すう……。
息のつまるような静寂の中、木刀を青眼に構えた、長めのおかっぱ頭の剣道着姿の少女は、静かに、しかし深々と息を吸い込んだ。
少女の吊りあがった目から放たれた視線は、向かい合わせに立つ、長髪の、やはり剣道着姿の男の構えた木刀の先にぴたりと合わせられている。
「いぇええええぇえい!」
少女は、裂帛の気合とともに、男に打ちかかった。
少女の打ち込みは、目にも留まらぬ神速の速さで男を襲う。
しかし、それを受ける男の木刀もまた、速い。
かん! かかかん! かあん!
常人には木刀の軌跡すら見えぬ打ち合いの中、ただ、木刀と木刀がぶつかり合う乾いた音が響いた。
かかん! かん! こっ!
二人以外誰もいない道場に、足捌きの音も衣擦れひとつ聞こえず、ただ打ち合いの音だけが続く。
かっ! かかっ! かあん! かかん!
無限に続くかに思えた打ち合いに、終わりは不意に訪れた。
がっ! からあん……。
鈍い音の後、少女は木刀を取り落とした。
「参りました」
悔しそうな表情を浮かべた少女、上泉巴は、痺れる手を押さえながら、深々と頭を下げた。
男−−千葉北辰は、木刀を腰に納め、礼をとる。
巴もそれにあわせて、木刀を拾い、礼を取った。
「おまえの剣には重さが足りないんだ」
北辰は、木刀を道場の壁に据え付けられた木刀掛けにひょい、とひっかける。
「速さなら俺よりも上だから、並の相手ならニ、三回は殺してるところだが……普通は一回殺せば充分だしな」
言いながら、北辰は剣道着の上をもろ肌脱ぎにして汗を拭い始める。
「はい……」
うなだれた巴の額から垂れた汗が、床に染みをつくった。
「ま、ウチの流派も無駄な打ち込みは多いけどな。竹刀でやってるとその辺鈍るのが問題だよ」
「む、無駄……」
北辰のフォローの言葉が、さらに巴に追い討ちをかける。
「あー……、いや、そういう意味じゃなくてな」
北辰はぽりぽりと頭をかいた。
「いや、女の子にしては大したもんだって」
「女の子にしては、ですか……」
落ち込み続ける巴に、北辰は慌てた。
「あーいや、そうじゃなくて。オレの次くらいには強い剣士だよ、お前は」
「次くらい……」
「こ、この調子で修行すればすぐに追いつかれるって! じゃ、そういうことでまた来週な!」
北辰は一気にそうまくしたてると、慌しく身支度をして、道場を出て行く。
「はい……またよろしくお願いします」
巴は道場を出て庭を抜ける北辰の背に頭を下げる。
庭の先には、上泉家の風格ある門が北辰を待っている。
北辰の姿が門の陰に消えるのを見送り、巴は火照った身体を風に当てようと縁側に出た。
「はあ……」
腰を下ろした瞬間に、思わずため息をついてしまう。
「北辰が強いのはわかってるつもりだけど……やっぱりヘコむな」
剣聖上泉信綱の血を引き、早くから剣の才を見出された少女、上泉巴。
天才少女、現代の剣聖と持てはやされてきただけに、稽古とはいえ、敗北の屈辱は重い。
勝てない相手はいる。ダークロアの怪物どもの凶悪な攻撃力、回復力の前には巴自身何度も苦杯を舐めている。
人知を超えた能力や魔法にも、遅れを取ることはある。しかし、それならそれで呪法を使うことで対応もするし、策を練るにやぶさかではない。
しかし、北辰は別だ。剣士としてまったく同じ条件で戦いながら、まったく勝てない。
自分と北辰の実力がそう離れているわけではないことも理解している。だが、それだけに、紙一重で届かないことで実力の差が浮き彫りになる。
「剣の重さ、か……」
早春の風に頬をさらしながら巴は物思いにふけった。
知らず、指先が首から提げた守り袋をまさぐる。
「修行あるのみ、かな」
考えるのに疲れ、いつもの結論ともいえない結論をとりあえず呟いたそのとき。
ぞくり。
凄まじい殺気が、巴の背筋を通り抜けた。
びくん、と身体が反応するままに顔をあげると、門の先に光の柱が立ったのが見えた。
どおおん!
数瞬遅れて、衝撃波が巴の髪をなぶる。
「何!?」
とりあえず、道場の神棚にかけられていた日本刀を一振りつかんで、光の柱が見えたあたりへ向かって走り出す。
どおん!
巴が門に着くよりも早く、門が光に包まれ、吹き飛んだ。
けほけほと咳き込みながら、舞い上がった埃の先に目を向けた巴は、門の残骸の先に立つ、ひとりの少女を発見した。
赤い髪を後頭部で縛り、肌も露な金属鎧に身を包んだ少女は、手にした両刃剣の切っ先を巴に向けた。
「上泉巴ね? レジーナ・アルキオーネが貴方を倒します!」
「れじーな……? あるき……?」
巴が目を白黒させていると、レジーナの後方から声がかかった。
「巴! 気をつけろ! そいつは極星帝国だ!」
声をかけたのは、血まみれでよろよろと歩く北辰だった。
「ちっ」
振り返ったレジーナは舌打ちした。
「しっかりとどめを刺しておくべきだったわね」
「北辰!」
慌てて駆け出そうとする巴を、北辰は押しとどめた。
「オレは大丈夫だ! それより、油断するな! そいつは魔法を使うぞ!」
北辰の声に、レジーナは不適な笑みを浮かべ、左手の小指の根元を噛んで傷つけ、血を口に含んだ。
そのままぷう、とレジーナが吹いた血煙が、渦を巻いて盾を形作る。
「あの盾に気をつけろ。剣も効かない」
じりじりと巴の傍らににじり寄ってきた北辰が言った。
「魔法剣士……」
かちり、と手にした刀の鯉口を切りながら、巴は呟いた。
「まだまだよ……」
レジーナは笑い、今度は金粉を剣にふり撒いて、二言三言呪文を唱える。
と、レジーナの両刃剣が眩い光を放つ。
「あの光で斬ってくるぞ」
北辰の言葉に、巴はうなずいた。
「忠告ぐらいで、光子の剣が受けられるわけないでしょ!」
そう叫んで、レジーナは巴へと斬りかかった。
かっ!
レジーナの剣の軌跡が、閃光を放つ。
それとほとんど同時に、巴の剣がレジーナの胴体を薙ぐ。
ずおん。
しかし、巴の斬撃は鈍い音とともに、血の盾に吸い込まれた。
どおん!
巴は、遅れてやってきた衝撃波に吹き飛ばされた。
(これ、さっきの……)
血の盾が砕ける様を視界の端にかすかに捉えながら、巴は呟いた。
「く……一日に二度までも光子の剣に応じられるなんて……」
レジーナは驚愕の表情で息をついた。
「さすがは阿羅耶識の誇る二大剣士というわけね……でも、二人とも倒したわよ……」
「それはどうかな……?」
傷の苦痛に耐えながら、北辰は笑った。
「巴はまだまだやる気みたいだぜ」
その声に応じるかの用に、巴は立ち上がった。
首から提げた守り袋が裂け、中の入った護摩の灰が胸元に散らばっている。
「これがなかったら、死んでた」
巴は言いながら、切っ先をレジーナに向けて青眼に構え直し、全身の気を高めて行く。
「今度は、こっちの番」
「く……」
レジーナは剣を構え、再び呪文を唱え始めた。
次回予告
剣聖VS魔剣士 後編