◆式神
カードゲームデザイナー 中井まれかつさん
  じゅうじゅうという音とともに、滴り落ちた魚の脂の焼ける匂いが漂う。
  味噌汁の鍋がふつふつと煮立ち始める。
  とんとんとん。とんとんとんとん。
  リズミカルに包丁がまな板を打つ音が響く。
「もうすぐできますから、皆さんを起こしてください」
  葱を刻む手を休めずに振り返ったのは、割烹着を着た女性。
  長い艶やかな黒髪をきっちりと結い上げていることで露になっている項に、黒々と「死」の文字が浮かんでいる。
  彼女の名は死式。陰陽道の術により作り出され、仮初めの命を与えられた式神だ。

式神死式
イラスト/千道万里(PEACH - PIT)

「はい」
  死式の言葉に頷いたのは、幼女と言っていい外見に、死式と揃いの割烹着を着て、黒髪を三角巾で覆った少女。
  少女は参式と呼ばれる、やはり死式と同じく式神である。

式神参式
イラスト/森崎くるみ

 台所と続きになった畳敷きの居間の卓袱台に、ほうれん草のおひたし、納豆などの椀を並べていた手を休めて腰をあげる。
  そこに、束帯姿の女性が姿を表した。
「紗綾さま、おはようございます」
  参式と死式は、その女性に深々と頭を下げ、異口同音に挨拶した。
「おはよう」
  彼女の名は土御門紗綾。天才陰陽師安倍晴明の血を引く陰陽道宗家の当主であり、阿羅耶識の陰陽師たちの長である。

陰陽家“土御門 紗綾”
イラスト/COM

 卓袱台の前に正座しながら、紗綾は懐から札の束を取り出した。
「起こすのは刹那をやりますから、参は配膳を続けてちょうだい」
  そう言って、びっしりと呪文の書き込まれた札を宙に放り上げ、指で印を組む。
  と、宙に舞う無数の札がたちまちまとまり、人の態を為して行く。
「お呼びですかっ」
  紗綾に呼び出された式神は、和紙の和服姿で卓袱台の上にちょこんと正座した。
  ややカールした明るい色の髪を、耳の上で結んだこの式神は、刹那式と呼ばれている。

式神刹那式
イラスト/珠梨やすゆき

「九と百、それに那由多を起こしてきてちょうだい。今日は弐も居るはずよ」
「はーいっ」
  ぴん、と指を揃えた片手をまっすぐに上げた刹那式は、宙を飛ぶような軽やかな足取りで卓袱台から降り立ち、居間を飛び出して行く。
「そんなことに紗綾さまのお力を使われては、お仕事に差し支えましょうに」
  大根おろしを添えた焼き魚を載せた皿と味噌汁の椀をお盆に載せて運んできた死式が、紗綾の隣に膝をついて、心配そうな眼差しを向ける。
「これぐらいは平気ですよ。なるべく呼んであげないと、刹那は寂しがりますし」
  死式とふたり、紗綾を挟むように座った参式から、炊き立ての白飯のよそられた茶碗を受け取りながら、紗綾は微笑んだ。
「お早う」
  そこに、袴姿の額に「九」と書かれた少女が入ってきて、刹那式が開け放した襖を静かに締めた。
「おはよう、九。刹那とは行き違いましたか?」
  手にした刀をそっと畳に置き、卓袱台についた少女は、式神九式。

式神九式
イラスト/ごとP

「おはようございます。すぐにお食事を持って行きますね」
  甲斐甲斐しく朝食を運びに台所に戻る死式に礼を言った後、九式は紗綾に向かって唇を尖らせた。
「ありがとう。……紗綾さま、わずかな寝坊であんな小煩いのを寄越されては迷惑というものです」
「それは御免なさい。でも、刹那もなるべく皆と過ごさせてやりたいのですよ」
  紗綾は味噌汁の椀に口をつけながら微笑した。

 この、京都は一条戻橋のほど近くにある紗綾の屋敷には、数体の式神たちが暮らしている。
  彼女たちはいずれも、安倍晴明自身が作り出した強力な式神であり、ときに十二神将とも呼ばれている。
  式神の中には特定の術者に半永久的に仕えているものもおり、十二体全てがこの屋敷にいるわけではないが、その管理は晴明の子孫である土御門家当主の役目であり、阿羅耶識の術者に貸し出されていないときは、こうして紗綾の屋敷で暮らしている。
「はよー」
「もーにーん」
  口々に気だるげな口調で挨拶しながら居間に足を踏み入れたのは、ともに豊満な身体を、それぞれTシャツ一枚と、タンクトップとショートパンツに包んだ二体の式神だった。
  鬼のような角の生えた、Tシャツ姿の式神が式神弐式。この屋敷に起居する式神の中では最も古い式神である。

式神弐式
イラスト/松沢慧

 そのため、存在はあまり安定しておらず、与えられた霊力を使い果たせば符に戻ってしまい、姿の見えないこともしばしばである。
  一方の、長い金髪にタンクトップとショートパンツ姿の、白人のような外見の式神の名は百式。

式神 “百式”
イラスト/金田榮路

 周囲の術を捻じ曲げ、吸収することで己の存在を維持する霊力を補充する、半永久的に存在し続けることのできる式神だ。
「また、朝食の席にそのようなはしたない恰好で」
「楽なんだもーん」
「よっこらっせっ、と…」
  眉をひそめる九式の言葉を受け流しながら、弐式と百式は、紗綾と九式と四人で正方形を描くように、向かい合って卓袱台につく。
  百式が乱れた金髪をまとめて縛っている間に、死式が焼き魚と味噌汁を運び、参式が飯をよそう。
「いただきまーす」
  弐式は朝食に向かって両手を合わせ、納豆をかきまぜはじめる。
「那由多が弐や百より遅いとは珍しいのう」
  参式手製のぬか漬けを、こりこりと奥歯で噛み締めながら九式が首を傾げる。
「あー、なんか着替えに時間かかってるみたい」
「着替え? 九じゃあるまいし、そんな時間かかるもんか?」
  百式の言葉に、弐式が不思議そうに眉を跳ね上げる。
  と、そこに刹那式が勢いよく飛び込んで来た。
「じゃじゃーん! 那由多の制服姿お披露目ーっ」
「刹那ったら……おはようございます……遅くなりました」
  刹那式に続いて、照れくさそうに姿を現したのは、赤い髪を結い、白線も眩しい真新しいセーラー服に身を包んだ少女である。

式神“那由多式”
イラスト/七瀬葵

「よくお似合いですよ」
「うむうむ」
  死式や九式が褒める中、紗綾は得心した表情で頷いた。
「そうか、今日から中学に上がるのでしたね」
「はいっ」
  紗綾の言葉に、那由多式は嬉しそうに返事をした。
「式神とはいえ、早いものですねえ」
  紗綾は目を細めて、九式と百式の間に座った那由多式の制服姿を眺めた。
  というのも、那由多式はつい先ごろまで、千年以上の長きに渡って赤ん坊の姿の式神だったからだ。
  手間はかからず、秘められた強大な霊力は感じるものの、戦闘はもちろん、雑用にも使えない、謎の式神であった。
  その那由多式が、急速に成長し始めたのは、ほんの数年前のことだ。
  人間の数倍の速度で成長する那由多式だったが、知識や感情の成長は人間とまったく変わりなかった。
  紗綾はこの式神を、式神を人間に近づけようとしたか、式神で人間を作り出そうとした晴明の実験と考え、人間の子供と同様に育てることにしたのだった。
  その那由多式が、今日から鳳学院中等部に通うことになっている。
  鳳学院は、阿羅耶識の霊能者を教育、保護するための女子校だ。
「学長や奈々様によろしく言ってありますから、しっかりと勉学に励むのですよ」
「はいっ」
  紗綾の言葉に、那由多式は頬を紅潮させて頷いた。
「いーなー。あたしも学校行ってみたーい」
  刹那式がうらやましそうにセーラー襟を突付く。
  那由多式にご飯をよそった茶碗を差し出す参式も、口には出さないがうらやましげな、寂しげな視線を制服に送る。
「式神だからっていじめられたりしたらすぐ言えよ。すっとんでってやるから」
  納豆かけご飯をかきこみながら、弐式が言った。
「そのような不心得者が居ても、那由多ならばどうにでも対応できよう」
「そーそー。弐が出て行ったほうがよっぽど大事になるって」
  弐式を嗜める九式の言葉に頷く百式は、金髪碧眼の外見に似合わぬ器用な箸遣いで焼き魚を骨だけにしていく。
「那由多ならそんなことはないと思いますよ。すぐにお友達もできますよ。ところで、時間は大丈夫?」
  お茶を入れた湯飲みを卓袱台に並べていく死式の言葉に、那由多式は慌てて柱時計に目を向ける。
「きゃっ。もうこんな時間っ。ごちそうさまでしたっ」
  程よい温度のお茶を急いで飲み干して立ち上がり、制服のスカートを翻して駆け出していく那由多式だった。

次回予告
次回 ルシフェルの帰還



COMMENT

愛用のグラサン。
1500円くらいだったかな。

http://www.ops.dti.ne.jp/~marekatu/index.html


AquarianAge Official Home Page © BROCCOLI