「らーらら♪ らららーらら♪」
フェイスレスが擬態した、ディネボラの歌声が響く。
初代レムリア国王から名付けられたというその名は獅子座のベータ星を意味し、獅子の尻尾に位置している。また、アークトゥルス、スピカと揃って春の大三角を形作る恒星でもある。
彼女自身がアンデッドでありながら、その歌声は、彷徨う魂を操ることができる。
おそらくそれは、ディネボラが本来持っていた力なのであろう。
ステージ裏はおろか、未だライブの興奮冷めやらぬ客席にまで、ディネボラの歌声の魔力は届いた。
青白い人魂が浮遊する中、観客たちは頭を抱えてばたばたとくず折れ、うずくまり、倒れていく。
「精神攻撃? メンドくさいなあ」
対する、こちらはみさき美宇の擬態を解いた小鳥遊ひびきは軽く眉をひそめたが、歌声の影響を受けた様子はない。
「こっちも無理には近づかないでやらせてもらおっと」
ひびきはそういうと、念動力の火花散る片手を天にかざした。
ばちちっ!
空気の震える音とともに、ひびきの左手は、弓と一体化した形状の、輝く篭手に包まれた。
「キネティック・アロー! なんてね。別に叫ぶ必要はないんだけど」
ちろりと舌を出しながら、ひびきがその弓を構え、右手で弦を引く動作をすると、念動力で生み出された螺旋状の光り輝く矢が出現した。
「るーるーる♪ るーるるーる♪」
全身から魔性の歌声を響かせながら、ディネボラはひびきの正面に姿をさらし、ゆっくりと両腕を開いていく。
「避ける気ナシ? 楽でいいけどね」
ひびきは不審そうな顔をしながらも、躊躇なく念動力の弦を開放した。
びゅっ!
風切り音とともに、輝く矢が飛び出した。
しぱっ。
と、そのとき、ひびきとディネボラの間の空間が裂けた。
「きゃ!?」
ぱきぃん!
ひびきが目を白黒させている間に、空間の裂け目は一気に広がり、宙を飛んでいた矢を飲み込み、さらに突き出した弓篭手をも吸い込み始める。
「次元断層!? ズルいなあ、もう!」
ひびきは舌うちして篭手を犠牲に一歩飛び退いた。
しゅかっ!
矢と弓篭手を飲み込んだ空間の裂け目は、一瞬で閉じた。
「あーもう! メンドくさい!」
唇を不満そうに突き出しても、愛嬌の消えない表情で、ひびきは地団駄を踏んだ。
そこに、ディネボラが一気に間合いを詰めてきた。
「ららららーらー♪ るるるーるー♪」
「んくっ!」
正面から降り注ぐ歌声に、ひびきは苦悶の声をあげる。
「何考えてんの! アンタ相打ちするつもり!?」
苦悶の声をあげながら、なんとか身体は反撃の構えを取ったが、そこまで叫んでひびきはふたたび舌打ちした。
(コイツ、相打ちでいいんだ!)
ディネボラの喉元に肘打ちを打ち込む姿勢を取りながらも、背筋に冷たいものが流れ、ひびきはぎり、と強く唇を噛み締める。
一方、ディネボラに擬態したフェイスレスの表情には冷ややかな笑みが浮かんでいた。
「せぇんぱぁい〜! あ〜ぶない〜!」
そこに、舌足らずな甘い声が割り込んできた。
ふわっ、と赤ん坊を思わせる甘い香りが漂い、緑がかった不思議な色合いの長い髪がひびきの視界を埋める。
「きゃうっ!」
「ぐっ!」
飛び込んできた人影と、ディネボラが同時に叫び声をあげる。
ひびきは、ディネボラの歌声を身代わりに引き受けてくれた少女に声をかける。
「美宇!」
そう呼ばれたのは、先ほどまでひびきが擬態していた妹系アイドル、『みさき美宇』に間違いなかった。
緑がかった髪をツインテールに結い、淡いピンクに白のレースの私服姿。
その姿で、美宇は床に突っ伏していた。
「美宇……!」
ひびきはふたたび唇を噛んだ。ひびき自身が相打ちを覚悟した攻撃を正面から受けては、何の準備もない美宇に勝ち目があろうはずはなかった。
「う〜。いったぁ〜い」
しかし、美宇はむっくりと起き上がった。
「美宇!? だ、だいじょぶなの?」
「あはは〜。またお兄ちゃんたちに助けてもらっちゃいました〜ぶい!」
美宇はにかっと白い歯を剥き出して笑い、横Vサインを作った両手を突き出して見せた。
美宇のほぼ唯一の能力は、彼女のいう『お兄ちゃんたち』すなわちファンの微弱な思念を増幅し、ファンの中に形作られている彼女の姿を保つこと。
つまり、ファンある限り、美宇は滅びず、老いないのだ。
だが、その能力は諸刃の剣でもある。
ファンの共同幻想が美宇本人に影響を与えることも意味している。
ことに、ここ最近では言動の幼児退行の兆候が顕著にあらわれている。
「あ、そう……」
肩透かしを食った形のひびきはやや脱力した態で、美宇に手を貸して立ち上がらせる。
「危ないから来ちゃダメっていったのに」
ひびきは、ちょん、と美宇の額を人差し指でつついた。
「ごめんなさぁいぃ。でもでも、アタシせんぱいとお兄ちゃんたちが心配でぇ……」
もじもじと指を絡みあわせて俯く美宇の頭の上に、ぽん、と手を置いてひびきは笑った。
「ま、助かったけどね」
「ほぉんとですかぁ! わぁい! ひびきせんぱいに〜ほめられたぁ〜!」
美宇はぴょこぴょこと飛び跳ねて心底嬉しそうな顔をしてみせる。
「ホントに助かるかどうかはまだわかんないけどね」
ひびきは苦笑しながら、すっとディネボラを指差した。
「あちこちのライブで悪さしてたのはアイツ。やるわよ」
「見ました見ました! 急にお兄ちゃんたちがばたばたーって」
美宇はこくこくと頷き、珍しい怒りの目でディネボラを見つめた。
「美宇のお兄ちゃんたちをあんなにして! ゆるさないぞぉー!」
叫んだ美宇が両手を広げると、空間がぱりぱりと音を立てて磁気を帯びる。
ばっ、とディネボラの豪奢なドレスのスカートがめくれたかと思うと、ディネボラの肉体は床に押し付けられる。
「そのままフォローよろしくっ」
美宇にウィンクしながら、ひびきは身体を念動力とテレパシーの防御フィールドで包み込み、一気に跳躍した。
さらに、宙から蹴りを繰り出した足先が、目映い火花に包まれる。
「これでどう?」
目を剥いて睨みつけるディネボラに、ひびきはウィンクしてみせる。
ばしばし! 足が届くより先に火花がディネボラの白い肌を焼いた。そしてそのまま、フレアスカートから伸びたひびきの細く長い脚が、ディネボラの身体を貫いた。
ぐにょり。
「ん?」
確かに歌姫の身体を貫いたはずの足から伝わってきた柔らかな感触に、ひびきは首を傾げた。
軽やかに着地し、床に伏したままのディネボラを引き起こす。
「あっちゃ〜」
ひびきは眉をしかめた。
「どうしたんですかぁ?」
てててっ、と駆け寄ってくる美宇に、ひびきはその場に残っていたマントと仮面を示して、肩をすくめてみせた。
「どうも、逃げられちゃったみたい」
「えぇ〜!? どどど、どうしましょぉ〜?」
おろおろする美宇に、ひびきは笑顔をつくって見せた。
「ま、正体もバレたことだし、しばらくはおとなしくしてるでしょ。後は私に任せて。メタモーフのことはメタモーフに、ってね」
そういいながらも、ひびきの仮面を握る手には知らず力が入っていた。
「……んっとに、メンドくさいったら!」
思わず漏らした呟きとともに、仮面がぱきん、と音を立てて割れた。
次回予告
拳と拳