じーわ、じーわ、じゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅ……。
夏休みが明けたばかりの、まだまだ日差しの強い中庭に、蝉の鳴き声がうるさく響く。
蝉時雨の中、中庭に聳える大木の木陰の芝生に、いまどきの女子高生にしては長いスカートを手で軽く撫でつけ、赤毛の女子高生、鈴鹿御前は腰をおろした。
豊かな赤毛を揺らして、膝に置いた布包みをほどく。
「おいしそー。鈴鹿の手作り?」
涼しい木陰を作り出す庭木の枝から逆さにぶらさがったのは、浅黒い肌に金色の不思議な瞳の少女、魔神アシュタルテーだ。
こちらは鈴鹿とは対照的に今風のミニスカートの制服を着ている。
「お主はよくよく木の上が好きと見える」
「ねえねえ、聞いた? 転校生のう・わ・さ」
鈴鹿のあきれたような呟きを聞いてか聞かずか、アシュタルテーはくるりと回転しながら枝から飛び降りる。
着地の瞬間、青みがかった艶やかな黒髪が翼を形作り、ふわりと音もなく鈴鹿の真横に降り立つ。
「転校生?」
弁当箱を覗き込もうとするアシュタルテーを朱塗りの箸を蝿でも追い払うように振って牽制しながら、鈴鹿は聞き返した。
「うん。しかも二人いっぺんにって話。卵焼き、よくできてるじゃん」
「そうかの?」
褒め言葉に思わず鈴鹿の顔がほころぶ。
「あ、やっぱり鈴鹿のお手製なんだ。相手もまだ見つかってないのに花嫁修業?」
「う、うるさい!」
鈴鹿が耳を赤く染めて叫んだ隙に、アシュタルテーの指が卵焼きを一切れつまみあげる。
「情報料代わりに頂くよ」
ぱくっと卵焼きを頬張るアシュタルテーに、鈴鹿は苦い顔で応じる。
「たいした情報でなければ腹を裂いてでも返してもらうぞ」
豊かな巻き毛の下に隠れた額の角がきらっと光る。
「おお、怖わ。うーん。ちょっと甘めかな?」
肩をすくめたアシュタルテーはしれっと鈴鹿の卵焼きを批評した。
「……ふむ」
自分も卵焼きを一口かじり、鈴鹿は素直に頷いた。
「味醂が多すぎたかの」
「で、転校生なんだけどさあ」
鈴鹿の反省の呟きを無視して、アシュタルテーは鈴鹿の横の芝生にあぐらをかいた。
朱塗りの箸で弁当を食べ始めた鈴鹿は、そのはしたない姿に眉をひそめる。
「E.G.O.と阿羅耶識のエージェントらしいんだな、これが」
「えーじぇんと?」
きょとんとする鈴鹿に、アシュタルテーはいいなおす。
「えーと、間者?」
「おお」
得心がいった、という表情で頷く鈴鹿に、アシュタルテーは真剣な目を向ける。
「でもって、鈴鹿、対アンタ用に選び抜かれた連中だって」
「ほう?」
鈴鹿の瞳がぎらりと光った。
「良い度胸じゃな」
「ホントにね」
鈴鹿の言葉に、アシュタルテーは相槌を打った。
「でも、アタシらに構ってる余裕はないはずなんだけどな」
アシュタルテーは腕組みをして考え込む素振りを見せる。
その仕草にも、鈴鹿は眉をひそめる。
「ふむ。何か他に目的があるのではないか?」
「目的って? この学園にアタシら以外に何か目的にするようなモンあったっけ?」
「それはわからぬが」
鈴鹿はあっさりと言った。
「まあ、目的なしってことはありえないしね。少なくとも、この学園に鈴鹿御前がいるってことは知ってるってことだし、アタシらがいるのも知らないはずないし。そこにわざわざ転校してくるんだからね」
「確かにの。ま、せいぜい気をつけるとしよう」
アシュタルテーの話を聞きながら、弁当を平らげた鈴鹿は、弁当箱を包みなおしながら頷いた。
「でさ」
「うん? まだ何かあるのか?」
「うん。こっからはお願い」
「頼みごとか」
小さな水筒の蓋を開け、魔法瓶から熱いお茶を注いでいた鈴鹿は、面白そうにアシュタルテーに視線を向けた。
アシュタルテーが他人に頼みごとをするというのは珍しいことだ。
「アタシ、E.G.O.の連中にはちょっと貸しがあってさ。もしやるなら、E.G.O.のヤツはアタシにやらせてよ」
アシュタルテーの金色の瞳がきゅうっと猫科の動物のように細くなり、目尻が吊りあがる。
「ふん? まあよかろう。あちらから襲ってくるようなら確約はできんが」
「それでいいよ」
アシュタルテーは舌なめずりして口角をきゅっと吊り上げる。
「そろそろこの身体にも慣れてきたところだし。いい腕試しになりそうだよ」
「確かにの」
ゆっくりとお茶を飲みながら鈴鹿は相槌を打った。
「あ、カーリーもやりたがると思うけど、アタシが先約ってことでよろしく」
「心得た。しかし、カーリーはほとんど見かけないからの。心配はいらんだろう」
「たぶんね。でもカーリーで殺され、ドゥルガーからパールヴァティにまでなって倒されてるからね」
「そんな強者がおったとはの」
鈴鹿は目を丸くした。
「うん。そんときはアタシはもうやられてて、二対一でひとり道連れにしたって話だけどね」
「ふむ。お主も案外たいしたことがないの」
「相性悪い相手だったの!」
「そういうことにしておいてやろう」
歯を剥き出して主張するアシュタルテーの顔に眉をひそめながらも、鈴鹿は笑いをこらえることができなかった。
「えー。今日は転校生を皆に紹介する予定だったが……」
朝のホームルームで、鈴鹿のクラスの担任は眉をしかめた。
「どうも到着が遅れているようだ。名前は日比野凛。到着次第紹介するつもりだが、ともかく今日からクラスにひとり増えるのでよろしくしてやってくれ」
(ふむ……遅刻か。何かの策かの)
鈴鹿は窓の外に視線を巡らせた。
「朱麗花と申します。横浜からやって参りました。趣味は太極拳です。皆様、どうぞよろしくお願いしたします」
一方、アシュタルテーのクラスでは、清楚な白基調のセーラー服姿の朱麗花が教壇に立って、深々とお辞儀をしていた。
「趣味は大極拳、ね」
あてが外れた、といった表情で、頬杖をついたアシュタルテーは唇を尖らせて呟いた。
「ふわぁああ」
学園へ向かう坂道の途中で、手で隠す素振りも見せず、日比野凛は大欠伸をもらした。
「まいったまいった。今日から転校だってすっかり忘れてたよ」
今日も朝までストリートファイトに明け暮れていた凛は、湿った髪を指で梳いた。
朝帰りの途中で麗花からの連絡を受けた凛は、軽くシャワーを浴びただけで飛び出してきたのだった。服も、ハーフパンツにレプリカジャージの普段着姿だ。
「この坂を毎日登るのかあ。やんなってきた。帰ろうかな」
ぼやきながらも丘の頂上の学園へと向かう坂道をなんとか登りきった凛の前に、ぴったりと閉ざされた校門が姿をあらわした。
「よっと」
「お待ちなさい!」
鉄の門扉に手をかけ、ひょいと門を飛び越えようとした凛に、鋭い声がかけられた。
「はえ?」
門扉の上にしゃがみこむ形になった凛は、校門の中から凛を見上げる形で睨みつける風紀委員の腕章をつけた女生徒と視線をぶつけあった。
「この学園に何か御用ですか?」
茶色の髪をポニーテールに結んだ端正な顔の少女は詰問口調で尋ねた。
「えーと、用っていうか、あたし、このガッコの生徒のはずなんだけど」
凛は指で頭をかきながら応える。
「生徒? それにしては見覚えがありませんね。学年とクラス、名前は?」

「学年は2年……だと思う。クラスは……わかんないな」
「ふざけてるんですか?」
凛の応答に、女生徒は眉尻を上げる。
「あーいや、あたし、今日からこのガッコに転校することになってるんだけど」
「転校生? それじゃあなたが……」
そう呟き、風紀委員を務める魔神ドゥルガーは凛の顔をきっ、と睨みつけた。
次回予告
転校生 中編