断片4「人造の聖母」

 大聖堂で、めずらしいことに、ディーナ・ウィザースプーンとクラリス・パラケルススがばったり顔を合わせた。

「あいかわらずの若作りですこと、クラリス。そろそろ威厳を演出したほうがよろしいわ」
「ディーナちゃんはあいかわらずの少女趣味ね。そろそろエステ興味ない?」

 ひとしきり、そんなあてこすりの応酬があった。
 ディーナはレースを編み込んだフードつきの真っ白い法衣姿で、体型が外にはいっさい出ない服装である。一方クラリスはぎりぎりまで丈の短いニットのワンピース姿、肩ストラップもなく、胸の上半分がほとんど外に出ている。指と手首と胸元にたっぷりと宝石を飾っている。
 白魔術の大導師ウィザースプーンと、大錬金術師パラケルスス。
 外見は2人とも20歳前後だが、実際にいくつなのかは、誰も知らない。

「ところで冗談に見せかけた本音はこれくらいにして、ディーナちゃん、内密で意見を聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「相談を? 私に? 貴女が?」
 ディーナはあからさまに驚いていた。「それは、貴女、高くつくわよ。もちろん、わかっていらっしゃると思うけれど」
「やぁねぇ、安くしといてよ」
「おかしなワナじゃないのでしょうね?」
「封印しておいた274番が、勝手に目覚めた」
「え?」

 274番とは、ホムンクルス・アゾートシリーズの第274号個体、錬金術師クラリスの戦闘用ホムンクルスだ。優秀な個体で、戦果もはかばかしい。勲章をいくつか持っているはずだ。
 だが、精神が成長しすぎた。あまりにも人間に近くなりすぎた。
 こういう特殊な成長をするホムンクルスはクラリス工房には今までにいなかった(具体的にどんな成長なのかは、ディーナは知らない)。どんなに調べても、別のホムンクルスで現象を再現できなかった。
 そこでクラリスは274番……works274の機能を止め、ベークライトに固定して凍結指定にしたのだ。
 ……とディーナは聞いている。
 ようするに2度と作れない奇跡のホムンクルスができてしまったので、スイッチを切って、サンプルとして永久保存することにしたのだ、というのがディーナの理解である。

 そのworks274が自力で再起動した、とクラリスは言うのだ。

「クラリス、貴女の封印が雑だっただけの話ではなくって?」
「馬鹿おっしゃい。私はいつだって完璧よ。だけど、そう、封印を手伝わせた私の弟子がスカだった可能性はもちろんあるわ。それは否定しないし、その可能性はリジェクトできない。けどね……」
「何か?」
「あのね……」
「言う気がないなら失礼するわ」

「274は処女懐胎している」

「――え?」
「訊かれる前に条件を言っておくけど、works274はまる1年凍結状態にあった。それと、彼女に生殖能力は搭載されていない。当然、そういう行為の痕跡もないわ」
「ありえないことが起こった?」
「そう」

 2人の魔女が、しばらく黙りこくった。

「あなたはそれを、何かの重大な予兆だと思うのですね?」
 とディーナが沈黙を破った。
「予兆、そう、何かのきざしだわ……」クラリスが頷く。「何か大変なことが起ころうとしているような気がする。世界の免疫反応を私は見たのかも」
「クラリス、あなたはおそらく初めて正しい判断をしました。私のところにいる星見、占師の全員に動員をかけます。私自身も占いを立てて……」
「ウィザースプーン師、それより、もっと詳しい意見が聞きたいわ。……見に来ない?」
「……まいりましょう」

 何かの罠かもしれない、という可能性を、ディーナはこのとき一蹴した。
 よもや、クラリス・パラケルススが、私のことを敬意をもってウィザースプーンと呼ぶ日が来るとは。


     ☆


 礼拝堂じみた広さと内装をもつクラリスのアトリエに到着したクラリス・パラケルススとディーナ・ウィザースプーンが、最初に目にしたのは、回転する真っ赤な警告灯で、耳にしたのは警報サイレンだった。つまり、異常事態が発生していた。

「何が起こっているの?」とディーナ。
「フラメルちゃん! ルミ・フラメル! 改造されたくなかったらどうなってるのか報告なさい!」

 弟子がコンソールに取りつきながら絶叫する。
「先生! 先生! エヴェストルムジェネレーターが異常停止しました! 再起動できません! アゾースエネルギーの流出が止められません!」
「何をしたの!? 怒るから正直に白状しなさい!」
「何もしてません! あいつに全部吸い取られてるんです! 研究所ごと全部!」

 ここが礼拝堂だとしたら、ちょうど祭壇にあたる位置。そこに巨大なガラスケースがある。
 クラリスは急いで目を向けた。

 裸の少女が、自分の腹部を守るように両手をかざして、ガラスケースの中に浮いていた。
 ケースの中は透明な樹脂で満たされ、固定されている。クラリスとディーナは、その少女に膨大なエネルギーが集まっているのを“視る”ことができた。

「つまり、どういうこと?」
「簡単なことよ、ディーナちゃん。この研究所の動力炉がハックされた。魔力が流出してる。そして全部あの子がエネルギーを吸い取ってる。……あれが274番よ。やってくれるわね。今、この研究所は何の力もないただの建物。基本的な防御機能すら消滅している」
「works274……これが……」

 人造人間たちの聖母マリアか。

 ディーナは固定されたそのホムンクルスに近づこうとした。

 そのとき。
 ガラスケースが爆発した。内側から固定樹脂ごと四方にはじけ飛んだ。ディーナは法衣の袖で顔を守る。半ば溶けた樹脂の破片がタイルの床に散らばる。
 
 目を閉じたホムンクルスworks274が、宙に浮いている。
 その腹部に、青白い光が宿った。
 光はビームのように数条にわかれてほとばしり、広いアトリエ内にみちあふれ、居並ぶ魔女たちの目を灼く。

 274の少女のような身体に後光がさしはじめる。
 腹部の青い光はもはや正視できないほどだ。まるで光のかたまりの上に彼女の上体が乗り、光の下から、彼女の足が生えているかのようだ。

「産む気なの……274……」

 クラリスの問いに、眠ったような274は答えない。

 やがて……
 ひときわ強い光の筋が幾条も踊り狂って周囲を白く灼いた。
 そして……
 青白い光の中に、ちいさな、とてもちいさな。
 真っ白な赤ん坊が――発生したのだった。

 パラケルススとウィザースプーンは、かざされたworks274の両手の間に、支えもなく浮いている嬰児を、言葉もなく見つめている……。


 その沈黙を。
 獣の咆吼がやぶった!

「転送反応です! 大質量がここに来ます!」ルミ・フラメルが叫ぶ。
「妨害システムは?」
「ダウンしています!」

 石造りの礼拝堂風アトリエ。その壁の一方が激しく砕け散った。解体用の巨大鉄球が外からぶつかってきたような勢いだ。ぶつかってきた物体が、ウロコをこすりあわせ、生臭い息を吐いて、咆吼した。テレポートを使ってクラリスのアトリエを強襲してきた大質量は生きた巨大な竜だった。

 竜は発火性の竜の毒液を撒き散らし、周囲を火の海に変えた。

 竜の背の鞍から女騎士が飛び降りてきた。女騎士は自分の身が焼けるのもかまわずに炎の中に飛び込み、輝く光に包まれて浮かぶ赤ん坊を左腕でさらった。騎士は鞍に駆け上った。
 魔女たちが阻止するいとまもない、あっという間のできごとだった。

 竜は酸の毒液で天井方向を溶かした。アトリエの屋根が燃えながら熔解する。翼をはためかせ、竜が飛び立った。屋根にできた穴を砕き広げるようにして、竜と竜騎士はあっという間に天に駆け上がった……。





 消火作業が終わった。

「失態ね、クラリス・パラケルスス」
 とディーナが錬金術師を一瞥した。
「ねえ、ディーナちゃん?」クラリスはくねくねと気味悪くしなを作った。「そのクラリス・パラケルススに貸しを作る気はなぁい?」
「貸し?」
「あの女に、このこと黙っててほしいのぉー」
「ステラに?」
「ちがうわよ。やっと女教皇の座を後進にゆずったと思ったら、別の地位をちゃっかり手に入れて、背後にまわって院政なんか敷いちゃってる、引退するする詐欺のあの女によ」
「クラリス……」ディーナは本気でぎょっとしていた。「かりにも尊い座にあられた方を、あの女呼ばわりとは……」
「何? ……ああ、そうよね。貴女は魔法使いだから、そういう幻想は大事よね」
「貴女だってそうでしょうに、クラリス」
「違うわ、私は科学者だもの」
 クラリス・パラケルススはとても珍しく、真面目な顔でディーナを見た。
「私の額には“真理”の5文字が刻まれている。それより尊いものなんてこの世にないのだわ、あなたも本当はそうなのではなくて? ディーナ・ウィザースプーン」


  works274

works274

works274

 錬金術師クラリス・パラケルススが作り上げた傑作ホムンクルスのひとつ。
 戦闘兵器として幾度となく世界各地へ派遣されており、その功績ははかりしれない。

 戦闘行動を通じて、複雑な経験をあまりにも蓄積しすぎているため、創造者クラリスにも、「彼女が何を見て、何を感じてきたか」を把握することができなくなっている。脳内のメモリーに、クラリスにも閲覧できないブラックボックス領域があり、そこに由来するらしい「思いもよらなかった行動」をとりがちになっている。

 基本的には、命令に対して従順。戦闘兵器としての性能はアゾートシリーズの中でもトップランク。クラリスは、「反抗期の予兆が見え始めた娘」を見るような視線で彼女を見ているようだ。