どしゅっ。
鋭い爪が警官の制服を切り裂き、肉を貫き、内臓に達した。
「あははっ。アタシを止めようなんて千年早いよっ」
ショートパンツにタンクトップ。ラフな姿の魔神カーリーは、三つの瞳に侮蔑と哀れみと嘲笑の入り混じった光を浮かべた。
びゅっ。
真っ赤な髪を翻し、腕をひとふりすると、腹部を貫かれたまま宙吊りになっていた警官の肉体が放り捨てられ、床に当たって鈍い音を立てた。
カーリーはそのままゆっくりと振り返る。
アスファルトの上に、彼女が数千年繰り返してきた殺戮の宴の、もっとも新しい痕跡が美しい薔薇の花のように咲いていた。
「う、動くな!」
「抵抗するな!」
「発砲許可出ました!」
拳銃やジェラルミンの盾を構えて密集した警官たち。何台ものパトカーがバリケードのように夕暮れのオフィス街の道路を塞いでいる。
周りじゅうに響き渡るサイレンの音に、カーリーは眉をしかめた。
音もなく、辺りに散らばった警官の手から拳銃が離れ、宙を舞う。
十数丁の拳銃が、まるでオーラのようにカーリーの周囲に輪を描いて静止する。
カーリーの念動力の為せる技である。
「煩いよっ!」
カーリーが叫ぶと、宙に浮いた拳銃が一斉に火を吹いた。
どっがあああん!
次の瞬間、数台のパトカーが炎を上げて粉砕された。
同時に、十数人の警官が肉塊となって宙を飛び、新たな宴に彩りを添えた。
どかん! どがあん!
カーリーが拳を無造作に振るうたびに、パトカーがひしゃげて宙を飛び、拳銃が火を吹いて人が肉塊へと変じる。
「撃て、撃てエ!」
絶叫とともに乾いた発砲音が響きわたった。
「うっ」
呻いてカーリーは足を止めた。
「…………」
警官たちが固唾を呑む中、カーリーは頬を膨らませた。
「痛いなあ、もうっ」
そして、ぽろぽろと身体に食い込んだ鉛弾を指で掻き出した。
わずかにへこんだだけの肌は、あっというまに元通りの張りを取り戻した。
「このぉ……」
身勝手な怒りに身を任せようとしたカーリの目の前に、一台の覆面パトカーが滑り込んできた。
きききぃっ!
タイヤが黒煙を噴き上げ、回転して停止する。
ばんっ! その覆面パトカーからひとりの女刑事が降り立った。
「これ以上死人が出る前に雑魚は退がりな。おまえらじゃ荷が重過ぎる」
そういいながら警察手帳を一瞬開いて見せ、ぱたんと閉じてスーツの懐にしまったのは、氷上純。本庁の特捜班の刑事である。
「女神、いや、魔神カーリー。これ以上アンタの好きにゃさせないよ」
そういって両脇のショルダーホルスターから拳銃を抜き放つ。
「あははっ。そんなのムダだってまだわかんないの?」
カーリーの目に残念そうな嘲笑の色が浮かぶ。
「そいつはどうかね?」
どん!どんどん!どんっ!
氷上の構えた二丁拳銃が吼えた。
「はあ……」
カーリーは、ため息をつきながら拳銃を正面から受け止めた。
だが、その余裕は一瞬で消えた。
「ぎゃん!」
氷上の放った弾丸はすべてカーリーの胴体に命中し、血飛沫をあげさせた。
「こ、こんな、まさか……」
カーリーはがっくりとアスファルトに膝をついた。
「サイコキネシスでコーティングした弾丸さ。効くだろ?」
いいながら氷上は拳銃に弾丸を装填する。
「悪いが、さっさと終わりにさせてもらうよ。今日本でダークロアなんかと揉めてるヒマはないんでね」
ちゃっ。
銃口がぴたりとカーリーに狙いを定めた。
「う……!?」
だが、氷上は急激な眩暈を覚えてこめかみを抑えた。
「く……誰だ……? そこかっ!」
氷上はよろめきならも頭上に向かって銃弾を放った。
ぱしぱしっ。だが、その銃弾は掌にあっさりと受け止められてしまった。
「人間としちゃたいした力だけど、それを支える精神はまだまだ脆いねぇ」
ばさばさと異形の翼をはためかせて地上に降下してきたのは、魔神アシュタルテー。
「まったく……人間を舐めるからそういう目に合う……」
そういってカーリーの身体を蹴飛ばした。
「起きな。アンタはどうでもいいけど、アンタひとりの身体じゃないんだからね」
「そういう言い方はないだろう」
応えてすっくと立ち上がったのは、もはやカーリーではなかった。
「まったく、我が人格ながら、よくも散らかしたものだ」
そういって、カーリーの別人格、魔神ドゥルガーは周囲を見回して肩をすくめた。
「アンタなら話が早くて助かる」
アシュタルテーは、人格交代と同時に茶色に変じた髪を手早くポニーテールにまとめるドゥルガーに笑いかけた。
「アタシが力を弱めるから、アンタが止め。でいいね?」
「承知した」
ドゥルガーはいいながら周囲に散らばった拳銃を拾う。
「まったく、武器と念動力の使い方のコンビネーションならあちらが完全に上だな。派手なだけで無駄な使い方ばかりしおって。私まで疲れる」
ドゥルガーは、残弾を確かめながら、カーリーの戦い方をなじる。
「まあまあ。さっさと仕留めちまおう……いくよ!」
そういってアシュタルテーは氷上に向き直った。その目が真っ赤に光り、氷上の精神力を奪っていく。
そして、ドゥルガーが拳銃を構えた。
「く……」
氷上は苦痛のなか、二丁の拳銃の銃口をそれぞれふたりの魔神に向けてささやかな抵抗を試みる。
(ダメだ…サイコキネシスに集中できない……このまま撃ってもかすり傷ひとつ……)
氷上が観念しかけたそのとき。突然痛みが引き、精神がクリアになった。
「そのまま撃ってください」
澄んだ声が響く。
「千里か……?」
がん! がうんっ!
言われるままに氷上は引き金を引いた。もちろん、ありったけのサイコキネシスを弾丸に乗せて。
「これは……! 力が戻っているな」
機敏に弾丸を避けながら、ドゥルガーはアシュタルテーを見る。
アシュタルテーは弾丸に掌を貫かれながら、叫んだ。
「万城目! またおまえかっ!」
次回:後編 万城目千里登場