断片1「デスブリンガー」
闇の中に、ろうそくの灯りがある。
その小さな灯りのなかに、白い美しい手が浮かび上がる。
「おいで」
手の主が招く。
闇の一角に、別の人物の気配があらわれる。子供のような気配だ。たよりない足取りで、灯りに向かって歩いてくる。その息づかい。髪の毛が服に擦れる音。
「良い子だ」
白い手が、髪をそっと、撫でてやる。
「新しい遊びを教えてあげようね」
☆
午後8時10分。小石川愛美は代々木の雑居ビルの3階にいた。
高校生向けの学習塾になっているのである。
白い天井に整然と並んだ直管の蛍光灯。
整然と並んだ長机。
整然と並んだ塾生徒たち。小石川愛美はそのひとりだ。
ペン先がホワイトボードをこする音が、単調なリズムとして頭にしみついて、眠い……。
窓際の席だったので、窓の外にある夜の通りを見おろしてみた。
眠くて死にそうだったので、いったん気持ちをリセットしようと思ったのだ。
変なものを見た。
いや、ぱっと見は変でもなんでもなかった。どこかの制服っぽい紺のブレザーを着た、髪の長い小柄な女の子が歩いているのだった。グレーのタータンチェック・スカートが揺れている。
その子は横断歩道を渡っていた。肩のところまで、ちっちゃく手を挙げて青信号を渡る。それも一向おかしくはない。
女の子は、車道をそうやって渡りきると、ふり返って、立ち止まる。
そして信号が赤になり、また青になるのを待つ。
青になったら、また横断歩道を渡りだした。
いま渡ったばかりの車道を。
ブレザー姿の女の子が、行ったりきたり、そんなことをえんえん繰り返しているのを、小石川愛美はガラス越しに見おろしていた。
(えっとぉ……)
ヘンな人を見つけてしまうのは、体質かなんかだろうか。
講義がおわった。愛美は荷物をばさばさとカバンに放り込み、教室を出た。小走りに階段を下りた。横断歩道のところまで出た。
いない。
あたりをきょろきょろしてみると、あの特徴的な長い髪が揺れて、歩道の人混みにまぎれるのが見えた。
追いかける。
ダンスステップみたいに人混みをすりぬけて小さく走る。
しかしすぐ立ち止まる。
見失った。
どうしてこんなに気になるんだろう。
愛美は走るのをやめて歩き出した。ゆっくりと追いかけることにしたのだ。方向はカン。地図はさっぱり読めないが、愛美は迷子になったことも、目的地に着けなかったことも一度もない。ときどき友達にカーナビ女と呼ばれる。
路地裏に入り、裏道に出て、また細い道を曲がる。繁華街は過ぎ去り、住宅街が始まっている。
あ、
いた。
家並みのあいだに、わりあい大きい公園があった。お寺とワンセットになっている感じの公園だ。その街灯の下に、ブランコがあって、あの小柄な女の子が座っていた。
愛美は公園に足を踏み入れ、近づきながら声をかけた。
「あの、こんばんは」
女の子は顔を上げた。
近づく愛美を警戒するでもなく、ちょっと首をかたむけて、ぼんやりした感じで見ている。
女の子の膝の上に、子犬がいた。愛美のほうに目をむけたまま、手は子犬をなでてやっている。
あ、なんか美少女、と愛美は思う。
「あの、つかぬことをうかがいますけど」
ん。
女の子は首を逆方向に小さくかしげた。ねむそうなゆるい微笑。友好的なニュアンス。何かなー、くらいの意味だろうか。
「あのね、あの、横断歩道でしてたことがすっごい気になって、あれ、何してたのかなって」
と愛美は訊いた。
女の子は膝に目を落として、子犬の首輪のまわりをかりかりと掻いてやり、それからまた顔を上げて、やっと考えがまとまった、という感じで口をひらいた。
「いったりきたりしてた」
「うん」
「あっちとこっちを」
「ん?」
いや、だから。それが何なのかを訊きたいんだけど。
と言おうとして、愛美は気づいた。
あ、
かすかに、青い。
例のSFタワーで初めて感じた、あのときの感じだ。
「ね、あなた、WIZ-DOMとかいうところの人?」
女の子が、かくん、とまた逆向きに首をかたむける。
「ちがうの?」
かくん、とまた逆向きにかしぐ。
「わかんない」
うーん。
なんかこう。小鳥みたいな子だなぁ。
うたう小鳥に、一方的に独り言を語りかけているような気分。
そのとき。
女の子の膝から、どさりと子犬が落ちた。
何が起こったのか頭が理解するより先に、直感が愛美の背筋をゾクリとさせた。
子犬は仰向けに転がったまま、身動きひとつしない。
硬直している。
頭が理解した。
死んでる。
さっきまで生きてた犬が、いま、死んだ。
愛美はゆっくりと女の子の顔を見た。
「……あなたが殺したの?」
「うん」
「どうして」
「かわいい……。優しいこいぬ。あったかい。大好き」
「どうして」
愛美は再び訊いた。女の子は答えた。
「私にできるの、このくらいしかないから」
意味がわからない……。
いや。
意味はわかっている。その意味を受け入れることを拒否したいのだ。
女の子は立ち上がった。
そして小さく手をさしだした。愛美のほうを向いた。
「あなたも殺してあげようか?」
彼女は言った。
なにか、祝福をさずけてあげるとでもいうかのように。
好意にみちた顔。
今度遊びに行こうよとか、メルアド交換しようとか。
そんなニュアンスで言われた、その言葉。
「遠慮します」
乾いた舌を動かして、愛美は言った。
「うん、どっちでもいいけど」
女の子は向きをかえて、ゆらりと、たよりない足どりで公園の出口のほうへ歩いていく。
愛美はそれを見送る。
女の子の体は左右にゆらゆら揺れて、長い髪の毛がそれにあわせてシッポのようにゆらゆらと振れる。
道を曲がって、後ろ姿は見えなくなった。
もう追いかける気は起きない。たぶん自分は、この世でいちばんおそろしいものと出会った。
☆
横断歩道。
愛美が渡ったのとは比べものにならない、巨大な横断歩道がある。おそらく日本最大。
渋谷駅前、スクランブル交差点。
ビル壁の巨大スクリーンに、何かのPVが映し出されてちかちかしている。
東海林光は駅側の交差点のはじに立って、信号が変わるのを待っていた。
サマーコートのポケットに手を突っ込んで、たたずんでいる。
信号が青になる。
人体という名の周囲の質量が一斉に動き出す。
東海林光もまっすぐ歩き出した。
――首のうしろが、
ちりちりした。
立ち止まる。交差点の真ん中だ。意識のひだを周囲に広げる。何かを感じ取ろうとした。耳をすます。直感をとぎすます。
上だ!
何かが飛んできた。考えるよりも速く東海林光は電撃で自分を吹き飛ばした。地面と自分を電極化してイオンの爆風をつくりだす。
一瞬前まで彼女がいた場所に、それは着弾した!
同時にすさまじい爆発。
アスファルトが砕けて小さなクレーターができる。
周囲にいた歩行中の十数人が巻き込まれて吹き飛んだ。
15メートルほど後方に飛んで、東海林光はよろめきながら着地する。
あちこちで絶叫が上がった。
スクランブルを渡っていた群衆が半ばパニックを起こしながら逃げ出す。爆心地から少しでも遠ざかろうとして、押し合い、もみ合い、よろめいた者を蹴倒しながら、四方八方に向けて避難する。
東海林光は、その流れに逆らうように、ひとり、交差点の中に立ち止まっている。
道路の中央に着弾したもの。
それは、逆棘のたっぷりついた、長い長い、槍だった。
上空から何かが飛び降りてきた。両足で地面を砕いて着地する。
その人物は悠々と歩いて、深く突き刺さった槍をゆっくりと引き抜いた。
「ハリネズミみたいな格好ね」
と東海林光は言った。
彼女の目にはこう見える。
なめし皮でできた鎧で全身を覆い、逆棘つきの槍をかついだ、猛獣みたいな顔立ちの男。
渋谷区のまんなかには不似合いな格好にちがいなかった。
「出がけに、目立たない格好をしろとカスバドには言われたがな。これでなければ居心地が悪いのよ」
男は答えた。
「お名前は?」と東海林光。
「見知るがいい、アルスターと帝国にその名を轟かす、騎士ク・ホリンの勲を」
「デートのお誘いにしては、悪趣味だわ」
「女豹を一匹、狩りに来た」
「獲物を間違えたって、後悔するわよ」
「後悔させられてみたい。そのくらいのほうがいい」
「ますます趣味じゃないわ」
「俺は血が流れるのを見たい。自分のでもそれ以外でもいい」
「戦争ジャンキーね」
「褒め言葉だ」
「ここで?」
ク・ホリンはぞっとするような笑顔を見せた。
「時間稼ぎはそろそろいいだろう? 邪魔な木っ端どもはあたりに散って、心おきなく戦える頃合いだ」
読まれてた。
心理戦で一手先に取られたことに、東海林光は舌打ちする。
充電率63パーセント。体調いまいち。サポートテレパシストのマインドリンク、なし。
相手の技量。見たらわかる。
光の髪の毛が逆立ちはじめる。彼女は周囲から電気エネルギーを吸収しはじめた。大気から微弱な静電気を集めていく。電線・地下ケーブルからも力を奪い取る。
交通信号が消える。街灯が消えていく。ビル壁のスクリーンの虚像たちが消滅していく……。
☆
避難する群衆。
その人の流れの中に、ひとり立ち止まって、スクランブル交差点の2人を見ている少女がいる。
青いオーラの小さな少女が――リンナ・アルストロメリアが、眠そうな目で、退屈そうに、その様子を眺めている……。
☆
ク・ホリンが槍を握り直し、頭上にふりかぶった。
東海林光のハンマーのような電撃が、槍の投擲より早く、騎士の全身を真っ白に塗りつぶした。


ケルト神話の英雄。クー・フーリンとも。
影の国の女神から授かった魔槍ゲイボルグとともに戦場を駆け抜け、非業の死をとげたとされる。
アクエリアンエイジの世界では、極星帝国側の地球において存命しており、アトランティスに属する。戦死した関羽の後任として「極星帝国十将軍」の地位を占める。
帝国将軍の中ではもっとも好戦的な人物のひとり。チャリオットの達人で、集団戦も得意だが、一騎打ちをしたがる悪癖がある。
詩文を好むという意外な一面も。
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