アクエリアンエイジ フラグメンツ〜望刻の塔〜

断片5

 念動力で自分自身を持ち上げて、藤宮真由美は巨大な塔の頂上近くに降り立った。

 塔の外周にらせん状に巻きついている回廊をしばらく道なりに進むと、塔の内部に入ることができそうな、扉のない入り口があった。そこから内部に入った。

 また通路だ。

 誰もいない。

 建設中のはずなのに、作業者の姿すら見えない。タイルが敷かれたモザイクの床を踏むたびに、自分の革靴の音が響く。
 あちこちの採光窓から光が取り入れられているので、暗くはないが、光の部分と陰の部分のコントラストがいやに強くて、幻惑されるようだ。

 中心部に続いていそうなアーチ型の入り口があるたびに、それをくぐる。足音のこだまだけを連れて、藤宮真由美が進む。

 やがて、複雑な飾り模様が刻まれた金属製の巨大な両開き扉につきあたった。
 たぶん、材質は青銅だ。
 蔓草の意匠と幾何学模様が組み合わされた、明らかに何かありそうな重い門扉。

 藤宮真由美はものも言わすに、その両開き扉を、念動力で引き開いた。

 そこは、ほぼ完全な円形をした、大広間だった。
 学校の体育館でいえば2、3個ぶんといった面積だろうか。カーブを描いた壁は、四角い石を組み合わせたもの。天井はひどく高く、五階建てぶんくらい吹き抜けている。床はタイルのモザイク。魔法陣じみた意匠がほどこされている。
 窓はひとつもないのに、暗くはなかった。空間じたいが発光しているような感じだ。

 入り口の正反対側、円形の中心を通って対角の位置に、石でできた玉座のようなものがあった。
 そこに女が座っていた。
 長い脚を組み、肘かけに肘を置き、細い顎に手を当てて不吉な微笑をたたえている黒髪の女。

「早く来すぎたせいで、待ちかねたわ。……なるほどあのお嬢ちゃんが気に掛けるのも納得ね」

 吸血鬼エルゼベートは、重力を無視した挙動で、まるで吊り上げられたように玉座から立ち上がった。
 細すぎる腰にきつく巻きついた真っ黒いタイトなスカート。真っ黒なスーツスタイル。
 金色の首飾りと金色のピアスと金色の指輪。

 藤宮真由美の無表情に、かすかに色がさした。ブダペストのE.G.O.支局から遠隔マインドリンクしているサポートテレパシストが撤退を進言している。能力相性で明らかに分が悪い。1対1での撃滅成功率17.3パーセント。被撃滅率39.8パーセント。

 漆黒のサマーコートのポケットに手をつっこんだまま、エルゼベートは歩き出す。足音が一切しない。

「夜羽子・アシュレイはそなたのその眼に同類の色を感じたのでしょうね。
 ……フフフ、それ。その眼。
 それは我ら吸血鬼がするような眼よ。百年を長らえた吸血鬼がようやく宿す退廃の瞳を、ニンゲンよ、そなたはその年にして、生きながらにして持っている。時間から置き去られた者の諦めの眼……」

 歩きながら独り言のように喋っていたエルゼベートは、立ち止まり、真由美を見た。

「ニンゲン、そなたの内面はきっとこうでしょう。
 敵の死にも、自分の死にも興味がない。
 誰が世界を支配しようと、本当はどうでも良い。
 何も求めない。何も望まない。ただ命ぜられるままに赴き、破壊し、立ち去る。
 ……人類が生んだ白い悪夢。藤宮真由美。
 そなたの体液に循環するどす黒い絶望はさぞかし美味でしょうね……」

“それが”

 藤宮真由美は、テレパスで相手の頭脳に言葉を直接投げ込んだ。

“遺言なの?”

 突如、空気が殺意に満ちた。吸血鬼エルゼベートは直立したまま残像を残して滑るように後退した。ほとんど同時に、彼女がいた場所に竜巻が起きた。念力でできた巨大な拳が吸血鬼を握りつぶそうとした痕跡だった。

 間髪おかず、エルゼベートがいる場所、その空間が「爆発」した。タイル敷きの床がクレーター状にえぐれた。エルゼベートはそれも避けた。爆風を利用してふわりと宙を舞う。トレンチスタイルのコートの裾がコウモリの羽のようにはためく。

 エルゼベートは、湾曲した壁に「立った」。まるで重力が横向きに働いているかのようだ。あたかも水平に打ち付けた釘のように、腕を組んで、優雅に壁に着地した。
 湾曲した壁をダンスステップのように優雅にかけあがり、
 上方からいっきに真由美に襲いかかる!

 藤宮真由美は自分の足元を「爆発」させ、爆風で跳躍して避ける。直後、真由美のいた床が吸血鬼の爪でザックリと裂ける。
 続いてエルゼベートが左手の爪で宙を引き裂く。かまいたちが生じて着地寸前の真由美に襲いかかる。真由美は念力の障壁を生み出して中和をはかる。いくつかの風刃が中和しきれない。真由美の制服と皮膚を薄く切り裂いて背後に通りぬけていく。

 藤宮真由美は両の拳をにぎる。
 その拳のなかに光の槍が生まれる。空間じたいがびりびりと震動する。
 ふりかぶって、投げつけた。

 藤宮真由美の“サイコスピア”は投擲の瞬間に3本に別れ、着弾の瞬間にそれぞれ7本に分裂する。並の念動力者は、その1本を生み出すだけで全精力を使い果たすだろう。かすっただけで人体が消滅する光の槍が、五月雨のごとく面で迫る。

 エルゼベートは避けきれない!

 吸血鬼は黒い影になって四散した……ように見えただけだった。エルゼベートは瞬時に無数のコウモリへと変化し、光の雨をかいくぐり、再び人のかたちへと凝集した。

 吸血鬼は戦慄と歓喜を同時に表情にうかべている。
 楽しい。
 楽しい。
 これだからニンゲンとの闘争はやめられない。

 エルゼベートの眼が反転した――白目が黒に、瞳が白に。そして瞳の中央に小さな、針の穴のようなごく小さな光点が宿った。
 眼球の奥に隠していた「吸血鬼の本当の眼」で真由美を「視た」。

 藤宮真由美はまともに視線を受け止めてしまった。

 心臓に針で刺されたような激痛が走る。藤宮真由美の周りに、薄いガラスがこなごなに砕けるイメージが広がる。
 真由美が自分の周囲にプールしていたエネルギーが消し飛んだ!
 藤宮真由美は、蓄積した大量のエネルギーを瞬発的に放出するタイプの超能力者だ。今の彼女は、弾切れを起こした銃のようなもの――。

 エルゼベートが不吉な微笑をうかべて歩み寄ってくる。
 遠くの都市からマインドリンクしているバックアップ要員が緊急遠隔チャージを始めているが、とても間に合わない。逃げる? どこに? 逃げ切れるはずがない。

 エルゼベートの爪が、喉に突き刺さる、
 そんな予感を、藤宮真由美は無感動に受け入れる……。

 そのとき。
 天頂方向からまばゆい光のかたまりが降りてきた。天井を透過してきたのだ。真由美とエルゼベートをもろともに包み込もうとする。
 吸血鬼と、念動力者のうなじが同時に粟立った。

 この光に触れたら死ぬ!

 藤宮真由美は考えるより先に反射的な行動を取った。短距離テレポート。真由美はその場から消滅し、いちばん離れた壁際に出現した。彼女に可能な跳躍は最大でたった20メートル。しかも1回使ったらしばらくは使えない。だから隠していたのだ。「藤宮真由美に瞬間跳躍能力がある」ことが誰にも知られていなければ、充分な切り札になる。それを切らされた。

 エルゼベートは瞬時に自分自身を霧と化して光を避け、別の場所で再凝縮している。

 青白い毒の光は床まで降りると収縮し、背中から翼を生やした長身の男の姿へと変わった。

「人類側の優秀なる少量破壊兵器よ。テレポートが使えるとは初耳だ。ひょっとして奥の手だったかな?」
「……」

 大天使ジブリールは何の含みもなさそうな微笑を浮かべてそう言った。

「君たちの相互的消去行動があまりに楽しそうで、つい仲間に入りたくなってしまったよ。やはり闘争は良いね、実に良い。そう思わないかい?」

 藤宮真由美とエルゼベートはともに無言。

 真由美は遠隔チャージを受ける時間を稼ぎながら、3つどもえとなった状況に対応すべく思考を回転させている。3者が対立する状況はおおむね千日手となる。どちらか片方を攻撃すれば、スキができ、残ったほうの攻撃を受ける。外部からの状況変化を待つしかないかもしれない。
 一方、エルゼベートはそんなことには頓着せず、「不味そうなのが来た、うざい」と言わんばかりの顔だ。

 その外部からの変化はすぐに訪れた。床が震動した。地震が起きた。いや、地震だと思ったものは巨大な質量が“バベルの塔”に衝突した衝撃だった。
 壁と天井の一部が砕け散った。落ちかかる瓦礫を真由美は念動力で弾き、エルゼベートは非人間的な動作でかわす。ジブリールの周囲は、まるで瓦礫が自分の意志で彼を避けたかのように平穏。

 外からの風が吹きこむ。砕けた天井から空が見えた。エルゼベートが日光を避ける位置に移動する。

 塔に衝突したもの。壁を砕いたもの。
 それがこちらを覗きこんだ。

 竜だった。

 くすんだ真鍮色のうろこに包まれた爬虫類。怪獣映画を思い起こさせる巨大な体躯。
 異臭のする息を広間に吹きこみながら、うつろな2つの眼と、額に位置する赤い宝石の眼で、こちらを覗きこんでいる。それは死体を生き返らせる魔術によって蘇った極星帝国の三頭竜。
 ラスタバンの命を受け、魔女たちの塔を破壊するべく送り込まれた自律する兵器。
 “活ける死体の竜”ギアンサル。

 その死せる巨竜が大きく息を吸いこみ、強酸のガスで広間を満たそうとした……そのとき。

 ギアンサルは巨大な頸部に横からの痛撃を受け、のけぞった。口からあふれさせようとしていたガスをギアンサル自身が浴びる。

 何者か――少なくとも人間サイズの何者かが、ミサイルじみた強烈な跳び蹴りを放って、ギアンサルの3つの首のひとつをへし折ったのだ。

 その人物は塔の頂上に着地して、強風になぶられながら、広間の中へと声を投げかけた。

「よう、SFのお嬢さん。一別以来だが、覚えているか?」
 真由美が驚いている。
「東海竜王!?」
「よしよし、よく覚えていたな。しかしなんだここは、五カ国サミットか? とりあえずこのでかぶつをお陀仏にしたら話をしよう……おっとぉ」

 東海竜王“敖広”は跳躍した。一拍遅れて、彼がいた場所を鉤爪つきの巨大な竜の手が粉砕した。

 バベルの塔の上で、巨大な三頭竜と、人の姿をした竜との格闘戦が始まったようだ。その様子は広間の内からではよくわからない。

「これで6つ色がそろいました」

 銀盤に真珠を転がしたような、涼やかな声がした。

 大広間の円形の壁を、まるで幽霊のように透過して。
 青白い肌の、あの少女が。

 塔の主“アレクサンドラ・メディナ”が姿を現した。


ギアンサル

ギアンサル イラスト:末弥純


 くすんだ金属色の体躯と、3つの頭と、背中に1つの赤い宝石を持つ、巨大な竜。

 かつてはシャルルマーニュ・ラスタバンとともに戦場を馳せた竜の勇者。イレイザーのルシフェルと伝説的な死闘を演じ、差し違えて死亡した。極星帝国の死霊魔術によって負の生命を与えられ、「活ける死体」として使役されている。
「全速力で東欧に飛び、バベルの塔をこなごなに粉砕せよ」という指令をソフィー・ラスタバンによって与えられた。

 このように「自律する敵拠点強襲兵器」としての運用が想定されていたが、「バベルの戦い」を経た結果、いくつかの問題点が指摘された。状況判断力に著しく欠ける点は特に問題とされた。
 そのため再調整がほどこされ、今後は「拠点防衛兵器」としての運用がなされる予定。

 
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