◆月の巫女
カードゲームデザイナー 中井まれかつさん
 宇宙、特に太陽から地球に降り注ぐ帯電粒子、すなわちプラズマの大半は、大気圏に達する前に、地球を覆う磁力の網に絡めとられる。
 絡め取られ、螺旋状に渦を巻いて磁極の間を飛び交うプラズマによって形成されているのが、発見者の名をそのままとって命名された、ヴァン・アレン帯だ。
 その、ヴァン・アレン帯からこぼれたプラズマが、地球大気の窒素などに作用して起きる発光現象が、オーロラである。
  夜明けの女神の名を持つこの現象は、ヴァン・アレン帯の隙間、南北両磁極近くで起きることが多く、しかも夜でなければ観測することは難しいとされている。
  しかし、ごく稀に地磁気の乱れにより、低緯度でも、そして昼間でも観測されることがある。
  大規模な地磁気異常、あるいは磁気嵐に伴うこの現象を、通常のオーロラと区別して、低緯度オーロラと呼ぶ。
  この低緯度オーロラの多くは、大気中の酸素を発光させるため、赤い光として観測される。
  日本書紀などの古文書にも『赤気』として記録が残されており、吉兆とも、あるいは凶兆とも受け取られ、ともかくも、古来より極々珍しい現象と認識されている。
 その、低緯度オーロラが、磁気異常が、極星帝国側の地球では頻発している。
 夕暮れはもちろん、夜明け、そして真昼でも、空が赤く、妖しく染まることが珍しくない。
 その磁気異常が、次元の壁に穴を開けた影響であるのか、はたまた別の原因によるものなのかは、未だ特定されてはいない。
  そんな、赤く光る夜空の下を、ひとりの少女が歩いている。
  素足で、しゃく、と白い砂を踏みしめて、点々と小さな足跡を長い砂浜に残していく。
  ざざぁん、ざざざざ……。
  暗い海から寄せては返す波に白い砂が洗われる砂浜を歩く少女は、首や手足に金銀の環飾りを嵌め、小さな耳たぶには大玉の宝玉が揺れている。
  目の粗い、ごくわずかに緑がかった白い布地二枚を、肩と腋の数箇所を紐で結び留めただけの貫頭衣。
  赤い光のせいか、黒とも藍色とも見える短めの髪を、冠のようにも見える髪留めで押さえて額を露出させたその少女の名を、ヒナ・アルレスカという。

月の巫女 “ヒナ・アルレスカ”
イラスト/大野哲也

 ヒナは、まだ幼さの残る外見ながら、極星皇帝より姓を賜った、極星帝国はムー王国に仕える、れっきとした巫女である。
 赤い光に照らされた、夜の海岸をひとり歩くヒナが、海辺に突き出した岩の手前で足を止める。
 無造作に貫頭衣を脱ぎ、岩に生えた樹木の枝にかける。
 下着とも思えぬ薄い小さな布で胸元と腰だけを覆った姿になると、樹木の若枝をぱきり、と折って、さぱ、と静かな水音を立てて波間に足を踏み入れる。
 手にした枝で海水を跳ね上げ、自らの肌に水滴を弾ませながら、慣れた足取りで膝上まで波間に沈め、波に下半身を委ね、自らは枝を振って上半身を夜の冷たい海水で洗い清めていく。
 雲間に揺れる赤い月をちらりと見上げて、俯いて静かに瞼を閉じる。
 ぱしゃ、しゃぱっ。
 枝が水面に踊る音だけが静かに響く中、ヒナの額にぴし、と奇妙な線が走った。
 両の瞼は閉じたまま、顔を上げる。
 月明かりに照らされたその顔の額に浮かんだ傷口が、ぱくりと上下に割れた。
 その瞬間、雲が晴れ、満月が顔を出した。
 低緯度オーロラも瞬時に消えうせ、青くすら見える漆黒の夜空に、無数の星々と、白く輝く満月。
 月の光に照らし出された巫女の額には、不思議な色合いの第三の眼が輝いていた。
 月の光が、ヒナの手の枝葉が跳ね上げる飛沫に反射し、小さな虹が浮かんでは消える。
 ヒナは、額の眼のみを開いたまま、一心に祈り、身を清め続ける。
 ぎしゃん。ぎしゅっ。
 と、不意に背後で無粋な金属音が響いた。
「!」
 はっと三つの眼を全て見開いて振り返った少女の目に映ったのは、美しいプラチナ・ブロンドの髪を短く刈り込んだ、少年時代を今まさに脱しようとしている顔に驚愕の表情を浮かべたひとりの騎士だった。
「あ、あの、すいませんっ!」
 彼の体型に合わせて誂えられ、磨きぬかれた金属鎧の背に大盾を担ぎ、腰に長剣を佩いた騎士は、低緯度オーロラのせいではない、赤く染まった顔を、振り返って晒されたヒナの肢体の正面から背けた。
「沐浴の邪魔をするつもりは……! まして、覗きをするような気はさらさら、まったく、皇帝陛下に誓って……!」
 金属の篭手で顔面を覆い、首も視線も左右に彷徨わせ続ける騎士に、ヒナは静かに首を振った。
「ちょうど終わるところでしたからご心配なく」
 枝を波に流し、海水に濡れて透けた布地一枚を貼り付けただけの姿で、ヒナは浜に向かって波を掻き分け始める。
「や、社の方にお聞きしたところ、こ、こちらだと伺ったもので……」
 言い訳のような言葉を呟き続ける騎士に、ヒナは尋ねた。
「あの、見ればアトランティスかレムリアか……いずれ余所の王家にお仕えの騎士さまとお見受けいたしますが、失礼ですがお目にかかった記憶がございません。どちらさまでしょうか?」
「あ、こここ、これは失礼! ぼく……じゃなくて、それがしはレナス・コルネフォロス。この度氷大公より準男爵を拝命した、マケドニアの騎士です」

指揮官 “レナス・コルネフォロス”
イラスト/金田榮路

 名乗られても、ヒナにはその名前に覚えはなかった。
 半裸を異性の目前に晒したままでありながら、羞恥心のかけらもない恬然とした表情と態度のまま、しかしわずかに首を傾げる。
「コルネフォロスさま。それで、あの……私に何か御用でしょうか? 祈りや託宣でしたら、日を改めて社にいらしていただけますか」
「レナス、とお呼びいただいて結構です、アルレスカどの」
 レナスは膝をついて恭しく告げるが、俯いた顔はいまだヒナを直視できずにいる。
「そ、それがしは、十将軍筆頭レイナ・アークトゥルス殿下の命により、アルレスカどのをお連れに参りました」
「レナスさま。私も、ヒナで構いません」
 そう応えながらも、皇帝の右腕、アトランティスの姫将軍の名を聞いてヒナの表情がわずかに曇る。
「レイナ様のご命令とはなんでしょうか? 私などに何を……?」
「この度、某に一部隊を率いての殿下の征伐行の一翼を担う命が下りました。ついては、その行軍に、ヒナどのに同行いただくよう、とのご命令です」
 レナスの表現は騎士の女性に対する礼儀にのっとり婉曲なものだが、レイナの命である以上、それはヒナに対しても逆らうことの許されない命令である。
「ご準備等あるかとは存じますが、まずはご挨拶を、と思いまして……」
 ここで、レナスは耳を赤く染めて視線を彷徨わせる。しかし、気付けばヒナの濡れた白い脚に視線が吸い寄せられてしまう。
「そうですか……わかりました」
 ヒナは、曇る気持ちを隠して、頷いた。
 頭上では、その心の動きの影響か、月が雲に覆い隠され始めている。
「よろしくおねがいします」
 ぺこり、と頭を下げる動きに、レナスは明るい表情になって思わずヒナを見上げようと顔をあげる。
「こちらこそ! よろしく……」
 と、細い脛から滑らかな曲線を描いて続く太腿、海水を無数の水滴として弾くきめ細かい肌がレナスの目前に迫る。、
 さらにその先がちらりと視界に入るや、もはやを発することもできず、再び真っ赤になって頭を下げるしかないレナスだった。


次回予告

次回 生命なきもの



COMMENT

愛用のグラサン。
1500円くらいだったかな。

http://www.ops.dti.ne.jp/~marekatu/index.html


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