◆夢の中へ
カードゲームデザイナー 中井まれかつさん
 白い満月が、ゆっくりと欠け始めた。
 蝕。太陽からの光が、他の天体や地球自身によって遮られて起きる、自然現象だ。
 日本神話に伝えられる天の岩戸伝説も、西暦250年ごろに起きた日蝕をモデルとしているという説がある。
 しかし、この蝕は通常の天体現象ではなかった。
 黒い闇に溶けていくはずの欠けた部分は赤く染まり、輝きはむしろ増していた。
 赤い蝕には、人の精神を惑わせる力がある。
 すでに寝んでいたものたちは悪夢にうなされ、まだ起きていたものたちも耳鳴りやかすかな頭痛に集中力を失い、床につきはじめる。
 極星帝国十将軍筆頭にして、アトランティス王国王女である、レイナ・アークトゥルスは、未だ起きていたもののひとりだ。
 薄い布地から鍛え上げられた瑞々しい肢体のシルエットが透けて見えるネグリジェ状の夜着を着て、自室に下がってはいるが、魔法の光の下、机に向かって書き物をしていた。
「ん……」
 妙に苛立たしい、落ち着かない胸騒ぎを感じて、レイナはカーテンを開けてバルコニーへと出た。
 冷たい夜風に身体を当てて、集中力を取り戻そうとする。
 しかし、煌々と輝く赤い月は、かえってレイナの心をかき乱した。
「今日はこの辺にしておくか」
 レイナは呟いてバルコニーを後にし、天蓋付きの巨大なベッドに身体を横たえた。
  枕元の鈴に手を伸ばし、ちりちりと鳴らすと、次の間に控えていた侍女が音もなく入ってきた。
「もう寝む。明かりを消して、下がってよいぞ。明日の起床は日の出だ」
 レイナの言葉に侍女は黙ったまま頷き、身振りによって光を消すと、入ってきたときと同様、音もなく部屋を出て行った。
「すぅ……すぅ……」
 レイナはあっという間に眠りに落ちた。柔らかい豪華なベッドの上でなくとも、レイナは瞬時に眠ることができ、わずかな気配でも目を覚ますことができる。
 幼いころよりの、戦士として、将軍としての訓練の賜物だ。
 しかし、この眠りに関しても、いつもとは様子が違った。
「ん……んん……」
 呻き声をあげ、白い額に脂汗が滲む。
 本来なら、悪夢などでもただちに目を覚ますはずのレイナには珍しいことだ。
 このとき、レイナは、夢の中への侵入者と対峙していた。

 くすくすくす。くすくすくすくす……。
 闇の中、耳障りな忍び笑いが周囲に谺する。
「曲者……」
 反射的に腰に手を伸ばすが、そこには愛用の大剣の手応えはなく、空しく宙を切った手には夜着の頼りない感触だけが戻ってくる。
「く……」
 仕方なく、意識を集中させて伸ばした手刀に電撃を纏わせるが、これにもいつもの迫力はない。
 手足にも上手く力が入らず、その心許なさは幼少時に戻ったかのようだ。
「姫将軍も、この世界じゃいつもの力は出せないよね。特に今夜は蝕だから、いつもの半分以下?」
 闇を切り取ったかのように、不意にレイナの正面に出現したのは、パジャマ姿にナイトキャップを被り、大きな抱き枕に跨ったひとりの少女だった。
 少女は、胸に抱いた羊のぬいぐるみの頭をぽふぽふと叩いて笑った。
「貴様、何者だ。E.G.O.の手の者と見受けるが。この結界は貴様が作ったものか。よくも我が帝国の術者に気付かれなかったものよ」
 レイナは注意深く身構えながら、少女に尋ねた。
「あたしは遠藤璃莉夢。夢の中を旅し、夢を狩る、ドリームハンター。ここは、夢の世界。誰しもが見る、皆が繋がっているもうひとつの世界」
「りりむ。ドリームハンター。何にせよ、夢魔の一種か」
 レイナは呟いたが、その背にはじっとりと汗が滲んでいる。
 璃莉夢の正体が何であるにせよ、何の備えもなく彼女のホームフィールドに囚われていることは確かなのだ。
 それがわかっているだけに、レイナからはうかつに手が出せず、じっと璃莉夢の出方を伺うしかない。
(夜明けまで耐えれば、侍女が起こしに来る)
「お姉さん賢いね。普通なら気付かずあたしに襲い掛かってきて返り討ちに合うところだよ」
 レイナの心積もりを見て取り、璃莉夢は大きく頷いて見せる。
「でも、ずっとこうしてるわけにはいかないから。まだまだやっつけなくちゃいけない人がいるんだ。だから、あたしからいくね」
 璃莉夢はそういって、跨っていた抱き枕を、騎士が騎馬に拍車をかけるように両足の踵で蹴った。
 それを迎え撃とうとしたレイナの手刀の電撃がふっと掻き消える。
「くっ!?」
 いつものレイナであれば、ほとんどの敵はこの時点で電撃の洗礼を受けて消し炭になり、近づくことすらできない。
「ごめんね、そのために蝕を起こしてもらったんだあ」
 璃莉夢は罠にかかった獲物を見るような目つきで笑い、抱き枕に跨って宙を飛びながら、ぬいぐるみの羊を振り上げた。
「陛下っ!」
 巨大化して眼前に振り下ろされる羊に、レイナは思わず叫び、それでも咄嗟に相打ちを取ろうと手刀を突き出す。
 ばちっ!
 レイナと璃莉夢が交差した刹那、わずかにレイナの念に力が蘇り、レイナの手刀がもう一度電撃を纏った。
「え!?」
 泡を食った様子の璃莉夢の額に電撃が突き刺さり、ぬいぐるみがレイナを押しつぶした。

「殿下、殿下。朝でございます」
「っ!」
 耳元に聞こえてきた侍女の声に、レイナははっと目を覚ました。
「夜明けか。檸檬水を一杯くれ」
 侍女にうなずいて、首筋から胸元にまとわりついた脂汗を拭いながら、レイナは命じた。
「夢……ではないな」
 レイナは肉体がいつもの感覚を取り戻していることを確認するかのように掌を何度も握ったり開いたりしながら呟いた。
「厄介な」
 レイナは呟いて立ち上がり、着替えるための侍女を呼びつけるため、枕元の鈴を振った。

「っぶなかったあ!」
 そのころ、夢の世界に残された璃莉夢も、冷や汗を拭っていた。
「あれが愛の力ってやつなのかな? っかつくなあ」
 元通り小さくなった羊のぬいぐるみをぽすぽすと両の拳で殴りつける。
「しょーがない。じゃあ次は予定通りミカエルってヤツのトコ行こーかな」
 しかし、ぬいぐるみを殴りつけることであっさりと気分が切り替わったのか、ふたたび抱き枕を踵で蹴って夢の世界を高速で飛び始める。
「あ、あれって噂の鈴鹿御前の夢っぽい? 案外オトメチックな夢だなあ。でもなあ、アイツは蝕でも厄介っぽいもんね。負けはしないと思うけど、今日はやめとこ……あ、あれ新名ちゃんの夢っぽい。んー色気より食い気ですかあ?」
 きょろきょろとあちこちに浮かぶ夢の泡を検分しながら、璃莉夢を乗せた枕は、赤い月へ向かってと上昇してくのだった。


次回予告
ヴァンパイア・アイドル


COMMENT

愛用のグラサン。
1500円くらいだったかな。

http://www.ops.dti.ne.jp/~marekatu/index.html


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