◆陰陽師
カードゲームデザイナー 中井まれかつさん
 冬の早朝の冷たい空気の中、硬いヒールがリズミカルにアスファルトを打つ音が響いた。
 年末の夜の喧騒がついに途絶え、昇らぬ陽が空を白く照らし、立ち込める朝靄の中に大都会の時間が止まったかのように思える一瞬。
 やがて陽が昇れば、人々は動き出し、世界は日常を取り戻す。
 だが今は、人外の者たちの時間だ。
「ふふっ♪」
 長い金髪を揺らして、玉藻ノ前は忍び笑いを漏らした。
 冬のさなかでありながら、ビキニトップにデニム地のホットパンツという真夏の観光地のような服装。
 ローライズの割れ目まで見えそうなヒップからは、長いふさふさした金色の尻尾が九本、舞台衣装の羽飾りのように広がっている。

金毛九尾“玉藻ノ前”
イラスト/あずまゆき

 白面、金毛九尾の妖狐、玉藻ノ前。インド、中国の三つの王朝を滅ぼし、日本においても吉備真備を惑わし、北面の武士の養女として宮中に参内するや鳥羽天皇の寵愛を受けた妖狐である。
 正体を暴かれ、那須野にて倒された後も強い妖気を発する石と変じて人々を脅かし、殺生石と呼ばれたほどの古く、危険な妖怪である。
「あれがいいかな?」
 酔いつぶれて道端に倒れ込んだ人影を見つけ、踊るような足取りで近づいていく。
「どうやって遊ぼうかなー♪」
 舌なめずりしながら目を輝かせるその表情は、新たな玩具を見つけた無邪気で残酷な子供のものだ。
「お待ちなさい」
 その玉藻ノ前に、背後から声がかけられた。
「ん〜?」
 不思議そうな表情で玉藻は振り返る。
 そこに立っていたのは、白い狩衣姿の、黒髪の女性。
「その人をどうなさるおつもりですか?」
 静かな知性の輝きを深く湛えた黒い瞳をまっすぐに玉藻ノ前に向けて、女性は尋ねた。
「おっかしいなあ。普通の人間は動けなくなってるはずなのに」
 玉藻ノ前は質問は無視して首を傾げた。
「この妖気の中では、確かに普通の人間は活動はおろか、生死も怪しいでしょうね。玉藻ノ前」
 女性は軽くため息を漏らしながらうなずいた。
「あんた、誰?」
 玉藻は尋ねた。
「つまり、普通の人間じゃないってことだよね……あたしらの血は混じってるみたいだけど、そんなの別に珍しくないし。ダークロアじゃないよね?」
 人に化けた獣が人と契りを交わした伝説は世界中に広がっている。
 その子孫もまた世界中に広がり、その中から先祖返りを起こした者たちの多くがダークロアに所属している。
「土御門紗綾と申します。阿羅耶識に籍を置いております」

陰陽家“土御門 紗綾”
イラスト/COM

「つちみかど……?」
 玉藻は首を捻った。
 土御門家は元は安倍を名乗っていた陰陽師の一族である。
 南北朝時代に家名を土御門と変えた後、天和年間に天皇によって陰陽師の宗家とされた。
 先祖の安倍晴明は実在の陰陽師にして『占事略決』の著者であり、真偽入り混じった数々の逸話を残す伝説の陰陽道の達人である。
 かつて玉藻の正体を暴き、倒したのも晴明の子孫の陰陽師であるのだが、その時点ではまだ土御門を名乗ってはいなかった。
「……確かに、私どもの祖が白狐を母とする、という伝承はございますが」
 紗綾は眉をひそめた。
 晴明の出生、出自は史実・系図以外にも諸説入り乱れている。
 その中に、父、安倍保名が信太の森に棲む白狐、葛の葉を妻とし、その間に晴明が生まれた、というものがある。
 浄瑠璃の題材ともなっており、人口に膾炙した物語だ。
「伝説には真実が含まれているもの、とはいえ……にわかには首肯いたしかねます」
 紗綾の言葉に玉藻はにやにやと笑って応じる。
「あたしの存在だってそうじゃない?」
「……確かに」
 一本取られた、という表情で紗綾は頷いた。
「ところで、私の質問にもお答えいただけませんか?」
「え? なんだっけ?」
 玉藻は真顔で聞き返した。
 元来気ままな性格の者が多いダークロアではあるが、玉藻はその中でも群を抜いて気まぐれ、我が侭、移り気である。
 興味を抱いたものにはまっしぐらで突き進み、興味が無くなればあっさりと忘れる。
 今回も、興味が紗綾に移った瞬間にそれ以前の思考や感情はあっさりと消えてしまったようだ。
「…………」
 紗綾はさすがに困った表情をした。
 最近この辺りの人間に危害を与える妖怪として、玉藻の前の対処の任を受けたのだが、この様子では危害を加えた自覚があるかどうかも怪しい。
 会話が成立しない可能性もある。
 気を取り直して、紗綾は口を開いた。
「ひとつ、お願いがあるのですが」
「なあに? 遠縁の誼で聞いてあげてもいいけど」
「人界の者の多くは、あなたの妖気に耐えられません。里から離れて、山にお帰りいただけませんか」
「えーっ!?」
 玉藻の前はあからさまに不愉快そうな態度をあらわにした。
「こーんな面白いとこから山に帰れって? なんのケンリがあってそんなこと言うのよ」
 玉藻は、覚えたての言葉をたどたどしく使って抗弁する。
「ですから、あなたの妖気で危害を受ける者が多いのです」
「人間なんか少しぐらい減ったっていーじゃない」
 ばかばかしい、という表情で玉藻は笑った。
「やはり、お話になりませんか」
 半ば予期していたとはいえ、紗綾は困った顔で言った。
「そうなると、実力行使ということになるのですが」
「へーえ。面白いじゃない」
 玉藻は不敵な表情で笑った。
「あんた、あたしを石にしたやつにも似てるね。そういや、あいつもうちらの血を引いてたっけ」
 話すうちに玉藻の目はきりきりと鋭く吊りあがっていく。
「思い出したらなんかむかむかしてきたなっ」
 いいながら、ひゅん、と風を切って、紗綾の顔をめがけて赤いヒールを履いた脚を蹴り上げる。
 それを、紗綾は宙に指先で五芒星を描いてその蹴りを受け止める。
「それでは、遠慮なく」
 紗綾は会釈して、さらに宙に白黒ふたつの勾玉が組みあった、陰陽合一、太極を表す図形を描いていく。
「!?」
 その輝きに、玉藻は長く生きた妖怪特有の直観からくるいやな気配を感じた。
「やな感じだねっ」
 ぎらり、と目を輝かせて尻尾をざわざわと揺らして、金色に輝く妖気を吹き出させ、紗綾が描いた図形にたたきつけた。
「解呪ですか」
 つぶやいて、紗綾はさすがに焦りの表情を浮かべる。
 攻撃力を増強する太極陣の呪法を封じられると、紗綾には玉藻に対する決め手がなくなる。
 長丁場をこらえて玉藻が去ってくれることを祈るしかなくなる。
「こんな力があったとは……」
「遠縁だっていったでしょーぉ」
 苦々しげにつぶやく紗綾に、玉藻は自慢げに笑った。
「あんたらの生意気な術だって……」
 見よう見まねで紗綾が描いたのと同じ五芒星を描いて見せる。
「……どうやら遠縁というのは本当のようですね」
 紗綾は背にじわりと冷たい汗を感じながら言った。
 術を解呪されたうえに、ささやかなものとはいえ術をコピーされては、かなり厳しい。
 しかし、次の瞬間玉藻はひらりと身を翻して、高層ビルの屋上に跳びあがる。
「めんどくさそうだからまた今度ねっ」
 そして、ひらひらと手を振って、陽が差し始めたビルの間に溶けるように姿を消す。
「……ふぅ」
 まさしくひと息ついて、紗綾は懐から取り出した袱紗で額に滲んだ冷や汗を拭った。
「これで山へ帰ってくれれば助かるのですけれど」
 現代生活にすっかり馴染んだ様子の玉藻の姿を思い返して、紗綾は暗い表情になった。
「確かに味方になっていただければ頼もしいのかもしれませんが」
 あの性格ではそれも怪しいと思いながら、紗綾は、はぁ、とため息をつき、くるり、と踵を返して歩き出した。
「……もう一度対策を練り直さなければなりませんね」
 朝日に照らされ、ゆっくりと朝靄が晴れて行くなか、対照的に紗綾の表情は晴れなかった。


次回予告
ダンジョンハック!



COMMENT

愛用のグラサン。
1500円くらいだったかな。

http://www.ops.dti.ne.jp/~marekatu/index.html


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