アクエリアンエイジ フラグメンツ〜調和の杯〜

断片1「斎の宮姫とギャンブル巫女」

 目の前に、金髪碧眼の巫女がいて、ささやくような声で、
「ちょっと、こちらでお待ち下さいましね」
 と言った。

 むーっ。
 たぶん英国人だと思うが。
 典型的な西洋人顔に、白衣・緋袴の巫女装束の組み合わせ。
 タダ者ではない。
 何者だ?
 秘められた過去とか。
 よんどころない事情とか。
 ドラマチックな境遇とか。
 何かいろいろありそうじゃないか。

 うぬぬ、作為もないのに私より目立つとは。
 こやつ、出来る。こやつの中には、何かある。

 桜崎翔子は、「ありきたりでないもの」が大好きだ。普通でないものは、それだけで強い潜在力を秘めているからだ。
 パツキン巫女。その手があったか。
 これは負けていられない。
 目の周りをパンダ塗りにするくらいの芸は見せたほうが良かったのではないか。

“バニーガールの耳をつけた巫女” 桜崎翔子は、控え室の椅子に座って一本足でバランスをとりながら、そんなことを思った。

 戸がからりと開いて、
「どうぞ、ひめ宮さまがお会いになられます」
 さきほどの金髪巫女が清げなウィスパーボイスで言った。

「わかったでござるにゃー」
 翔子はウサギ耳をほよよんほよんと揺らして立ち上がる。

 そうして翔子は、板張りの広い部屋に通された。
 時代劇に出てきそうな……それも、平安時代とかを扱ったドラマに出てきそうな部屋だ。左側は庭に面していて、蔀戸しとみどというのか、格子を組んだ板戸が跳ね上げてあり、午後の光がやさしく差し込んでいる。

 翔子は部屋のまんなかにどっかりと座った。

 上座は一段高くなっており、御簾みすがおろされていた。その中の人物が、かわいらしい声で言った。
「睡蓮(すいれん)、これを上げて頂戴な」

 翔子の斜めうしろに控えていた金髪巫女が進み出て、手慣れた様子で御簾みすをするすると巻き上げた。

 すると、子供のように小柄な女の子がちょこんと座り、にっこり笑っていた。

 ズボンのように別れた緋色の差袴さしこに、白い小袿こうちぎ。袖に赤い飾り縫いをほどこした格衣かくえを、くつろいだ様子で着崩している。髪には鈴のついた髪飾り。
 その鈴が、首をかしげた拍子にちりんと鳴る。

「翔子、ご苦労さまでした。……愉快な座り方ね?」
「いやー、最近ちょっとストレッチをさぼってたもので」

 翔子はいつのまにか、頭のうしろに両足首をひっかけてヨガのポーズをとっていたのだった。起き上がりこぼしのように左右に揺れてみせると、少女がくすくす笑う。

「やー、あかりさまもご機嫌そうで」
「そうでもないわ、まいにちがたーいくつ。お客さんが来るのだけが楽しみなのよ」

 日本国内の「阿羅耶識」のなかで、トップクラスの格式をもつ巫女のひとり。斎王・伊勢あかりはそういって手のひらをひらひらさせた。
 かつて、中世においては、皇族の未婚女性たちがシャーマンとして神に仕えた。これを斎王と呼んだ。現代では慣習が変化し、皇族から選ばれるのではなく、託宣によって一般社会から「発見」される。
 伊勢あかりは、そのようにして選ばれた、日本の巫女たちの頂上に立つ少女である。

 桜崎翔子は、伊勢あかりの背後にいる気配に意識の一部を向けている。
 いったい本人は、気づいているのだろうか。その超常的な存在を。
 目には見えない。けれど、存在感が映像として感じられる。
 それは「古代の服」としかいいようのない、朝焼け色の美しい衣装を身にまとった、男性とも女性とも区別がつかない人の姿だ。服の布地には、雲母うんも螺鈿らでんの細工が、星のようにちりばめられている。
 飾りのついた、緋色の鞘の長剣を佩いている。黄金で縁取りされ、まぶしいほどの宝石があしらわれている。
 冠にも金の飾り。金糸と赤糸のまじった房がたっぷりと垂れ下がっていて、半ば顔を覆い隠しており、容貌がわからない。
 が、もし見えたとしても、顔を見る気にはなれなかっただろう。まともに意識を向けたら脳が焼けてしまいそうだ。

 そんな存在が、まるで伊勢あかりを守るように背後に立っているのだ。

 ああおそろしいおそろしい。あんなものがついていてよく平気なものだ。
 あんなすごいのがついてたら、サイコロを振ったら毎回必ずピンゾロのアラシが出そうだ。
 トランプをやったら、必ず21が回ってくるようなもんだ。
 たぶんこの人、ブタ手なんて見たことないにちがいない。

「お宮にいると、おばーちゃんたちの顔しか見ないからしんきくさくって。翔子ももっとたくさん来てくれないといやよ」
「おそば付きの巫女もずいぶんと変わりだねで。退屈がこじれて変人コレクションでも始められましたかにゃー」
「睡蓮のこと? この子はもう何年もこの宮に仕えているのよ」

 そばに控えていた金髪碧眼の睡蓮が、黙したまま一礼した。なるほど、日本語の発音だけでなく行儀作法も完璧だ。翔子はヨガのポーズでぐるんぐるん転がりながらそう思った。

「で、翔子、どうだった?」
「ハイ。えー。厳島んとこはバーさんがたがうるさくてちょー窮屈でした」
「それはここも同じだけどね」
「きゅーたいいぜん、っていうんですかねー。昔ながらの鎖国状態がなつかしいらしくて、若い巫女たちにそういうことをさりげなく吹き込んでましたがー」
「しょうがないわね、古い人は。大きな造反の動きはないのね?」
「ご老体は、なんせご老体ですから、ブツクサ言うばかりでそんな元気はありそうにないですにゃー」

 阿羅耶識は神話時代に起源を持つ、とても古くて巨大な組織だ。
 いや、厳密には組織とすらいえない。世界中の霊能者たちによる同盟、といったほうが近いかもしれない。中国にも、東南アジアにも、インドにも南米にも阿羅耶識はある。
 日本の阿羅耶識は有力、かつ組織化が進んでいるほうだが、それでも決して一枚岩ではない。
 寺社ごとに、格式の上下はあるが、上から下への命令系統がきちんと整備されているわけではない。独自判断で動くことが多い、分散型の活動形態なのだ。
 有力な寺社がそれぞれに発言力を持っており、つまり派閥がある。

 桜崎翔子は、あかりのために、他の派閥の動向をさぐるエージェントを務めているのだ。
 よその神社や神宮に新入りとして入り込み、様子をうかがってくる、というのが、主な仕事であった。
「こんな目立つ女がスパイだとは誰も思わない」というのが、つけこみどころである。

 伊勢あかりは、童顔をかしげて、ちいさなため息をついた。外見だけ見たら、小学生と間違われてもおかしくない。

「伝統があるって、こういうとき面倒ね。おじいちゃんやおばあちゃんがたがいまだに発言力を持っているんだもの」
「E.G.O.やダークロアとの部分的な同盟を完全破棄して、阿羅耶識だけで覇を唱えよう、みたいな論調もまだいっぱいありますにょん」
「あきらかに状況が見えてないわ、それは。脳が止まっているのね」

 WIZ-DOM、ダークロアとの、三つどもえの覇権闘争をしていたころとは、時代がちがうのだ。
 イレイザー、そして極星帝国という、「外世界からの侵略者」の危機にさらされている、そのことがまるでわかっていない。
 この2つの外敵は、単体で、地球人類をまるごと全部合わせたよりも巨大なのだ。
 旧来の地球側4勢力が完全同盟をむすんだとしても、まだ戦力が足りないくらいなのに、老人たちは何を言っているのか。

 阿羅耶識は、すみやかに世代交代が完遂されねばならない、というのが、伊勢あかりの考えである。
 それは斎王としては、型破りといえた。阿羅耶識の斎王は、儀式ごとだけをおこない、実際的な活動には触らないのが通例であるからだ。

「鹿島や春日は、どうだった?」
「鹿せんべいおいしくなかったですー」
「そうじゃなくって」
「鹿島は居心地よかったっす。春日はできれば独自路線を歩みたいなーみたいな雰囲気がちらほら? でも今にも急にって感じではないです」
「ほかに気づいたことは? あなたのことだから、ついでにいろいろ冒険してきたんでしょう?」
「えー? んふふふふ」

 翔子は曲芸じみた体勢をといて、あぐらをかいた。

「そういえば、わりとおもしろいのとお近づきになりましたよー。こんど連れてきまっす」
「あら、どうおもしろいの?」
「全体的にふつーなんですけど、ちょっと異常なんです」
「ああ、あなたは全体的に異常だけど、ちょっと普通だものね」
「んわー、またそういう心にクることを言うー」
「そうそう、お仕事のごほうびなんだけど、こんなもので良かったの?」

 伊勢あかりは、ふところから、ふくさに包んだものを取り出した。
 そこには、あかりの小さな手のひらと同じくらいのサイズの鏡が包まれていた。
 飾り彫りがほどこされた木枠がついているので、鏡じたいはかなり小さい。

「あーそれそれ、それを待ってたですのよー。貰っちゃっていいんですかー」
「一応、私が作ったものだけど、レプリカよ? いいの?」
「じゅうぶんですー。本物なんて触ったら焼け死にます。ああもー、これがあったら配牌で必ずドラが乗る……」

「お待ち下さいませ」
 控えていた睡蓮がウィスパーボイスで言った。

「どうしたの? 睡蓮」
「それを桜崎さまにお渡ししてはいけません」
「どうして?」
「それは……」

 突然。
 ゆらりと立ち上がった睡蓮の身体から、青白い妖気があふれだした。

「それに宿った太陽のお力を、私が横取り申し上げるからでございますわ、ひめ宮さま」

 歓喜のような表情をうかべて、目をみひらいた睡蓮が、ゆっくりと右手をさしのばし……。
 指先から何かを飛ばすように、勢いよく伊勢あかりの胸を指さした!


  伊勢あかり

伊勢あかり


 現代の斎宮。巫女の中の巫女。
 日本の阿羅耶識を束ねるための権威的存在、象徴的存在。儀式や祭祀を行なうのが主な仕事で、実務にはたずさわらないのが通例。だが彼女は、その前例を打破しようと考えているようだ。

 一切のけがれを受けてはならない身なので、本来は、斎宮殿の外に出てはならない決まりになっている。
 が、おちゃめな彼女はときどき決まりをさらっと無視する。水戸黄門のようにおしのびで悪をこらしめたことが何度かあるらしい。

 少女漫画の膨大なコレクションを持っている。恋に恋するお年頃。

 
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