アクエリアンエイジ フラグメンツ〜望刻の塔〜

断片2

  建てられて100年も経たない館には住みたくないものだ。

 近頃のニンゲンどもは、新築をことさらに喜ぶという話だ。ものの価値がわからぬにもほどがあるというもの。
  この館の調度品に、新品のものなどひとつもない。買い求めるにしても、必ず使い込まれたものを選ばねばならない。

  高貴なものは、必ず古いのだ。

  あまりにも豪奢で貴重なものであるから、曇りひとつないよう、執事たちが毎日欠かさず懇切丁寧に磨き上げる。使用人は調度品に触れるときいつも手が震える。うかつにも割ったり欠いたりしたら鞭打ちの刑に処される。その恐怖に怯えながら磨き立てた50年100年200年。
  それが価値というものだ。

  そうした「時間の洗礼」を受けたものばかりが置かれた豪奢な居間に、エルゼベートがいた。
  全裸である。
  エルゼベートが全裸で館を歩き回っているのは、珍しいことではない。なにひとつ身につけなくても、彼女には疑いなく王の威厳があった

  燭台のあかい光に、真っ白い肌があやしく照らしだされている。
  エルゼベートは鏡の前に立っている。
  自分の肌の具合を鏡に映して、うっとりとしていた。
  染みひとつない純白の肌。下民たちの悲鳴で磨き上げた、真珠のように艶めく肌。

  と、そのとき。
  鏡の表面が波打つようにゆがんだ。
  中央から周辺にむけて、波紋がひろがり、それがおさまると、鏡面には幼い顔をした夜羽子・アシュレイが写っていた。

「あー、姐さん、またお肌つやっつやになっちゃってまぁー」
  と、鏡の向こうの夜羽子は挨拶もなしに言った。
「姐さんなんてはすっぱな言葉遣いはおよし」
  エルゼベートは自分の腰に手を置いて胸をつきだした。
「最近の子たちったら庶民的で困るわ」
「でた、“近頃の若いモンは”発言」
「何かお言いなの?」
「いえいえ。ごきげんうるわしゅうエルゼベートさま。今日も元気だ生き血がうまいって感じですか」
「そうね。今日、若くて良いのを絞ったから、しばらくは防腐剤ぬきの新鮮な血液風呂が楽しめそうよ。ニンゲンってば生きたまま閉じこめといても血がまずくなるから困るわ。どうしてかしら」
「そりゃ、不健康だもの。やっぱ生きてる子を、その場でそのままちゅっとやっちゃうのが一番美味しいわけでしょう?」
「いやあよ。そんな野蛮人みたいなこと」
「そう? 私は藤宮真由美の血ぃを取れたてで味見してみたいけどなあ。あれは超うまそうだもん。夢に出てきそう……」
「そんなふうに特定の血を吸いたいなんて思うのは子供だからよ。そのうちどうでもよくなるわ」
「そうなの?」
「ニンゲンだって、生きてる牧場の牛をいちいち確かめて、この子が食べたいなんて思わないでしょう」
「いやあ、私まだ若いからそういうのわからないなあ」
「いじめるわよ。剥ぐわよ皮」
  数世紀を生きた古い女吸血鬼は、幼い吸血鬼に向かって、にっこり笑って言った。

  それから彼女は、何か羽織るでもなく全裸のまま、ビロード張りのカウチにゆっくりと腰を落ち着け、脚を組んだ。

「それで? お嬢ちゃん、今日は何のおねだりなの?」
「そうそう、お願いがあってー」

  夜羽子・アシュレイは胸の前で手を組んでしなを作った。

「じつは、“モンスターハウス”が言うこと聞かなくなっちゃったみたいで、いろいろ勝手なことしちゃってるみたいなの」
「ああ、あなたの子分のニンゲンホイホイね」
「姐さんも庶民的な例えを知ってるじゃないですか」

  モンスターハウスは、古びすぎて意志を持つに至った森の中の城館だ。古種族同盟「ダークロア」はこれを配下のひとつとして認め、夜羽子・アシュレイに監督させている。
  要は「最近になって妖化した者どうしで、仲良くやれ」くらいの意味合いである。

「あれはばかばかしいけど可愛いから好きよ。なぁに、壊れちゃったの?」
「そうなの。それで、しつけ直しに行きたいんだけどぉ」
「行けばいいじゃない」
「ちょっと今、手下の人狼が不足してて、昼間の移動ができないんですよねぇ……。それで、マダム・大エルゼベート吸血卿に、人狼をちょいと融通していただけないかなーなんて……」
「飯塚秋緒に頼めば?」
「あの子最近偉くなっちゃって、忙しいみたいで全然つかまらないんですよねぇ……」

  当家もヒトが余っているわけではなくてよ、むしゃくしゃしたときに八つ裂きにするんだから……とエルゼベートは言いかけて、ふと思い当たった。

「そういうことなら、最近拾った子の中に、私の城館になじまないのがいるからさしあげるわ。タダで」
「え!」

  夜羽子・アシュレイはぎょっとした。

「何よ?」
「いやー、あっさりお願い聞いてもらえると思わなかったんで、大雨が降って流れ水が渡れなくなるかなーと思って」
「だって、かわいいお嬢ちゃんの頼みじゃない。えーと、名前何だったかしら、そう、ハチだかポチだか言うんだけど、メスの人狼よ。あなたにお似合いだわ」
「何か裏があるんですよね?」
「そっちに送るから、好きなようになさいな。くれぐれも送り返さないように」
「やっぱ何かあるんだ……」

  何かキナくさいが、背に腹はかえられない。夜羽子・アシュレイはそんな微妙な顔をした。

「ところでぇ……」
  夜羽子・アシュレイは話題を変える。

「おたくの近くでドンガラ音を立てて作ってる、魔法くさいバベルの塔もどき、どうするの?」
「どうもしないわ。めんどうくさいもの」
「『貴女があれを征服しに行くことについて、私は特に反対しない』ってレイが言ってたけど」
「見に行ってこいっていうんでしょ、いやあよ」
「でも、めざわりじゃないです?」
「いい、お嬢ちゃん。吸血鬼は、獲物が迷い込んでくるのを待つものであって、自分から出かけていくのは三下よ。覚えておきなさい」
「えー? じゃあ原宿に出かけていってゴスロリ少女をつまみ食いしたりするのは」
「軽薄よ、そんなの。軽薄」

  奇怪な鏡の通信が終わると、エルゼベートは燭台の火を消した。
  暗闇の中で、ふと考える。

  そういえば、彼女が独自につかんでいるいくつかの情報の中に「藤宮真由美が魔女の塔を調べに来る」というものがあったのではなかったか。

  夜羽子・アシュレイは赤ん坊のような吸血鬼だが、味覚だけは確かなのだ。エルゼベートはそこだけは高く評価していた。
「ふうん……」
  吸血鬼はくちびるを舐めた。
「たまには若い子の真似をしてみるのも悪くないかしらね」



     ☆


「衛星反射砲によるシークエンス・イレイズ終了。……目標、健在なり」

  ロボットのようなオペレーター兵が、ロボットのように報告した。
  銀河女王国連邦、地球方面軍艦隊総司令官ラユューは、かすかに眉をひそめた。それによって額の第三の目が感情的にゆがむ。

  彼女は見た。イレイザーの宇宙艦隊が誇る衛星砲の収束光弾が、魔女の螺旋塔の上空でふいに弾け、四散するのを。
  砲弾の威力は四方八方に分散し、塔の周囲の大地をまるでクレーターのように耕し、しかしながら、塔じたいは何の傷もなく健在であるのを。

「参謀室、献策せよ」とラユューは命令する。

「艦隊突撃によるゼロ距離射撃を進言するものなり」
「複数の要塞砲によるシンクロ砲撃を進言するものなり」
「上陸作戦による内部制圧を進言するものなり」

  ラユューは傍らの総参謀長メタトロンを3つの目で見た。
「どう思う?」
「3番めが上策、2番めは下策かと」
  メタトロンの意見はラユューの判断と一致した。
「よし、上陸作戦を採用する。作戦指令官および装備を提案せよ」

「私が行こう」

  こつこつと足音をさせて何の断りもなく司令室に入室してきた人物が言った。美女のような容貌をした男性。

  それは大天使ジブリールであった。地球に派遣された純粋な天使族の中でも、十指に入る高位な天使である。

「しかし……」
  ラユューは反対しようとしたが、ジブリールは手を挙げて制した。
「いいさ。たまには私も文字通り羽を伸ばしたいのでね」



     ☆



  そのころ。深夜の日本では。
「さて、どうしようかな……」
照明の落ちた無人の斎木インダストリービルに、小石川愛美は、何の問題もなく潜入を果たしていた。

   

  エルゼベート

エルゼベート イラスト

 
  推定年齢400歳の吸血鬼。ハンガリー貴族。
  実はこれでも吸血鬼のなかでは若いほう。出自が高貴なことと、吸血鬼から見てもやることがクレイジーなせいで一目も二目も置かれている。
  まともに彼女の姿を見ると、弱い人間はそれだけで死ぬので気をつけたほうが良い。

  好きなものは処女の生き血と処女の肉。悲鳴を楽しんだあと、肌に傷をつけないようきれいにきれいに殺す。最近、「処女の皮を剥いで、肌を新調するのはどうだろう?」と考えているらしい。
  童貞には興味ない。ざっくばらんに八つ裂き。
  彼女の城館にはとっても素敵な拷問室がある。

  意外なことに、おばさん呼ばわりしても特に怒ったりはしないが、どんな目に遭わせてやろうかじっくりじっくり考えたいだけかもしれない。
  吸血鬼社会ではレイ・アルカードのほうが位が上だが、彼女はレイのことを「何すかしてんの、気持ち悪ーい」と思っている、らしい。

  極星帝国のエルジェベート・バートリとは並行存在どうし。遠くにいても互いに影響しあっている。

 
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