がりっ。がりがりがりりっ。
不規則に波打つ電磁波が、宇宙空間を揺らした。
真空。絶対零度。そう表現されることの多い宇宙空間だが、実際にはガスや漂流物が漂い、恒星から放射された電磁波が交錯する、生命の存在する惑星の表面と何ら変わるところのないエネルギーに満ちた世界である。
もちろん、それを観測することができ、漂流物が意味を持つ速度を出しうる存在にとっては、であるが。
そんな存在のひとりである、座天使ザフキエルは、銀河女王国連邦地球攻撃艦隊総旗艦『パニッシュメントII』の第四甲板に立ち、間近に迫る地球を見上げていた。
宇宙空間では上下左右の感覚はあやふやなものとなる。
第四甲板は船舶であれば船腹にあたる部分だ。
ザフキエルはその第四甲板上に、宇宙活動用ブーツのヒール部分の、増強された分子間結合力によって立っている。
その結果、艦首の前方、艦橋からはやや見下ろす位置にある青い惑星は角度的には見上げる形になる。
ザフキエルは、頭部の電磁波観測器の抵抗器を調節し、その青い惑星、地球から放射されている電磁波をひとつずつ受信、記録、解析していた。
むろん、解析しきれないもの、意味不明なものも多いが、その全てを記録し、総参謀長メタトロンに報告することが、現在の彼女に与えられているささやかな任務だ。
座天使、スローンズ、オファニム、そしてガルガリン。
様々な呼び名を持つ、天使の上級第三隊、第三階級の任務には、おそらくガルガリンの名がもっとも相応しい。
その名のヘブライ語の意味は、車輪あるいは瞳。
神の戦車であり監視者である彼女たちは、その肉体をさまざまな機械と一体化させている。
電磁波観測機も、分子間結合力強化ヒールも、ザフキエルの肉体に直接埋め込まれたものだ。
ぎぎぎぎ!ぎぎぎぎぎぎ!
突然、耳障りな強力な電磁波を至近から浴びせられ、ザフキエルは眉をしかめた。
『パニッシュメントII』の甲板をかすめ、総旗艦を中心に陣形を展開した戦艦の間を縫うように、数機の宇宙戦闘機が飛んでいく。
すかさずその戦闘機から放射された、おそらくアクティブレーダーの電磁波と推測される波を解析したザフキエルは、その戦闘機がエルムティムベル率いる宙戦隊であることを知った。
再度の地球攻撃のための強行偵察に出撃したものだろう。
既に銀河女王国連邦との戦闘を経験した地球人は、思いのほか軌道上の防備を固めていた。
そのため、地球への波状攻撃の第一波は失敗に終わった。
第一波の第一目的であったガブリエル、ラファエル両天使の救出も、散々な結果であった。
ガブリエルは肉体を失っていたものの、辛うじて霊体を救出できたため、現在は受肉処理中であるが、ラファエルは極星帝国の懐深く監禁され、その救出は完全に失敗に終わった。
その結果に、四大天使筆頭のミカエルはひどく落胆すると同時に激昂している。
ザフキエルにとっても、かつて肩を並べて座天使の指揮を執っていたラファエルの安否は気がかりとなっている。
しかし、ただの力押しでは勝てないことが判明した以上、総司令官たるラユューは綿密な偵察、分析を第一目標に掲げて動こうとはしない。
そのことにもミカエルは苛立ちを隠さないが、戦局は全体としては小康状態に向かいつつある。
しかし、逆に地球のテレポート能力者による戦艦への数度の直接攻撃すら実行されている現在、座して待つことも許されない状況に地球攻撃艦隊はあった。
じじじじじ、じじじじじじ。
先ほどよりは穏やかな波が受信機をざらつかせる。
「ラミエル。どうしたのかしら?」
ザフキエルは振り返りもせずに、言った。
「総参謀長から伝言?」
「んと。何か用があるわけじゃないんだけど……ちょっといい?」
ザフキエルの言葉に、そう応えたのは、小さな宇宙戦闘機だった。
ザフキエルと同じ座天使のラミエル。
宇宙空間航行用の航宙形態と人型の戦闘形態とに変型する、一から機械で作られた、可変機械天使だ。
「忙しいわけじゃないから、構わないけど、レーダーは切って、前には出ないでね。電磁波が乱れるから」
ザフキエルは頷きもせずにそう応える。
「ありがと」
ラミエルはそう、単純に甲板に振動を伝達させて応えると、一瞬で少女の形に変形し、ザフキエルの隣に両膝を抱えて座り込んだ。
「ずいぶん可愛らしい外見にしたのね」
ラミエルの姿をちらと見て、ザフキエルは言った。
「うん。ちょっと気分転換」
ラミエルは頬をほころばせた。
地球攻撃の第一波に加わっていたときのラミエルの戦闘形態は、ザフキエルに似たやや年嵩の女性の姿だった。
しかしそのとき、地球側の迎撃によって大破し、その後しばらく修復中であった。
「ね、ザフキエル」
しばし無言の時間が経過した後、ラミエルが口を開いた。
「何だ?」
ザフキエルは記録と解析を続けながら素っ気無く返す。
「あのさ、あのときのこと、覚えてるかな?」
「あのとき? いつ?」
妙に歯切れの悪いラミエルに対し、ザフキエルの言葉はあくまで素っ気無い。
「この前、地球に行ったとき、ボクがやられたときのこと」
「記録は提出したはずだけど?」
ザフキエルは首を傾げた。
「うん。記録はね、見てみた」
ラミエルはなぜか頬を赤らめてうなずく。
「感心なことだ。戦闘記録を分析するのはいいことよ」
「でも、ボク、見れば見るほどわからなくなって」
「最初はそんなものよ。何度も見るうちにポイントがつかめてくるものよ」
「そうなのかな。でもボク、何度見てもひとりしか目に入らなくて」
「ひとり?」
「あのとき、あそこにいた男の子。覚えてない?」
「さあ? 地球人は大勢いたから。私はまだ分析していないし」
「何度見ても、あの子をじっと見ちゃうんだ。それで、これじゃダメだ、って思っても、一日もしないうちにまた見たくなっちゃう。その子の姿を。それで、気付くと一日じゅうそこだけ繰り返し再生してる」
「どういうこと?」
ザフキエルは訝しげな表情になり、はじめて首を動かしてラミエルを見た。
「ボク、おかしいんだ。故障しちゃったみたいなんだ」
ラミエルは頬を染め、耳を染め、目には玉の涙を浮かべて俯いていた。
「あの子のこと考えると、他のこと考えられなくて。考えるのやめようとすると胸が苦しくて。でもチェックしても胸部に故障も破損もないって」
ラミエルの瞳から、ぷつん、と零れた涙が表面張力で球体になって宇宙へと漂い出した。
「今だって、もう一度会いに地球に飛んで行きたくてたまらないんだ。ボクの回路、どうかしちゃったのかな。ねえ、ボクどうしたらいいんだろう……」
ザフキエルは、しゃがみこんでラミエルの涙を指先で拭ってやりながら、今更ながら地球が異常な数の時空特異点存在を抱える惑星であることを戦慄とともに思い返し、このことを報告すべきかどうか思案するのだった。
次回予告
夢の中へ