「闇より生まれ夜に生きるさだめの狂える精霊、悪霊、夢魔どもよ」
エレクトラとカサンドラが見守る中、漆黒の魔導師、ステラ・ブラヴァツキの低い詠唱が響き渡る。
黒革にエナメルを塗りこんだ材質の、ローブとも拘束衣ともつかぬ不思議な、なまめかしいデザインの服で妖艶な肉体を締め上げたステラは、闇を塗り固めたようなマントをはためかせ、巨大な宝玉のついたワンドをゆっくりと振り、空中に魔法陣を描いていく。
「古の契約に従い、我が召喚に応えよ」
ステラ専用の魔法のワンド、「悪行の棒状」、ワンド・オブ・マレフィキアの描いた軌跡が輝くルーン文字となって空中に浮かびあがり、螺旋を描いてステラの周りを幾重にも取り囲んで行く。
強大な魔力によってのみ可能な、立体積層魔法陣である。
「狂気、恐怖、悪夢。すべてを解き放ち、我が敵を混沌の渦中にて打ち倒せ」
魔法陣が完成し、詠唱の間、夢見るような半眼を保っていたステラの瞳が、かっと見開かれた。
「マレフィキア!」
マレフィキア、すなわち魔女が為すとされる全ての悪行を示す言葉を発動のキーワードに、ステラが練り上げた魔力が魔法陣によって増幅され、溜め込まれ、そして一気に開放された。
ぞわっ!
群青の魔導師ソニア・ホノリウス、白雪の魔導師ディーナ・ウィザースプーン。ステラと並んでWIZ-DOM三大魔女と称される二人の魔女と対峙していたハンニバルの全身の毛が逆立った。
ステラの放った魔力を感じ取ったのだ。
「…………っ!!」
すでにイオたち四魔女の行った儀式魔術、ゲヘナの炎によって精神力を削り取られていた兵士たちは、声もなく倒れていく。
「こいつぁマズイぜぇ……」
ソニアの魔力の直撃を食らって苦悶しているテムジンが、歯を食いしばりながら呻いた。
口には出さねど、ハンニバルも同じ気持ちだった。
しかし、ハンニバルにはひとつの確信があった。
国王であり、かつ十将軍である総大将アレクサンダーが、ハンニバル、テムジンの両副将を投入しながらも、戦力のほとんどを温存している理由。
今回の大遠征の目的。
それを考え併せれば、答えはひとつだった。
そしてその答えが実行される瞬間は、今しかなかった。
ぉぉぉぉぉぉ……。かすかな地鳴りが、耳を澄ませたハンニバルには聴こえた。
「!」
「あれは」
少し遅れて、テムジンとふたりの魔導師も気付いた。
遠くに見えた砂塵が、一気に大きくなる。鬨の声と、力強く大地を蹴る足音が共鳴し、轟きとなって押し寄せてくる。
アレクサンダー率いる本隊が一斉に突撃してきたのだ。
どどど! どどどどどど!
「殺せーっ! 魔女を殺せーっ!」
顔に死相の浮かんだ兵士たちが怒号をあげて、生き残りのホムンクルス隊を一瞬で蹴散らし、迫ってくる。
「この!」
ソニアは精神波を放って、兵士の津波を切り裂く。
「アレクサンダー大王は恐ろしい男ね。味方を死兵と化させてまで……」
一方、ディーナは悲しそうな驚きの表情を浮かべながら、輝くバリヤーを張って、自分とイオ、レダを守る。
ハンニバルは口元に微笑を浮かべた。この遠征の目的はステラ・ブラヴァツキを倒すこと。そのステラをひきずり出したからには、ここが攻めどころであることは明白だ。
それを、自軍の一兵卒にまで浸透させるため、アレクサンダーは本隊をただ一瞬の総攻撃のために温存していたのだ。
二度の大魔法に焼かれ、兵士たちの心は死の恐怖と絶望に埋め尽くされた。魔女を殺さねば、自分が死ぬ。
その恐怖に、アレクサンダーは出口を与えた。魔女さえ殺せば助かる。
渦巻く恐怖と絶望は怒涛となって出口に殺到し、噴出した。
「大将! オレぁ逃げるぜ!」
テムジンは叫んで、狂気に駆られながらも生き残っていた愛馬の背に飛び乗り、あっという間に気を静めさせて駆け出す。
「逃がすかっ!」
それを追ってソニアが宙を飛ぶ。
「私たちは一度合流しましょう」
ディーナは言って、三人を包んだバリヤーごと逆方向に飛行し始める。
ハンニバルの目はじっとその輝く球体を追い、周囲の兵士に命令を発した。
「あの球体を追え! そこにステラ・ブラヴァツキがいるぞ!」
方向性を与えられて奔流と化した兵士たちを掻き分けつつ、ハンニバルは今度は後方を見やった。
「さて、次は……」
「クソっ! しつけえなぁ!」
ソニアに追われるテムジンは後ろを振り返って舌打ちした。
だが、じきに本隊に残ったテムジンの部下たちと合流できる。その証拠に、騎馬兵の放つ矢がソニアに向かって飛来し始めている。
「うざったいわね」
ソニアは髪をかきあげて忌々しげにつぶやく。
愛馬のわき腹を蹴りつけ、尻を平手で叩く間に、弓を構えた騎馬兵たちが見えてくる。
「ふう、助かったぜ」
「族長!」
「ご無事で!」
歓喜の声で迎える部民の間に駆けこみ、テムジンは息をついた。
「よし! おまえら、あの魔女を迎え撃つぞ!」
テムジンは愛馬の向きを返しながら命じた。
が、そのときにはテムジンは再び愛馬とのただ一騎のみになっていた。
「おい……!?」
周りに死屍累々と横たわる部族の戦士たち。
「ゲヘナとステラの魔法をくらった上で私の相手はちょっと荷が重すぎたみたいね?」
テムジンが見上げた空中で、にっこりと笑ったソニアの放った魔力は、テムジンの精神を焼き尽くした。
「面倒をかけさせて。おかげで余計な魔力を使っちゃったじゃない」
ソニアは眉をしかめてゆっくりと箒の向きを返させる。
ぎらりっ!
その喉元に、一本の槍の穂先が突きつけられた。
「くっ!?」
ソニアは驚愕に目を見開いた。
そこには、巨象に乗ったハンニバルに率いられた、長大な槍、パイクを構えた歩兵部隊が並んでいた。
「さすがに魔力が尽きたか。魔女」
ハンニバルは静かに言い、さっと手をあげた。すると、ずらりと並んだパイクの穂先がソニアの首筋に一斉に突きつけられる。
「魔女三人相手はさすがに大王陛下でも厳しかろうからな。お前ひとりぐらいは我らで倒す」
「おまえ、あいつを捨て駒に?」
ソニアは倒れたテムジンに目をやった。
「最悪の場合は。残念ながらそうなってしまったが」
かぶりを振ったハンニバルは、手を振り下ろした。
どすっ! どすどすっ!
パイクがソニアの身体に突き刺さる。しかし、ソニアの目は力を失わず、ハンニバルを睨みつける。
「そしてその場合、私はこうしてお前と相打ちになるしかない」
ハンニバルはつぶやき、ソニアの断末魔の魔力に灼かれるまま、静かに目を閉じた。
「がふっ! っ……」
アレクサンダーは、地に伏したまま、吐血した。
「私とディーナのコンビを、数押しで倒せると思うとは、愚かな」
ステラは死に行くアレクサンダーを見下ろして吐き捨てるように言った。
「ステラと組まなくてはならない、というのがそもそも腹立たしいのですけれどね」
ディーナはつん、と顔をそらした。
「ま、それだけの相手だったことは認めてやろうではないか」
うそぶいたステラは、ふと眉をひそめた。
「ソニア……!?」
「まさか……」
ソニアの最期の魔力の迸りを感じ取り、ステラは虚空を睨み、ディーナは顔を伏せた。
「テムジン、ハンニバル、ご苦労。一矢は報いたか……だが……そんなことに意味は……」
アレクサンダーの末期の言葉は溢れる血に遮られ、ついにその先の言葉が発されることなかった。
次回予告
十将軍十番勝負その5 奈々と奈名とナナと聞仲