アクエリアンエイジ フラグメンツ〜望刻の塔〜 |
断片3 深夜。 長い髪が揺れる。 ビル内に入り込むのは簡単なことだった。 「さて、どうしようかな……」 どのくらい「ちょっと見てきた」ら、藤宮真由美は満足するだろう。 とりあえず、SFタワーというくらいなのだから、タテに長いのだ。屋上まで行って戻ってきたら、ひととおり見てきたことになるだろう。そのくらいが精一杯だ。 「となると、エレベーター」 エレベーターの防犯カメラに写るのはかまわないことにした。警備室はしばらく機能停止しているし、他の警備室から人が来ても、やりすごすのは簡単だ。 エレベーターに乗って、ボタンを押した。 ドアが開いて、小石川愛美はフロアに出た。 影と足音をつれて、歩く。 と。 初めて、人がいた。 その人物は、愛美と同じく廊下の先へと向かっているところだった。 その姿が。 なにあれおかしい、というのが愛美の心の声だった。髪の長い若い女だった。それはいい。自分と同年代くらいだろう。それもOK。初詣に行ったときに窓口で破魔矢を売っている人のような格好をしている。赤い袴に白の小袖。要するに巫女の姿である。それすらも許容するとしよう。 何故バニーガールの耳をつけているのだ。 そんな女が両手に麻雀牌をいっぱい持って、「ほっ・ほっ・ほっ」とかけ声をあげてお手玉をしており、その人影が薄暗い廊下に不気味に長く伸びていて、それが急に振り返ったときの率直な感想を想像してみるとよい。 変な人がいる。 「特徴のない地味な女がいる」 とウサギみみをつけた巫女が言った。 それはあなたに比べたらたいていの人間は没個性でしょうよと愛美は思ったが、初対面の人に強い態度に出られない性格なので、口には出さなかった。 ウサギみみ巫女が香港映画みたいな衣擦れ音をさせて構えを取る。 「一人で私を追跡するからには腕に覚えがあるのだろうが……」 ウサギみみ巫女が大道芸のように宙に麻雀牌を舞わせる。 「手柄を立てる機会を邪魔されてはかなわぬゆえ……」 ウサギみみ巫女が素早く手を動かすと、麻雀牌が手のひらの上に一直線に“立って”いた。 そして積み上がった麻雀牌を両手で挟んで横向きにし……、 「消えてもらうでござる!」 ……ござる? 愛美の脳内がはてなマークでいっぱいになった。と思った瞬間、ウサギ女の手の中の麻雀牌が弾けた。 さっきまで愛美がいた場所を、見えない力場の鞭が叩く! 「っぶなあ!」 間一髪でよけた愛美が心の底から気持ちをこめて言った。当たってたらどうなっていただろう。少なくとも、すっごい痛いのはまちがいなさそうだ。 「ばかもの、よけるやつがあるか!」 ウサギ女は話を聞かない。 愛美は覚悟を決めた。破れる覚悟ではない。 「あのぉ」 「命乞いならあとで聞くでござる!」 あとがあるんだ? と愛美は思ったが、それを口にするいとまはなかった。 ひとつらなりになった雀牌が、またウサギ女の両手にはさみこまれて……。 先ほどのような鞭の打撃ではなかった。雀牌の弾丸はこんどは放射状に広がって弾けた。散弾銃のように面を構成する射撃だ。そしてここは広いとはいえない通路。 よけようがない。 はずだった。 愛美は息を止めて、 愛美の耳元で高周波じみた金属的な音がした。それは愛美が能力を使うと必ず聞こえる音。いわば能力起動音だった。 はじけるように飛んでくる雀牌の弾丸が、 これが小石川愛美の特異な能力。 時を止める……。 自分、および他人の体感時間を操作すること。 いま、愛美は、自分の体感時間を減速している。 彼女は現在、1秒が30秒のように感じられる時間流のなかに生息している。よく見ると、雀牌の弾丸がゆっくりとこちらに飛んでくるのがわかる。 小石川愛美は、ごくゆっくりと、前に歩み始めた。 だが、ゆっくり飛んでくる弾丸を、ゆっくりした動きで避けるのは、簡単なことだ。 スローモーションになった自分を感じながら、あるときには首をそらし、体を曲げ、ひとつずつ着実に弾丸をかわして、前に進んだ。 そうして、すべての弾丸が背後に過ぎ去ってから、小石川愛美は時間流を収束させた。 ウサギ巫女がぎょっとしている。 放射状に広がる麻雀牌の散弾、その弾丸のスクリーンを、目の前の相手は平然とすり抜けて歩いてくる。 「ばかな。わが108つの奥義のうち第1024番めをたやすく破るとはっ」 ウサギ巫女は芝居がかった調子で天をふりあおぎ、がっくりと膝を落とした。 「わが第4096式を破られたからにはじたばたすまい。この首持って行けい」 「首とかはいらないんだけどぉ……」 「ちょっとうかがいますけど。あなた、最近、よくここで遊んでる人です?」 まずいなあ、ちょっと楽しくなってきちゃった、と愛美は思う。 「桜崎翔子さん、あなたこんなところで何しているの?」 こういうことであった。 「ということは、狙いはおんなじ、互いに人違いということね」 ふむ。 かといってほっとくと邪魔されそうだし。というか、ほっとくと押しちゃいけないボタンとか押しそうだし。 それがいけなかった。 愛美は転がっていた麻雀牌を踏んづけた。 「あわっ」 ウサギ巫女こと桜崎翔子は跳ぶように立ち上がり、獣のように愛美に飛びかかった。 ……いや、飛びかかろうとした。 飛びかかろうとした桜崎翔子は、何かに気づき、ふいに表情を変えて、愛美の足元に飛び込み、転がっていた雀牌をひったくった。 ああ、これが素か。 「えっとぉ……“ござる”は?」 騒がしい桜崎翔子がぴたりと止まった。別に愛美が力を使ったわけではない。 「……で、ござるっ」
☆
「え!? ちょっと、何? 敵襲!?」 竜の国の公女ソフィー・ラスタバンは騎竜アルゴスの上で目をみはり、何度も周りを見回した。 「あれは友軍です! ベレニケ駐留の砲戦部隊です!」と副官が叫ぶ。 “竜洞の主は空で取り乱すべきではない” ――おかしい。 ソフィーの背筋がぞくっとする。 何かが起こっている。 彼女のアルゴスさえもが、聞いたことのないうなり声をあげている。金竜アルゴスは、敵襲を受けたくらいでむずがったりはしない。 地上の友軍が狂っている。 ――攻撃を受けたから怒っているわけではないのね? ソフィー・ラスタバンは体を大きく横に傾けた。アルゴスが反応して、大きく旋回する。 「……いた」 あれだ。 ソフィーの耳に、ベレニケの歌声が聞こえた。 それを聞いた瞬間に、ソフィーの頭の中がざらついた。 そして、ソフィー・ラスタバンは、ベレニケ像の大きな頬のそばに、白い女が立っているのを見た。
轟音。 巨大な女神像ベレニケ。 城の外壁にちょっとした足がかりを見つけて、そこに立っている。 ほとんど銀色にちかい金髪が、風に踊っている。 少女がささやく。その声は風にかき消され、彼女自身と、ベレニケにしか聞こえない。 「ヘロデ王の娘と同じ名を持つ塔よ。ならばあなたも神の家につながりを持つ者……。私に力を貸して……」 その声を聞いてか、ベレニケがより高く大きく歌う。 そのベレニケと少女に、空から竜が近づいてくる。 その場から動くことのできないベレニケの眼前で、竜は大きく顎を開いた……。
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