断片4
エレベーターのドアが開いた。
エントランスから、両開きの重い扉を開くと、そこは屋上ヘリポートだった。
白い駐機指示のペイントがアスファルト敷きの床に描かれている。駐機しているヘリコプターはいない。
航空警告灯の赤い光が、あやしく明滅している。
深夜。
郊外の町に孤高にそびえ立つ高層ビルの屋上。
そこに足を踏み入れた小石川愛美と桜崎翔子は、上空の強い風に吹き付けられた。髪が暴れる。スカートと袴が、脚に貼り付く。
青白い人影。
いた。
白い服を着た、女のシルエット。
手足がとても長くて、信じられないくらい細い、若い小さな女の子の後ろ姿があった。透き通るような、という常套句はこのことか、と思わせるような真っ白い肌。飾りのない無垢のノースリーブワンピースと肌との境目がわからないほどだ。
ああ、匂いが青い。
と、小石川愛美は理解する。
目で見て青色をしているというのではない。存在感が青色のイメージで感知されるのだ。藤宮真由美が言っていた「感じ」が、ようやくわかった。
青白い少女は、屋上の手すりの上にまっすぐ立って、眼下の夜景を見おろしていた。
まるで飛び降り自殺の直前みたいだ。見ているだけでひやりとする。
だが、その印象が間違いであることを少しずつ実感する。
少女は小さな靴の小さなつま先で、まるで確かな地面を歩くように、手すりの上を散歩する。
そう、バレエダンサーがステップを誤ったりしないように、
彼女が墜ちるわけがない。
かかとまでべったりと床につけている自分が、一瞬、何か間違った場違いな存在であるように、愛美には感じられる。
と、隣の桜崎翔子がズレきったことを言った。
「こういうとき、最初のセリフは『こんばんは、今日は美しい夜ね』というのが格好よくはないだろうか?」
「それ、わりとありきたりすぎない?」
「ありきたりって言われた! もう死のう!」
「死ぬことないでしょ?」
青白い少女は、2人の声に何の反応も示すことなく、ときおりゆらりと歩きながら眼下を眺めている。
「あの、ねえ、あなた……」
小石川愛美は声をかける。
少女が手すりの上で、ゆっくりと振り向く。
無関心でもなく、関心があるでもない、中立的な雰囲気で。
お人形さんみたいな顔。愛美はそう思う。
「私の友達が、あなたは何者で、何をしようとしているのか、興味を持っているの」
風で声がかき消されないように、大きな声で言った。
「私のことだな」と桜崎翔子。
「違いますけども」と愛美。
少女がまばたきをした。まばたきをするんだ? そんなことに驚いてしまう。
少女が首をかしげる。髪が流れる。シャンプーのCMみたいだ。
「どうしよう、コトバ通じないのかな?」と愛美。
「ふーむ、こういうときはだな」と桜崎翔子。
「どうするの?」
「体に聞くのが一番でござるよ!」
桜崎翔子は袖の中で積み込んでいた麻雀牌を「開放」した。
力場でつながった雀牌が、巨大な反り身の剣となって、白い少女のいる空間めがけて袈裟切りに襲いかかる!
ああもう、と思いながら、愛美も「能力」を発動した。
少女の体感時間を「加速」する。
少女には世界が高速早送りされたように見える、はずだ。この状態で桜崎翔子の斬撃を避けることは、絶対に出来ない。
力場の剣が少女をななめに両断する、
そのはずだった。
ある地点で、桜崎翔子の見えない剣は、風に溶かされるように消えてしまった。麻雀牌が横向きに乱れて飛び去る。木の葉が横風に吹き飛ばされるのを見るようだった。
少女の居ずまいは、まったく自然。
「こらー、ちゃんと届けー!」桜崎翔子が転がった麻雀牌を叱っている。
「私のも効いてない!?」と小石川愛美。
「あなたは、私の愛し子の上に立っているから」
涼しそうな、可憐な声だった。
少女が語ったのだ、ということに気づくのに、少し時間がかかった。
愛美は足元の床を見た。愛美が立っているのは斎木重工のSFタワーだ。愛し子?
塔?
「ここ、では、あなたには、効かない?」と愛美。思いついた語順に、カタコトのように訊ねる。
「そう」と涼しい声。
「なぜ?」
「バベルの塔は、不完全な力をすべて飲みこむから」
「あなたは何をしようとしているの?」
青白い少女は、沈黙した。
青い存在感が、深まった気がした。
「会ってみたいの」
と彼女は言った。
「誰に?」
と愛美は訊ねた。
少女は、大事なものを取り出すように、そっとつぶやいた。
「……神様」
鋭い風切り音をさせて、横なぎの突風。
白い少女の白いワンピースが暴れる。
彼女は一直線の手すりの上を、風にさからって二、三歩あるいた。
「あなたも会いたければ来てもいい」
と少女が言った。
「私の友達が行ったわ」
と小石川愛美が答えた。
そう。
白い少女は安心したようにうなずいた。
そして、
ふらり、
と、
背中から、
眼下の夜景に向けて、墜ちていった。
手すりに駆け寄って、闇の中を見下ろすと、少女は消えていた。もちろん、死体などあろうはずもなかった。
☆
「わんわんわん! ごしゅじんさま! あやしいにおいがするッス!」
「ちょ、ちょ待て、こら、ひっぱるなって。だから待てつってんでしょうが、こらーっ!」
東欧、某国。
街外れの森。
深夜。
美しい夜とはほど遠い雰囲気の2人。いや1人と1匹。もしくは1吸血鬼と1人狼である。
引き紐を持った夜羽子・アシュレイと、首輪でつながれた人狼少女、宿利原ぽちであった。
というか、四つんばいでまっすぐグイグイ進む宿利原ぽちと、その怪力に引きずられる夜羽子である。
夜羽子が待てといっても聞かない。
張り切りすぎの宿利原ぽちである。
「待て」はしつけの基本で、これができない犬は例外なく駄犬である、という、どっかのブリーダーの警句を夜羽子は思い出した。
思えば初対面の瞬間からいやな気配はしていた。
エルゼベートは宿利原ぽちを送りつけてくるついでに、「備品」だといって、ハートの飾りのついた赤い首輪を一緒に送ってきた。
使用前にこれを取り付けてやること、と、手書きの取説に書いてあった。
宿利原ぽちは、しっぽをはたはたさせて、何やら期待のまなざしでこっちを見ていた。
「あ? ナニ? これ着けさせろって?」
「はいなのです」
夜羽子の疑問に、宿利原ぽちは、小刻みに10回くらいうなずいた。
「これをつけると、ぽちは安心して、いっぱい働けるのです」
「そうぉ? ま、いいけども……」
なんかアブノーマルでやなんだけど……などとぶつぶついいながら、夜羽子はぽちに首輪をつけてやった。
すると。
宿利原ぽちは漫画みたいに顔を赤らめ、やばい感じに顔をとろけさせた。
「ああ……これでぽちはごしゅじんさまのものなのですー。一心同体っス。病めるときもすこやかなるときも!」
うっとりした顔。
……アッレ。
なんかおかしくね?
「アンタ……。あの、それね、どういうご主人様を想定してるの?」
「はい、いっぱい、お夜伽をいたします!」
「ばかーっ!」
宿利原ぽちはしっぽを丸めてふるふる震え、みるみる涙目になった。
「ひいぃー。ごめんなさいごめんなさい。だめですかー」
「私のカンオケは1人用だーっ。ていうかそういう問題じゃねーっ!」
えらいのをひきとっちゃったなあ……ハァ……。
というため息も、夜空に響く「わんわんわん」と、自分が引きずられる土の音にかき消されるありさまである。
うっかり転んだりしたら、西部劇映画によく出てくるあの拷問みたいになりそうだ。
「ごしゅじんさま、つきました! モンスターハウスです。フンフンするとあやしいにおいがギュンギュンするっス!」
ぽちが立ち止まって報告したときには、“ごしゅじんさま”はぐったり疲れ切っていた。どっちかというと、精神的に。
「はぁ、ちょっと待ってね、一息ついたら、じゃあ……」
「りょーかいであります! あやしいにおいを狩り出します。とつげきです!」
「人の話を聞け!」
宿利原ぽちはモンスターハウス――雰囲気たっぷりのホラーな洋館――の玄関扉を体当たりでぶち破って突入していった。
――鍵、かかってねーってば。
ぐったりした気持ちで館の中に入っていく。
そんな夜羽子が目にしたのは、
広い館の中を、ドタバタジタバタ、ホコリを巻き上げて縦横無尽に駆け回る駄犬の姿であった。
「あやしいにおいがする!」と言っては、床を床板の上からバリバリ掘る。
ネズミが出るたびに、それをいちいち追いかける。
そのくせ「取ってこい」ができない(追いかけていったまま)。
絵に描いたような、「知らない場所に来てテンション上がっちゃって自分でもワケがわからなくなった犬」と「その飼い主」。
みとめたくないが、ゴシック、とか、退廃美、といった吸血鬼のイメージは、完全に雲散霧消である。
エルゼおばはん、いつか殺す。
そう心に誓う夜羽子である。
その後。
モンスターハウスは、夜羽子が50回くらい蹴り上げたら、誰がご主人様かを思い出した。
「ふん……」
夜羽子は鼻を鳴らした。
「誰がご主人様なのか、上書きされちゃってたってわけ……?」
モンスターハウスは答えない。もともと、会話能力はない。
その「ご主人様」はすでに立ち去って、もうここにはいないようだ。
だが、どんなやつだったか、匂いでだいたいわかる。
人狼・宿利原ぽちの嗅覚に頼るまでもない。
これは魔法の匂いだ。
WIZ-DOMだ。

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寂しいと死んじゃう元・ノラ人狼。
ゆえあって一時エルゼベートのもとに身を寄せていたが、これまた縁あって夜羽子・アシュレイに譲り渡された。
というかもてあましたエルゼベートが夜羽子に押し付けた。たぶん、いじめてもかえって喜んじゃったりするので、調子が狂ってしょうがなかったのだろう。
誰にも顧みられない人生を送ってきたので、人のそばにいるのが嬉しくて仕方がないらしい。ご主人様のぬくもりを感じながら眠ったり、ご主人様とお散歩をするような生活にあこがれていたようだ。
ちなみに、彼女は男性の「ご主人様」を持ったことはまだ一度もない。
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