ざっざっざっ。ざっざっざっ。
ドナウ川沿いのハンガリー盆地に、規則正しい足音が響き渡った。
黒海を迂回し、ドナウ川沿いにトランシルヴァニア山脈の裾野を越えて遠征してきた、アレクサンダー大王率いる、マケドニア大王国軍である。
このままドナウ川を遡上し続ければ、ブダペストは目前である。そしてその先には、ウィーンがある。
ハンガリーは、モンゴル帝国、オスマントルコ帝国に蹂躙され、オーストリアに併合された歴史を持つことからもわかる通り、アジアから見たヨーロッパの玄関口といえる。
ステラ・ブラヴァツキ討伐命令を受けたアレクサンダーは、迷わず数万の軍を挙げてのヨーロッパ遠征に乗り出したのだった。
「WIZ-DOMの魔女は出て来るかね?」
アレクサンダーの隣で馬を進めるテムジンが、誰に尋ねるともなく尋ねた。
テムジン。蒼き狼の二つ名を持つ、バイカル湖畔に住む遊牧民出身の勇将である。
彼がまとめあげた遊牧民族は、夏王朝とマケドニアの間をつかず離れず生き延びてきた。しかし、騎兵戦力を必要とし、また騎馬の供給源を求めたアレクサンダーの長きに渡る調略を受け、先だってついにマケドニアの軍門に下ったのであった。
彼自身は、極星帝国とは別の歴史をたどったこの地球において、同じ名を持つ先祖が『チンギス・ハーン』を名乗り、あるいは『ジンギスカン』の名で知られる大帝国の創始者であることは知らない。
ましてや、同様にハンガリーに侵入したことがあるとは想像もしていない。
一方、テムジンと同様副将としてアレクサンダーに付き従うハンニバル・バルカスは、こちらの地球の出身である。
パックス=ロマーナと呼ばれる覇権を築き上げたローマ帝国を後一歩のところまで追い詰め、のち不遇の人生を送った、カルタゴの名将、ハンニバル。
極星帝国の死霊術師は、彼をアンデッドとして蘇らせ、アレクサンダーの配下としたのだった。
「そろそろ出てくるだろう」
ハンニバルが、テムジンの問いに応えた。
実際、互いの偵察部隊の侵入や小競り合いはこの辺りで頻発している。
極星帝国とWIZ-DOMの戦線のフロントラインといって良い。
そこに、これだけの大軍をもって進軍しているのだから、WIZ-DOMも相応の手勢を出してくることは間違いなかった。
「すぐに漆黒の魔女が出て来てくれりゃあいいんだけどな。さっさと帰りたいよ」
テムジンが嘆いた。遊牧民族である彼の部下は、軍隊としての統一行動にまだ慣れていない。それを抑える彼の苦労は等し並ではない上、彼自身が草原の気ままな生活に戻りたいと感じていた。
「一度敵が出てくればそう時間はかかるまい。次々撃破していけば、すぐに燻り出せる」
ハンニバルは受け合った。
かつて、20年近くに渡って、遠く故郷を離れた行軍生活を続けた彼にとっては、こうして軍事行動を取っていることも苦にはならない。
城での生活よりもむしろ、兵卒に混じってマント一枚で地面に寝ることを好むハンニバルであった。
ふたりの副将の会話を、総大将であるアレクサンダーは無言で聞いている。
実際のところ、今回の遠征における彼の意思は、ステラ討伐にはない。
極星帝国皇帝よりの命令であるステラ討伐を口実に、彼自身の王国の国土を拡充すること、WIZ-DOMの魔法使いを捕獲すること。
皇帝に叛旗を翻すとは言わないまでも、抗することのできる力を得ることにあった。
彼の軍勢は、極星帝国にあって最強と言って良い。指揮官としては彼が最強であることには極星帝国内からも一切の異論はない。軍勢としては、アトランティス王国の竜たちだけが比肩し得る存在だろう。
しかし、魔力や個人的武勇においては、レイナ・アークトゥルスや関羽といった将軍に二歩も三歩も劣っている。
最終的にはそのことが、マケドニア大王国とアレクサンダーを極星帝国に併合される道を選ばざるを得なかった理由である。
彼も、ハンニバル同様一度死んでアンデッド化している身であり、時間は無限にある。
一度は帝国に膝を屈したものの、いずれ訪れるその時までに、じっくりと力を蓄える腹積もりであった。
「閣下。斥候が戻ってきました」
ハンニバルの部下が報告した。
「報告せよ」
「前方にWIZ-DOMの魔法生物と思われる一軍がすでに布陣している模様です。その数およそ2千」
「指揮官はわかるか?」
「魔女が四人。魔法生物の後方に控えているとの報告です」
「識別は?」
「申し訳ありませんが……」
言葉を濁す部下に、ハンニバルはうなずいた。彼自身、斥候部隊にそこまでは期待してはいなかった。
「それっぽっちか」
テムジンは不敵に笑った。
「しかし、敵には妖術があるぞ。陛下?」
ハンニバルに問われ、アレクサンダーはうなずいた。
「テムジン。五百騎を率いて左翼から突き破れ。ハンニバルは歩兵千をもって右翼から前進。本隊は私とともに微速前進」
「はいな」
「了解」
テムジン、ハンニバルとそれぞれ一礼すると、己の部隊へと馬を急がせた。
「動き出しましたわ」
水盤を覗き込んで透視していた、エレクトラ・ウィルが顔をあげた。
「思ったより反応早いね」
イオ・プロミネンスが腕組みをした。
「ホムンクルスが何人か斥候を見つけてる。こちらの斥候部隊も何人か行方不明よ」
偵察のホムンクルスを指揮しているレダ・ブロンウィンがいった。
「右から騎兵が五百。左から歩兵が千。中央はファランクスを先頭に出しただけで、速度変わらず、って感じね」
エレクトラはマケドニア軍の動きを報告した。
「タイミング的には騎兵で陣形を崩し終わったところに歩兵が到着、だろうな」
レダは眉をしかめる。
「ガチンコだね〜」
イオは眉をしかめた。
「援軍が来るまで持たせろってゆわれてもね〜ゴーレム二千で持つかな?」
「テレポートですぐに駆けつけてくると思うけれど……」
エレクトラも不安げだ。
「ホムンクルスの伏兵と別働隊の動かし方次第だな」
レダは思案しながら言った。
「本隊があのままなら、儀式魔法を行う時間さえあれば私たちだけでも充分追い返せると思う」
「で、どうすんの?」
エレクトラ、イオ、レダの目が無言のカサンドラ・ソーンに集まった。
「こちらから先に歩兵千を別働隊で。指揮はイオとレダ」
「ん」
イオは満面の笑みを浮かべてうなずいた。
「向こうに付き合う必要はないか」
レダも納得顔だ。
「騎兵隊は無視」
「無視?」
エレクトラはさすがに面食らった顔をする。
「ゴーレムを好きなだけ壊させて、その間に、私とエルでゲヘナの準備」
『エル』はエレクトラの愛称だ。
「歩兵を倒したら、レダはイオを連れてすぐに戻って来て」
「人使い荒〜い」
「わかった」
イオとレダはそれぞれ応じた。
「それじゃ、戦闘開始ね。ステラさまが到着するまで、頑張りましょ」
エレクトラが作戦会議を締めくくった。
次回予告
十将軍十番勝負その4 三大魔女VS三大名将 中編