アクエリアンエイジ フラグメンツ〜望刻の塔〜

断片1

  腕にずっしりくる鞄を両手で提げて、通学バスのステップを下り、住宅街の坂道を歩いて自宅に帰ってきた小石川愛美が、自分の部屋のドアを開けると、そこには藤宮真由美がいた。

「まなちゃん、どーも」

  セーラー服の藤宮真由美は、ペニーローファーの革靴を両手にぷらぷらさせながら、緊張感のないあいさつをした。

  とすると、玄関からまともに入ってきたわけではなさそうだ。
  気にしてはいけない。
  ここが二階であることも、気にしてはいけない。
  そんなことを気にしていては、きりがないからだ。
  彼女と友達になって以来、会うたびにその思いを強くする愛美である。
  以前、彼女は、真冬に夏の制服で現れたこともあった。
「だって、さっきまで夏休みだったもん」
  と彼女は言っていたが、意味がわからない。……いや、うすうすわかりつつあるのだが、愛美はあえてつきつめないことにしている。
  この人ってば神出鬼没だなぁ……。
  という、それだけである。

  ローテーブルにお茶のカップがふたつ。
  はす向かいになるような位置に、クッションにちょこんと座ったセーラー服姿がふたつ。

「でさあ、これ、おみやげ」

  藤宮真由美は紙袋に入った四角いものを、テーブルの上に押し出した。
  愛美は中身を見た。

「何? ジグソー?」
「うん。パズル」

  愛美はごそごそと取り出してみる。それは有名な宗教画をプリントした1000ピースのジグソーパズルだった。
  図柄は建設中の塔を描いたもので、階段が外周にらせん状に刻まれ、まるでドリルみたいな形をしている。

「知ってる?」と真由美。
「何だっけ、えーとこれ、バベルの塔?」と愛美。
「そう。ブリューゲルのバベルの塔。オリジナルはウィーンの美術館にあるんだけど」
「行ってきたの?」
「んーん、行ってない。でも見に行くことになるかも」
「名画鑑賞かぁ。お嬢さまは優雅だなぁ」
「いやいや、絵じゃなくて、実物のほう」
「え?」

  真由美は「よいしょっと」とかけ声をかけてパズルのシュリンクを勝手に開封し、箱に手をつっこんで適当に1ピース取り出すと、将棋みたいにぱちんと音を立ててテーブルに置いた。

「青いヒトたちがさー」と真由美が言った。
「青い? ああ、WIZ-DOMとかいう人たち……」

  藤宮真由美はWIZ-DOMの魔女のことを「青い」と呼ぶことがある。魔法特有の力の質感が、彼女には青色として感じられるのだそうだ。

「その青いヒトたちが、ルーマニアだかハンガリーだかに、造ってるんだって、ソレと同じもの」
「ソレって?」
「コレ」

  真由美は、置いたピースを指でこつこつ叩いた。少し考えて、愛美は言った。

「バベルの塔を? 建ててるってこと?」
「うん、さっき偉い人に衛星写真を見せられたんだけど……」

  真由美は箱にからまたパズルのピースを手にとって、さっきのピースの右隣にぱちんと置いた。それから続けて言った。

「だいたいこんな感じでぐるぐるしてた」

  ぐるぐるというのは塔の外周をとりまく螺旋階段のことだろう。
  ふと気づいて、おや、と思った。
  真由美が無造作に置いた2枚めのピースは、最初のピースの右隣にぴったりはまっていた。
  あ、そういう遊びか、と愛美は理解する。

「で、上の人からちょっと見てこいって言われたから、明日からちょっと飛んでくるわ」
「へえ……行ってらっしゃい。またおみやげよろしく」
「うん」
「でもルーマニアだかハンガリーだかって、東欧でしょ? 飛行機で1日くらいかかるんじゃない? 乗り換えもあるし」

  愛美は言いながら、箱の中から絵柄も見ずにピースを引き、ぱちりとテーブルに置いた。
  それは最初のピースの左隣にぴったり合った。
  真由美もまた新たなピースをつかみ、ぱちりと置いた。
  愛美が置いたピースの下にはまった。

「いやあ、飛ぶっていっても飛行機で飛ぶわけじゃないから。何しろ私が乗った飛行機は必ず落ちるってジンクスあるし」

  何度も落ちたみたいなことを言う。
  ぱちり。
  ぱちり。
  まるでノータイムで行なう囲碁みたいに、交互にピースが打ち出される。そうしてジグソーパズルが「真ん中から」周辺に向けてできあがっていく……。

「長期の旅行はお醤油持っていくといいよ。あと綿棒」と愛美。
  ぱちり。
「綿棒。あれ必要だよねー、でもいつも持って行き忘れる」と真由美。
  ぱちり。
「何か手伝えることある?」と愛美。
  ぱちり。
「あるある。ちょっとやってもらいたいことあるんだけどー」

  真由美はにっこり笑って言った。
  あ、しまった。
  と愛美は思う。よけいな誘い水をかけたかもしれない。

「斎木インダストリー本社って、場所知ってる?」

  にこにこしながら真由美がそう言った。

「どこだっけ?」
「ほら、何年か前にあっちのほうにできたじゃない。だだっ広いところにドーンて建ってる」
「ああ、SFタワーね」

  斎木インダストリーは斎木財閥系グループの中核企業で、軍事、自動車、工業機械など、あらゆる機械産業を掌握している。「日本経済の中核」とすら言われている。
  近年、郊外の山の麓に広大な土地を購入し、超高層の本社ビルを建設した。その外観デザインがあまりにも空想的なので、半ば揶揄をこめてSFタワーと呼ばれている。

「で、それが何?」
「ちょっとさ、潜入してさ、様子見てきてくれない?」
「え」

  ほとんど「げ」という響きで、愛美は「え」と言った。
  潜入。
  不穏なことをさらっと言う人だ。相変わらず。

「何でまた?」
「……何か嫌な感じがする」
「どんな?」
「“青いの”の匂い」

  藤宮真由美は感覚的な人間なので、説明はさっぱり要領を得なかったが、愛美がなんとか理解したところによれば、こんなことだった。
  先日、彼女が本社ビルに行ったところ、かすかにWIZ-DOMの魔女たちの気配がしたのだ。
  自分で調べたいところだが、大仕事が舞い込んでしまった。
  あいにく、真由美の知り合いに、この手の調べ物が得意な人は少ない。いても忙しい。そこで……

「だからって、なんで私? 斎木重工って真由美ちゃんの伯母さんの会社でしょ? 自分で言えばいいじゃない」
「やだよ、麗名おばさん恐いんだもん」
「そんな理由!?」
「それもあるんだけど……」

  あのビルは真由美が所属する組織“E.G.O.”の拠点。なのにみんなが気づいてないのは明らかにおかしい。“内部にいる人間は気づけない”ことになってる可能性が高い。外部の人間が外の目で調べたほうがいいと思った。

「で、んーっと十秒くらい考えた結果、『まなちゃん、よろしく』という結論に」
「なっちゃったわけですか……」

  愛美はため息をつく。
  真由美はパズルのピースを、ある箇所に無理矢理押し込もうとしていた。うまく入らなくて「んーっ、んーっ」と唸っている。
  愛美はそのピースを奪って、15センチほど離れた場所にぺちりと置いた。

「たぶん、このへん」
「ほおおー……」

  藤宮真由美は箱絵のその箇所をじーっと見つめ、どうやらそれが正しいらしいことを確認して、奇妙な感心の声を上げた。

「凄いなあ、私、こういうセンス系の能力はサッパリなんだよね……。まなちゃんなら1000ピースを5分くらいで作れるんじゃない?」
「5分ではむり。でも10秒くらい目をつぶっててくれるならできる」
「その超レアな能力があったら、ちょっと忍びこんでぱぱっと見てくるくらい楽勝だと思うんだよねー。お願い。私こういうときのための隠し球に、まなちゃんをE.G.O.入りさせなかったんだー」と真由美。

  隠し球。

「んもう、しょうがないなあ」
「やったー、ほんとありがと超ありがと。お礼に、忘れがちなおみやげだけど絶対忘れないから」
「そんなことを恩に着せる気なの?」
「じゃハグしてあげる」
「いりません」
「あそう……」
「それより、入館証とか通行証とか、そのくらい用意してくれてるんでしょ?」
「ないよ」

  と藤宮真由美はあっさり言った。

「ええ?」
「そんなの私も持ってないもん。内通者とか、そういう可能性もあるから、会社側にはまったく話を通してないよ」
「うっそ? じゃあどうやって中に入ったらいいの?」
「だから夜中とかに忍びこんでよ」
「えー?」
「全然大丈夫だよ。ダイ・ハードの主人公にでもなったと思ってさー」
「あの人ろくな目に遭ってないじゃない!?」
「ブルース・ウィリスはふつうの人だけど、私たちは進化した人類なんだよ。鍵とか警備とか何の関係もないよ」
「そうかもしれないけどお……」
「私の知り合いの中では、あなたがいちばん向いてると思うんだ」

  そうかもしれない。いや、確実にそうだろう、と愛美は思う。
  超能力。
  俗な言い方をすれば、そうなる。真由美によれば、愛美に発現した能力は非常に珍しいものらしい。
  考えたこともなかったけど、うまく使えば、「忍びこみ」には確かに都合がいい能力なのかもしれない……。
  と、そのとき思い出したように真由美が言った。

「あと、言い忘れてたんだけど」
「言い忘れないでよ!」
「ビルで嫌な感じがしたとき、青白い人の姿を見た気がする……」

  なんですと?

「ちょ、待ってよ、話ちがくない? なんかそれって、肝試しみたくなってない?」
  すると真由美は、「ん?」という顔をして、あっさりこう言ったのだった。
「肝試しとは違うよ。だって実際に危険がありそうなんだもん」

   

  小石川愛美 こいしかわ・まなみ

小石川愛美

 
  普通の超能力者。念力で相手にダメージを与える、といったE.G.O.系の基礎的能力を使える。ただし、手ほどきをしたのが藤宮真由美であるためコントロールがとっても残念な感じ。
  藤宮真由美のあまり多くない友達の一人。2人の通っている学校は別々。というか藤宮真由美がどこに通っているのか愛美は知らない。
  真由美によって能力を見いだされた。
  まだ組織には未加入。
  他勢力との遭遇戦を何度か経験しているが、その全てをラッキーによって切り抜けている。

  好きなものは笑顔、きらいなものは香水の香り。
  常識的な良い子だが、微妙に食えない性格。
  人の髪の毛を切ってあげるのが、わりと好き。

 
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