斎王と取引をしてしまったのだ。“返し矢を提供するかわり、スイレン・オクリーヴの命を取るな”だそうだ」
「私を殺さないのですか?」
「そうだ。約束だからしかたがない。どこへでも行くがよい。……いや、待った。言づてを預かっている」
「言づて?」
「“その気があるなら、帰ってきなさい”以上だ」

 スイレン・オクリーヴは、目を伏せた。「あかり様……」

「斎王宮に戻るのかね」
「いいえ……あそこには戻れません」
「さもあろうな。では、いずこへ?」
「わかりません。それがわかるまで、地を彷徨います」
「よき答えだ。さらば」

 ステラ・ブラヴァツキは立ち去った。

 スイレン・オクリーヴはしばらくへたりこんでいた。屋敷の壁ごしに、夕暮れの気配がしていた。いくつかの親しい霊魂たちが、おそるおそる部屋に入ってきて、そっと彼女に寄り添った。

 スイレン・オクリーヴは立ち上がり、霊の友人たちにほほえみかけた。その後、彼女の姿を見たものはいない。

  ィリールァ

魔道ドラグーン“ィリールァ”

 イレイザー艦隊、参謀本部の高級士官。
 いくつかの戦闘で大きな戦果を挙げ、次世代のニューリーダーと目されていた。
 が、本人としては「目の前に来た仕事を、イッパイイッパイになりながらなんとかこなした」という意識であり、期待されていることに非常に困惑していたようだ。

 イレイザーは、WIZ-DOMとの間に人材交流を行なっている。
 魔法習得のための研修生としてWIZ-DOMに派遣されたことが彼女の転機となった。

 もともと、魔術の素質を備えていたィリールァは、WIZ-DOMの魔法を学んで本格的に魔法使いとして開花することになる。
 魔法に開眼したのち、サン・ジェルマンのスカウトを受けて、イレイザーからもWIZ-DOMからも脱走。彼のスタッフを務めた。

 彼女の特筆すべき点として、「竜語魔法」が挙げられる。
 これはドラグーン族の肉体と言語野がないと習得も使用もできない特殊な魔法である。が、この魔法の知識は、度重なる激しい戦争の結果、イレイザーのドラグーン社会からは消失してしまっていた。

 サン・ジェルマンは、失われた竜語魔法の知識を有しており、それらはすべてィリールァに伝授された。彼女は宇宙でただ1人の、竜の魔法の使い手である。

 現在は行方不明。


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