アクエリアンエイジ フラグメンツ〜約束の世界〜

断片5「白い悪夢」


 森の海――樹海と呼ばれていたその領域は、いまや火の海と化していた。

 地上に立っている「それ」は、熱気を浴びながら、まったくそれを苦にしていなかった。
 ほとんど興味なさそうに、ぼろぼろになった弓削遙を地面に転がすと、空を見上げた。実際、こまごまとした個別の生物たちに、「それ」はほとんど興味を持っていなかった。
 ふわり、と足が地面から離れた。
 次の瞬間、見えない大きな手に持ち上げられるように、急速に飛翔した。ここはもう滅んだ。別の場所のかたちあるものに滅びを与えるべきときだ。

 しかし。
 見えない障壁が、「それ」の移動をはばんだ。空中で「それ」は、得体の知れない力に激突したのだった。体は弾き返され、その一瞬に、樹海の上空をドームのように覆う二重の四角形が白銀色に輝いた。
 そのまま地面に叩きつけられた。
 それでも「それ」は無表情だった。


     ☆


「なんて圧力! 頭が焼けそう!」
 四魔道師のひとりイオ・プロミネンスが絶叫した。彼女は同胞の3名とともに、結界の維持に全魔力を費やしていた。阿羅耶識の四巫女と協力していなかったら結界ごとはじき飛ばされていたかもしれない。

 念話が彼女の意識に飛びこんできた。
《よくやった、弟子たちよ》
「ステラ様!」
《作戦を続ける。結界の焦点を絞って締め上げろ。あれを一カ所に固定するのだ》
 レダ・ブロンウィンからの念話が困惑の感情を伝えてきた。
《しかし、あなた様の脱出を確認してません》
《かまわんよ》

 地水火風の四魔道師は結界のかたちを変化させた。四角形に樹海を囲んでいたその形が十字型になる。
 その交点に、宇宙から来たあれがいるのだ。


     ☆


 ステラ・ブラヴァツキは結界が変化するのを感じとると、満足して儀式の続きを始めた。
 彼女の周りには炎はなかった。それどころか樹海だというのに樹木ひとつなかった。彼女を避けるように、真円の空き地ができあがっていた。そしてそこには青白い光でできた、まがまがしい魔法陣がびっしりと描きこまれていた。

「さあ、来るがよい――われはサバトに汝を呼びたり。星からきたものよ星にかえれ!」

 ステラは魔法陣の中央に杖を突き立てた。青い光が空間を満たした。

     *

 そのとき、各国の宇宙観測機関が、それまで存在もしていなかった天体を発見してパニックに陥った。それは天体としては小さなものだったが、地球のごく近くに出現し、地表への直撃コースをとって突き進んできていた。大気圏への突入で質量のほとんどが燃えることは間違いなかったが、残った部分が地上に突き刺さることも間違いなかった。

 衝突ポイントは東アジア、日本の本土中部であった。


     ☆


 空を覆う障壁に弾かれて墜落した「それ」は、見えない力で体を浮かべるようにして立ち上がった。不思議なことに、その表面に土ぼこりはいっさい付着しない。
 魔力の道筋が「それ」を貫くように交差して、そのとたん「それ」の体を強く呪縛した。「それ」の両腕が体に貼り付き、動きを制約されている。
 無表情のまま、体の動きが、かすかに不快を示す。しばし身動きして、呪縛から自由になろうとする動作があった。
 何か気配を感じたのか。
 頭上に視線をやる。
 真昼の空に、白熱色の星が不吉な圧力を伴って輝いていた。視線はその輝きに釘付けになる。
 何者かの攻撃であることを知る。ここに着弾することを認識する。
 空中を移動しようとして、呪縛にはばまれた。
「それ」は一拍、脱力したようにその場に直立し、直後、内圧を急激に高めた。周囲に黒光りに似た力場が構成される。
 力場の内側で高圧化したエネルギーが、突然発散した!

「それ」を縛り付けていた見えない呪縛がはじけ飛んだ。体が自由に動くことを確認すると、空中移動の準備動作を始める。

「させぬぞ!」

 土と血のよごれにまみれた弓削遙が、よろめきながら立ち上がって七枝刀で打ちかかった! それを見もせずに片手でなぎ払うと、再び上空を確かめた。

 迫り来る隕石は、断熱圧縮を起こして先端を赤熱させながら、見る間に大きくなってくる。そこにこめられた魔力の波動が「それ」の表面をびりびりと震わせている。重力が上から来るようなすさまじいプレッシャーが天を覆う。

 再び、ふわりと浮き上がって、足を地から離した。回避するためだ。だが高速移動に移行しようとしたそのとき、足首を何者かがつかんだ。

「まぁ待ちなよ」

 這い寄ってきた、満身創痍の各務柊子だった。すさまじい表情で彼女は笑っていた。


 隕石は光の矢となって、「それ」がいた空間を貫いた。


     ☆


 致死的な爆風。下から掘り起こされ津波と化す大地。激しく舞い上がり大気を靄めかせる砂粒。かなりの時間をかけてそれらが沈静すると、森は消え、砂礫の大地がむきだしになっていた。
「それ」の姿はなかった。

 かわりに、黒曜石のような黒光りする球体が、いくつも宙に浮遊していた。ほとんど質量は感じられず、シャボン玉めいた様子で浮き沈みしていた。
 やがてそれらの球体はひとところに集まり、くっつきあうと、たちまち手足のある形状へと変容した。「それ」は何事もなかったかのように元の姿に戻ったのだった。

「うわああああっ!! おのれッ!!」
 絶叫とともに空から飛び降りてきた者がいた。それはレジーナ・アルキオーネだった。乗っていた竜の鞍から身を投げ出し、落下の勢いをのせて愛剣を振り下ろした!
 続いて同様にカーラ・アステリオンが飛び降りざま打ちかかる。そして最後に、アトランティスの君主、レイナ・アークトゥルスが斬撃に加わった。三振りの剣がほぼ同時に打ち下ろされる!

 3人はそして同時に吹き飛ばされた。
「それ」が蠅を追うようにうるさげに手を振ると、3人の剣士は三方向に分かれて地面に転がされた。「それ」が両手を大きく広げて自分自身を十字架のかたちにすると、体から毒々しい暗紅色のビームがいくつも生じた。紅い光線は蛇のように宙をのたうつと、地面に横たわる三剣士を立て続けにうちのめした。3人は防ぐことすらできずに光線を浴びせかけられるままだ。

「それ」はふと攻撃をやめ、空を見上げる。

 体の周囲が、紅色の力場で球状に覆われた。次の瞬間、三剣士を撃ったのとは比べものにならない大出力のビームが、無数にうねりながら空へ向かって飛んだ。上空で、四巫女が張っていた結界が砕ける音がした。再び、空に向けて同様のビームが放たれた。こんどはさえぎるものなく、天頂に向けて光の柱が立つ。紅い光柱ははるか上空で放射状に分かれた。
 暗い紅のビームはスイカの模様のように地球を覆って飛んでいく。

     *

 そのビームの一条はロスアンジェルスに着弾した。
 別の一条はロンドンに着弾した。
 さらに別の一弾は東京へ。
 香港。
 北京。
 モスクワ。
 ヨハネスブルグ。
 パリ。ローマ。ムンバイ。ブエノスアイレス。シドニー。

 世界の主要都市が、その一撃で、炎上した。


     ☆


 天空にて、仁王立ちに似た姿勢で腕組みをしていた大天使ミカエルが、満足そうにうなずいた。
「素晴らしい」

 もっと近くで見るために、翼をはためかせ、高度を下げていく。


     ☆


 斎木遊名は、万城目千里の遠視能力を経由して、炎上する都内の光景を見ていた。
 万城目が問うた。
「サイコキネシストを災害対応に派遣しますか?」
「そんなことは佳名の仕事だ」
 斎木遊名は一蹴した。
「引き続き全エスパーを本部へ招集。マインドリンクへの参加を。貴女も加わりなさい。もう情報収集の必要はない」
「はい」


     ☆


 藤宮真由美は念動で自分自身を動かし、空中を飛行していく。まともなら呼吸ができなくなる速度だが、体の周囲に不可視の防御殻を張り巡らしているので、髪ひとつ乱れはしない。
 海岸線の地形が、後方に飛びすさっていく。西へ。藤宮真由美は景色にまるで興味を示さない。

     *

 彼女の高速移動を支えているのは、E.G.O.の総本部に集まった数百名のエスパー集団だ。円形のホールに集まった超能力者たちは、同心円状に配置された座席に体をうずめ、祭壇に祈りを捧げるように一様に目を閉じている。
 彼女たちの全員が、藤宮真由美の意識に接続している。そして精神的なエネルギーを供給しつづけている。
 いわばこの場は、巨大なプロペラント・タンク。そして藤宮真由美という戦闘ユニットの外部脳だ。

 シャッターに似た自動ドアが開いて、万城目千里が入室した。ホール中央に近い席を占めた。隣には結城望がいた。
 結城望は状況を問われる前から答えた。
「精神感応をしているのに、真由美さんからの感情をまったく感じません」
「あっちで閉鎖しているの?」
「いいえ、フルオープンです」
「……そうか」
「気持ち悪いです……怖い」
 結城望が自分の感情を自分からはっきり述べるのはめずらしかった。

 万城目千里は自分自身を真由美につないだ。テレパシーで彼女に告げた。
《現地の遠視映像を送る》


     ☆


 万城目千里からビジョンが送られてきた。大きくえぐれた大地に、《ターゲット》が立っている……正確には、立っているような姿勢で宙に浮いているのが見えた。
 白っぽい。羽根がある。手足はあるが、どこかしらぬるりとした質感がある。

 肉眼では、まだ樹海の端が見えてきた程度だ。

 真由美は空中で停止する。

 空に浮かんだまま、胸の前で両手を合わせた。やがて両手の間から、金色の光が生まれる。真由美が手を大きく開くと光は引き延ばされて槍状に変わる。
 いや、最初は槍状だったものは、たちまちそうといえない大きさにふくらんだ。
 全長は100メートルを越えていた。そんな光の杭をふりかぶった藤宮真由美の姿は、まるで巨大飛行船にぶらさがったマスコット人形のようだった。地球のエスパー史上最大のサイコスピア。

     *

「意識を強く保って! サイコスピアの維持に集中して!」
 万城目千里がホールのエスパーたちに警告した。脳への過負荷で、何人かの体が痙攣を起こし始めていた。

     *

 藤宮真由美はサイコスピアを投げた。槍というには巨大すぎるその光の束は大気を引き裂き、分子を電離させ、余波で地面は直線を描いてえぐれた。
 目標に向かってまっすぐに飛んだ。
 着弾を待たずに、藤宮真由美はそれを追跡して飛ぶ。


「それ」は振り向いた。金色の光が向かってきた。暗い紅色のビームが全身から発生し、ねじまがりながらサイコスピアの迎撃に向かった。上方から飛来する金色の光と、下方から迎え撃つ暗紅色の光。ふたつの光がぶつかりあい、相殺されるはずだった。
 ビームはサイコスピアのエネルギーを八割がた削り取った。残りの二割は勢いを止めずにそのまま突き進んできた。
「それ」は移動して避けようとした。
 そのときサイコスピアの速度が急激に上がった。まるで空中で新たな力が加わって投げ直されたかのようだ。

 金色のエネルギーが、「それ」のいた場所を貫通する。

 爆風がおさまり、土埃が晴れると、「それ」の左腕は肩から消滅していた。胸部も半ばえぐれている。傷口に、生物らしい筋繊維や内臓は見られない。ただ黒いシャボン玉じみた粒がばちばちと爆ぜているだけだ。
 痛みの表情はなかった。「それ」は頭上の一点に視線を固定している。



 こまかい電光を発するプラズマの球体を4つ、体の周囲に回転させている、藤宮真由美が無表情に見おろしていた。



各務柊子

各務柊子

 崑崙山を出た後、富士の山中にこもり、独自の修行を続けていた。予言されていた敵がまさにその場に墜落してきたのは、彼女は偶然のなせるわざだと思っている。
 が、何か人知を越えたものの導きが、彼女をそこにいさせたのかもしれない。

 四聖獣の巫女が機転を利かせ、邪悪払いの霊力で彼女を守ったため、ステラの隕石召喚の爆心地にいながらかろうじて生きながらえた。だが、その後の消息はさだかではない。


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