アクエリアンエイジ フラグメンツ〜望刻の塔〜

断片6

 思えば奇妙な状況。

 はるか紀元前に存在した、石とレンガ造りのジッグラト。それが今、東欧に再現されている。
 最上階には、それぞれ独自の進化をはたした、異能をそなえた超人たち。

 たった1人で万人と渡り合える超人類が、ここには何人もいる。
 その中で、青白い少女だけが異質。
 外壁沿いの上空で暴れ狂う3つ首の竜よりも彼女が異質だった。

 おそらくこの少女は、常人とさほど変わらない戦闘力しか持ち合わせていないだろう。
 威圧が感じられない。

 なのに少女は、まるでこの場にいならぶ者たちを統べる王様のように、銀と金でできた杖を鳴らして、ゆっくりと広間中央へむけて歩く。

「かつて人は、“まったき1つの力”をそなえていました」

 可憐な声で、アレクサンドラ・メディナは言った。

「しかし人はその力におごり、その罰として互いに言葉を通ずることができなくなりました。同時に“まったき1つの力”もいくつかに分割され、各地に散らされました。その混乱(バラル)が起きたから、かの地の名はバビロン。数十世紀を経て、わたしたちは未だ、そのバラルの虜囚。不完全な力をふりまわす不完全な動物。しかし今」

 立ち止まって、振り返る。
 流れるうすい金の髪。

「時の歯車を逆に回す準備はできました。ここにバベルの塔があり、ここには“まったき1つ”から別れた6つの断片があり」

 ジブリールの眉が動く。
 エルゼベートがぎょっとする。
 藤宮真由美が、何かをつかみかけて、喉の奥で小さく「え?」と言う。

「さあ、あなたがたとわたしは、なりましょう、6つの部品に。そして会いましょう……」

 アレクサンドラ・メディナは杖を掲げた。塔の上で三頭竜と格闘を繰り広げていた東海竜王“敖広”が強制テレポートで大広間にたぐり寄せられる。

 消えた敖広の匂いを追って、三頭竜の3つの首が、天井の穴から猛烈な勢いで突入してくる。

 アレクサンドラ・メディナはまったく動じず、
 事態に気づいて動き始めた天使や吸血鬼を、慈愛さえ浮かべて一別し、

「神様に」

 杖の石突きで床をまっすぐに突いた。



 タイルで描かれた魔法陣が輝きを放ち、回転を始めた。

 嵐が起こった。
 いや、それはただの嵐ではなかった。大気が渦巻いているわけではなかったからだ。
 空間そのものが渦を巻いていた。そこにいるすべての人物を、中心に向かって吸い込もうとしていた。

 藤宮真由美は、渦に巻き込まれ、渦のかたちに自分が引き延ばされていくのを感じた。
 この場にいる5人と1匹が、ひとしくそれに巻き込まれていた。藤宮真由美は念力を爆発させ、この空間そのものを破壊しようと試みたが、発揮した力も渦に吸い込まれるばかりだった。

 藤宮真由美は螺旋のかたちに引き延ばされていく自分の肉体を見る。
 自分の身体が、輪郭を失い、液体化しだしている。
 抵抗できない。
 意識が希薄化しだした。
 明らかに自分のものでない思考がフラッシュバックを始める。

 渦に巻き込まれた6つの存在が、ついに1つに混ざりあい始めた。



 もし、このとき、バベルの塔を遠景から眺める者がいたとしたら。

 こんな光景を目撃しただろう。
 螺旋回廊が刻まれた円錐状のジッグラトが、あたかも穿孔器のように回転を始めるのを。

 そしてこんなことを思っただろう。
 まるで巨大な錐が、天に穴を穿とうとしているかのようだ、と。
 虚空に存在する見えない何かにプラグを差し込もうとしているようだ、と。

 塔の頂上がほんの一瞬、まばゆい閃光を発した。
 その次の瞬間、

 バベルの塔は、爆発、四散した。


     ☆


 外は良い天気だ。

 小石川愛美は、自分の部屋で、小さなお尻をクッションにのっけて、のんきに新聞を読んでいた。

「ストーカー殺人だって。恐い恐い」

 開け放した窓のそばで、ガタッと物音がした。

「あー、ストーカーは恐いね。女の敵だね」

 目を向けると、自分の靴を両手に提げた藤宮真由美が、窓のへりを「よっこいしょ」とまたいで乗り越えてくるところだった。

「はろー」

 藤宮真由美は手に持った靴をぷらぷらと揺らした。手を振ったつもりらしい。

「おかえり」
「うんー、ただいまー。あー疲れた。死ぬかと思った」

 真由美はカーペットの上にぺたっと女の子座りをした。

「であのさー、こないだ頼んだアレ、見てきてくれた?」
「うん、一応」
「どうだった?」

 愛美は、SFタワーの屋上で出会った青白い少女との短い会話を、かなり正確に真由美に伝えた。

「なるほどねえ……なんか、やっとわかってきたわ」
「何を?」
「バベルの塔のお話って、なんか、えーっと、こうだったよね。人間がすごい協力してすごい塔とか建てちゃったんで、神様がこりゃまずいと思って、人間のコトバをなんかバラバラにして、世界中に散らばらせて、一致団結できなくしたみたいな……」
「あるよ、聖書」

 愛美は立ち上がって、本棚から本を取り出した。

「え、まなっちてクリスチャンだったの?」
「ううん、違うけど。何か気になったから図書館で借りてきたの。えーと、このへんかなあ。『視よ、民は一つにして皆一つの言語を用う。今すでにこれをなし始めたり。さればすべてそのなさんと図維ることは禁止めえられざるべし』……」
「私、古文きらい。この世に古文なんてものがあるのもバベルのせいだよきっと」
「違うと思うけど」

 あらためて音読してみて、愛美はなるほどと思う。世界にいろんな言語がある理由を説明する神話になっているわけだ……。

「でね、これってね、全人類が一カ所に集まって、統一言語を話すようにしたら、神話の時代のスーパー人間に戻れるってことだよね?」と真由美が言った。
「現実的にそんなの不可能だと思うけどなー」と愛美。
「うん、不可能。でも、非現実的な力を使えば、できるかも」
「うん」
「でさ、今現在、世界には、おおざっぱに言って6系統の超能力があって、6つの勢力が権力争いをしているわけだよね」
「うん……え?」

 藤宮真由美はうなずいて、言った。

「もし、はるかな昔に、オリジナルの『完全な1つの力』があって、それが6つに分割された……つまり『乱された』んだとしたら、6つを融合して、オリジナルを復元できるんじゃないかなーっていう……」
「そのための設備が、バベルの塔?」
「たぶんそうだと思う。何か儀式のために必要だったんじゃないかな。あの白い子、たぶん、バベルの塔に6勢力の能力者を全種類集めて、融合させて、1人で6種類全部の能力を操る超人を作ろうとしたんだと思う」
「それはまた……」

 途方もない話だ。

「で、それをあなたが阻止してきたの?」
「阻止したっていうか、勝手に失敗してくれたみたい。失敗してくれて良かったよ。だってミキサーでかき回されてカタに流し込まれて別人に作り替えられそうになったんだよ。もう思い出しただけできもちわる! なんかでっかいトカゲの死体とかまざってたし!」
「昔のドラマに、転送装置が故障して人間と昆虫が混ざっちゃうお話があったよね」
「ああ、仮面ライダー?」
「それ違うと思う。SFタワーでは何をしてたんだろうね?」
「わかんない。でもひょっとして、バベルが成功したら、世界中の塔を使って全世界的に同じことしようとしたのかもね」
「ふぅん……」
「何にしても、悪だくみが失敗してくれてラッキーだったよ。そんなスーパー能力者が生まれて、WIZ-DOMの手に落ちたら、大変なことになりそうだもん。あそこの魔女たちは毎回考えることがエグいって。ほんと」

 そうなのかな?

 愛美は心の中でちょっと首をかしげた。
 確かに、そういう陰謀っぽい側面もあったのかもしれないけど。

 SFタワーの屋上で出会った、あの綺麗な子。

「神様に会いたいの」

 そう言ってた。
 もっと個人的で、もっとせつないような感じがした。

 たとえて言うなら、
 お父さんに会いたいとか。
 離ればなれになった恋人にもう一回会いたいとか。

 そんな感情に近いような、手触り……。


 小石川愛美は、藤宮真由美を見た。真由美は、ローテーブルの上に置いておいた菓子器のおせんべいをぱりぱり音を立てて食べている。リスみたい。
 愛美は、ふと気づいて、彼女に言った。

「髪の毛、ちりちりしちゃってるね」
「んー、爆発とかしたから、焦げた」
「切ったげる」
「んー、でも切った毛が服にまとわりついちゃうから」
「だいじょぶ」

 愛美は引き出しからヘアカット用のハサミを取り出した。それから床に座りなおすと、新聞紙を広げて膝の上に置き、自分の膝をぽんぽんと叩いた。

 真由美はちょっと嬉しそうに愛美の膝の上に頭をのっけた。

 愛美は真由美の髪の毛をつまんで、ヘアスタイルを変えないように、毛先をちょきちょきと整えていく。少し切るたびに毛をはらって、新聞紙の上に落とす。

「まなっちのフトモモ、むちむちしてる……」

 愛美は無言で真由美の頭をはたいた。

「ねえ、ところでアレなに?」と髪を切られながら真由美。
「アレって?」と愛美。
「さっきからこの部屋でピタゴラスイッチ作ってる、バニーガールと巫女を融合したようなの」
「ああ、アレ……」

 愛美は視線を泳がせた。

 頭の上のウサギみみをゆらゆらと揺らしながら、桜崎翔子が、麻雀牌やサインペンやハンガーや本を組み合わせてドミノの大作を作っている。
 いっさいの無言。
 どうやら、かなり本気で集中しているらしい。

「アレね……話せばいろいろややこしいんだけど……」
「手短がいい」
「まあ一言でいうとね」
「うん」
「なんか……懐かれました」

 真由美は寝転がったまま、「えい」と言って、足の先で麻雀牌の列をつついた。

 カラカラと小気味よく牌が倒れた。ハンガーが回転し、ボールペンが転がり、滑車が回転し、カーテンが滑り、サーキュレーターが回り……エントロピーがみるみる増大していく。

「あああぁあぁぁあーっ、あーっ、なんちゅーことすんのよー! 何なのー! 白い人たちは揃いも揃って賽の河原の鬼かなんかなのーっ!」

 ウサギみみの桜崎翔子が、ウサギみみをぶんぶん揺らして、握ったこぶしを上に下にぶんぶん振りながら怒っている。
 藤宮真由美はしらんぷりして気持ちよさそうに髪を切られている。


 カーテンが揺れて、うららかな日差しが差し込んでくる。

 倒れた牌が、たまたま、本当に偶然に、国士無双を和了っていたことに、2人の超能力者も1人の霊能者も、誰も気づかなかった。



アレクサンドラ・メディナ

アレクサンドラ・メディナ イラスト:狗神煌


 青白い人影。
 西洋魔術結社WIZ-DOM。そのアルカナ・メンバーの中でも特異な位置を占める少女。

 ステラ・ブラヴァツキやディーナ・ウィザースプーンのように、役職や権限を持っているわけではない。にもかかわらず結社内で大きな発言力を持つ。

 もっとも、彼女はほとんどのことに無興味なので、主張らしきことをすることはめったにない。

 今回は、その「めったにない」ことが起こった例。彼女の意志を実現するために、WIZ-DOMが進めている他の全計画が一時凍結されている。

 


※著者注:引用は筑摩書房『世界古典文学全集 第5巻 聖書』(編者/関根正雄、木下順治)によりました。

 
フラグメンツ トップへ戻る

back
AquarianAge Official Home Page © BROCCOLI