◆十将軍十番勝負 その9 三つ巴 前編
カードゲームデザイナー 中井まれかつさん
 ふぅぃん……ふぃぃん……。
 鬱蒼と茂った森の中に、かすかな、痺れるような振動音が響く。
 梢の間を縫うように飛ぶ、東海林光の身体を覆ったイオン場から漏れる振動だ。
「この辺のはずだけど……」
 ゆっくりと飛行しながら、光は周囲に視線を走らせる。
 長旅の影響が色濃く跡を残し、長い黒髪はぼさぼさに乱れ、服もあちこち破けて埃だらけだ。
 荷物も肩から襷がけにしたハンドバッグがすべてだ。
「うん? あれかな?」
 しゅおんっ。
 目的を発見した光は、身体を覆った電磁場の向きをずらし、一気に加速した。
 ふううぃん……。
 一分ほどの加速の後、空中に急停止した光の眼下には、苔むし、蔦の絡まる石造りの塔があった。
 塔の周囲を回って、光はうなずいた。
「入り口の存在しない塔。間違いないわね」
 この塔こそ、光が探していた、『クラリス・パラケルススの塔』であった。
 ダークロアとの接触後、部下たちを日本へと帰国させ、単身WIZ-DOMとの接触をもとめてヨーロッパへとやってきた光が、その相手に選んだのが、錬金術師として名高いクラリス・パラケルススである。
 クラリス自身がWIZ-DOMの最高意志決定機関である円卓会議のメンバーでありながらかなり自由奔放な思考の持ち主であること、かつて日本に拠点を構えていたことがあり、顔見知りであることがその理由だ。
「開けてくれない? どうせもう見えてるんでしょ?」
 光は剃刀の刃一枚入る隙間もなく、ぴったりと組み合わされた石壁をこつこつと叩いた。
 と、石壁の感触が変わった。
「ひゃ!?」
 生暖かい、にゅるりとした感触に、光は思わず声をあげた。
 見れば、石壁の表面から、てらてらと緑色にぬめる流動体が滲み出していた。
「何これ……?」
 光が眉をしかめて見つめるうちに、流動体は溢れるほどの勢いで滲み出し、一塊の巨大なゼリーとなった。
「いったい何のつもり?」
 再び光は石壁に向かって問いかける。
 と、ゼリーが意外な俊敏さで動き出した。
 びゅるん!
「え!?」
 ゼリーから伸びた触手が光の手足に絡みつく。
「この……」
 ばちばちっ!
 光は、身体に電撃をまとい、引き剥がそうとする。
「効いてない!?」
 しかし、ゼリーは何の痛痒も感じない様子で、今度は本体が落下傘のように大きく広がり、光の全身に覆いかぶさってきた。
「う、ぐっ!」
 顔にもゼリーが粘りつき、呼吸を妨害されて慌てる光。容赦なく電撃を叩きつけるが、ゼリーに一切のダメージを与える様子はない。
(これってまずくない……!?)
 全身をゼリーに呑み込まれ、光はうめいた。
 光の能力は電撃に特化しているため、電気であれば天候からイオンまで自在に操れるが、こういった相手にはまったく効かないことがある。
(く……)
 どむっ! どむっ!
 必死に、なれない念動力を使ってゼリーに打撃を加えるが、サンドバッグを殴っているような鈍い感触とともに、ゼリーの表面が波打って衝撃は拡散、吸収されてしまう。
(こうなったら……一か八か!)
 光は息を止め、深く集中した。
 ごろごろごろ……。
 見る間に、上空に暗雲が発生した。
 光が雷撃を打つために作り出したものだ。
 かっ! ばりばりばり!
 閃光と衝撃が同時に、ゼリーを中に包み込まれた光自身もろともに打つ。
 数発の雷撃を落とした結果、周囲の樹木や石壁の蔦や苔は黒焦げになったが、ゼリーはぐねぐねと蠕動するのみで、まったく落雷の影響を受けた様子はない。
(もう……ダメ……)
 薄れ行く意識の中で、光は最後の雷撃を呼んだ。
 ばしいっ! ばしゃあっ!
 と、突然ゼリーは水を入れて膨らませた風船のように弾けとんだ。
「え……?」
 後には、ゼリーの弾けたあとの緑色の水でぐしょ濡れになった光がぽかんとした表情で座り込んでいた。
『やっぱりダメだったわね〜』
 そこに、声が響いた。
『耐火、耐衝撃、絶縁体のスライムだったんだけどね〜やっぱり細胞壁に問題があるみたいね〜』
「クラリス! あなたの仕業なの!?」
 光は怒気をはらんだ表情で石壁を睨み付けた。
『あ、光ちゃん、入って入って』
 ぱしゅん、と軽い音がして、石壁の一部が消えた。
「……とりあえず、お風呂貸してくれない?」
 光はぐしょ濡れの髪をかき上げ、ため息をついた。 「光ちゃん、おひさ〜」
 メイドのお仕着せを着たホムンクルスに案内され、応接室に入ってきたバスローブ姿の光を、クラリスが出迎えた。
「また若返ってる……」
 光はクラリスの顔を見てうめいた。日本で光が会った時よりは確実に五歳は若返っている。
「前のに飽きちゃって。光ちゃんも着替えたいなら協力するわよ? 超能力者のクローンボディって興味あるしい」
「お断りします」
 光は首をぶんぶんと横に振った。
「それはそれとして、さっきのスライムの説明を聞きたいんだけど」
「だから、新しい人工生命素材の実験用スライムよお。細胞壁の接合に問題があって、ちょうど光ちゃんクラスの電撃を浴びせてみたかったのよね」
「門番とか、ボディーチェックとかじゃなくて、単なる実験だったっていうの!?」
「あ、それいーわね。ボディーチェックにもなるし一石二鳥? だったら酸を仕込んで……」
「……もういいいわ。あなた相手に怒るのは馬鹿らしいんだったわ」
 光は本革の寝椅子に身を投げ出し、ホムンクルスのメイドが差し出した冷水を受け取って、一息に飲み干した。
「ところで、ウチのオフロどうだった?」
 クラリスは話題を変えた。
「お風呂? すっごい良かったあ。あんな広い大理石のお風呂なんてひさびさ。それでなくてもここのところご無沙汰だったし。生き返ったわあ」
「やっぱりお風呂は肩までゆっくり浸からなきゃダメよね。日本で知ったけど、アレはいいわよねえ」
 クラリスもにっこり笑ってうなずく。
「で、そんなになるまで苦労して、どうして私の所へ来たの? お風呂入りに来たわけじゃないんでしょ?」
 光はクラリスの目が笑っていないのに気がつき、姿勢を正した。
「それなの。極星帝国の動きが激しくなってて、大規模な行動の可能性が出てきたのよ」
「それなら、こないだステラちゃんたちも言ってたわよ。マケドニアのアレクサンダーが攻めてきたから返り討ちにしたって」
「返り討ち!? さすが……」
「でも、こっちもソニアちゃんが殺されちゃったのよねえ」
「!?」
 こともなげに各勢力の重要人物の死を語るクラリスに、光は言葉を失った。
「あら? 今日は珍しいお客様の多い日ねえ」
 ホムンクルスに耳打ちされ、そういってクラリスが立ち上がった。
「各務柊子ちゃんとお兄様が光ちゃんに用だって。光ちゃん、ウチを待ち合わせ場所にした覚えあるかしら?」


次回予告
十将軍十番勝負 その9 三つ巴 中編



COMMENT

愛用のグラサン。
1500円くらいだったかな。

http://www.ops.dti.ne.jp/~marekatu/index.html


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