ここん。
花束を抱えた結城望が、万城目千里が入院している病室のドアをノックした。
「どうぞ?」
千里の落ち着いた声が響き、望はドアを開けた。
「千里さん、具合はどう?」
「心配してくれてありがとう。もうほとんど大丈夫よ。まだご飯は食べられないけど」
身を包んだ清潔なパジャマの袖をまくり、細い腕に点滴のチューブを挿された千里はそういって微笑んだ。
「ケーキか何かもってこようかとも思ったんですけど、食べられないって聞いたから」
そういって望は花束を挙げて見せた。
「胃と食道が切れてしまっていたから……よく助かったと思うわ」
千里はそういって包帯が交差している胸元を覗き込んだ。
「花束はそこに置いておいて。あとで花瓶に移してもらうわ。それより、おなか空いていない? 食べられないからお見舞いが余ってるんだけど」
千里はサイドテーブルからクッキーの詰め合わせの缶を取り出した。
「あの……千里さん」
望は思いつめた表情で千里を上目遣いに見つめた。
「ちょっと……聞きたいこと、あるんです」
「何かしら? 深刻そうね」
千里は正面から望の視線を受け止めた。
「千里さんは、人を好きになったことってありますか?」
「男の人を?」
望は頬を染めてこくりとうなずいた。
「……望ちゃんは好きな人がいるのね」
「! 心、読みましたね?」
「私の読心能力は高くないから、望ちゃんにブロックされたら無理よ」
千里はくすくすと笑い、傷に響いたのかほんの少し顔をしかめた。
「それに、読まなくてもわかるわよ」
「そんな……」
望は耳まで赤く染めてうつむいた。
「それで? 望ちゃんの好きな人って?」
「いえ、まだ、好きっていうか、好きかな? 好きかもって感じの……」
望はスカートの裾をいじりながらうつむいてぶつぶつと小さな声で応えた。
その様子を見て、千里は助け舟を出した。
「話を戻しましょう。私に好きな人がいるとしたら?」
望はほっとして、顔をあげ、食い入るように千里の顔を見つめた。
「好きな人の心って、読みたくなりませんか? 読んじゃいませんか?」
「そうね……読んでしまうかも知れないわ」
「それで……その人が超能力とか、好きじゃなかったら、どうします?」
「難しい質問ね。でも……この能力も、この目も、全部私だから……全部の私を好きになって欲しいと思う」
「…………」
望はじっと考え込んだ。
「望ちゃんの好きな人は望ちゃんの『ちから』のことは知らないの?」
「まだ、会ったことないんです」
「じゃあ、どうやって知り合ったの?」
「ケイタイのメールで……それで、会いたい、って言われてて……」
「望ちゃんは会いたくないの?」
「…………」
沈黙のあと、望は応えた。
「……会ってみたいんです。でも、超能力とかキライだったら……それに……」
(嘘つきだったら)
望はぎゅっと携帯を握り締めた。
「千里ー、具合はどうだ?」
そこに、氷上純が現れた。
「おや、望ちゃん。見舞い来てくれたんだ。これ、望ちゃんが持ってきてくれたんだよな? ありがとう」
いいながら、花束を手早く花瓶に活ける。
「今お茶煎れるな」
病室を出ようとする氷上を、望は制した。
「いえ、今日はもう……」
「え? ゆっくりしてきなよ。千里もけっこう退屈してるからさ」
「いえ。千里さん、ありがとうございましたっ」
望はバタバタと病室を後にした。
「? どうしたんだ?」
「望ちゃん、好きな人がいるんです。その人が、自分をどう思うか悩んでるんです」
「そんなの、テレパスならすぐにわかるんじゃないのか?」
「そんな簡単な問題じゃないんですよ。氷上さんにはわからないでしょうけど」
「アタシが単純みたいな言い方だな」
「そこが、氷上さんのいい所なんですから」
「なんだよ、それ。褒めてるのか貶してるのか……」
「……少し、望ちゃんに気をつけてあげてください」
千里の深刻そうな表情に、氷上も顔を引き締めた。
「好きな人の心を知りたくなって、逆に読心力を失うテレパスって多いんです」
「望ちゃんがテレパシーを失うって? そりゃあマズイぞ」
「あれだけの強大な能力ですからそこまでは至らないと思いますけど、心に傷を負って、能力が歪む可能性はありますね」
「む……」
「それから、好きな人に嘘をつかれて……裏切られて……ダークロアのような欲望に忠実な人を良い人だと思うようになったりする方が問題です」
千里は窓に映った自分の左右色違いの瞳を見つめた。
「人は誰でも裏表があるもの。それが人間なんです。早くそれに気が付いて、自分が変わらないと……私は気付くのが遅くて、ただ自分を傷つけてしまいました。望ちゃんの能力は強力ですから、そうなる前に助けてあげてください」
「それだけわかってるなら、千里が助けてあげればいいだろ」
氷上の言葉に千里は寂しそうに笑った。
「私は、心を閉ざす力が強すぎます。同じテレパス同士では逆に、望ちゃんに本当に信頼してはもらえないと思います」
(待ち合わせの時間まであと5分)
待ち合わせ場所の公園の噴水が見える物陰で、望は様子をうかがっていた。
(女の子は少し遅れて行って、男の子の態度を見よう)
少女向け雑誌で仕入れた生半可な言知識を元に、30分以上前に来ていながら、物陰に隠れているのだ。
(ノゾミ、まだ来てないっぽいな)
不意に、望の頭思考波が飛び込んできた。
(タカユキさんだ!)
タカユキが望のことを考えていたため、思念波の指向性が高まり、望に届いたのだ。
望はおそるおそる噴水を見た。細身のこざっぱりした服装の男が携帯を開いて操作している。
ぶるるっ。望の携帯にメール着信があった。
『噴水に着いたよ!ノゾミちゃんはどこ?』
物陰から飛び出しかけた望の頭を、タカユキからの思念波が貫いた。
(一発目だから遅刻はマズイからな。あぶねえあぶねえ)
(女は遅れてもいいとか誰が言い出したんだよ)
(しっかし手間かけさせてくれたよな)
(ノゾミは慣れてねえみたいだから軽く飲ませてホテルで楽勝だな)
(写メで見た限りかなりイケてるからな。楽しみだぜ)
(たまに友達の写真とか図々しく送ってくるヤツもいるから確認してからか)
(ブサイクでも親は金持ちみたいだから我慢するか)
タカユキの不埒な思考波が次々に望の頭を、心を灼いた。
望の頬を涙が伝った。
(嘘つき!)
望の強力な精神波がタカユキを襲った。
「ふぐっ!?」
タカユキは悶絶してその場にうずくまる。
望は、怒りに任せて精神攻撃を仕掛けてしまったのだ。
「あ……」
望の顔から血の気が引いた。
次の瞬間、望は脱兎のごとく公園から逃げ出していた。
「うっ、くっ、ぐすっ、うっ、ひくっ」
望は、しゃくりあげながら夕暮れの河川敷で膝を抱えて座っていた。
できるだけ、他人の思念に触れたくなかったのだ。
(嘘つき……みんな、嘘つき……)
タカユキや、父親の結城和哉、母親、クラスメイト、千里、氷上……皆の顔が渦を巻く。
ざっ。背後で足音がしたが、今の望には振り向く気力もない。
「悪い。千里に頼まれてたのにな」
氷上の声がして、トレンチコートが肩にかけれた。
「あの男、しばらくすれば大丈夫だってさ。一瞬だったみたいだから」
隣にしゃがみこみ、ぼそぼそと伝える。
「望ちゃんは強いな。アタシなんかカっとすると、気に食わない上司だの犯人だの、半殺しじゃすまなかったよ」
「うっ、ひぃっくっ、うっく」
望はしゃくりあげた。
「みんな、みんな、嘘つきだ……」
(でも……)
「私だって……嘘つき……」
望はそう呟いて、自嘲的な掠れた笑い声をあげた。
氷上は立ち上がって川面に石を投げた。
「でも、それが人間だ、って千里が言ってた」
その言葉に、望の動きが止まった。
そして、望は氷上に抱きついた。
氷上は何もいわず望みの頭を抱き返す。
氷上のみぞおちに顔を埋め、望は堰を切ったように声を上げて泣き出すのだった。
次回予告
四魔導師の午後