アクエリアンエイジ フラグメンツ~女帝の聖楔~ 断片5
断片5「聖児消失」
極星帝国、アトランティス王国。その宮城。
アークトゥルス王の城の円形ホールは、アトランティス国民の自慢の種だ。
中央にはクリスタルの噴水。周辺には季節ごとの花園。天井は高いドーム状で、そのドームはステンドグラスでできている。
床は白大理石で、ドームを通した色とりどりの日光が、クリスタルの噴水に散らされて、純白の床を染める。計算されつくしたその光景には、どんなに審美眼に劣る者でも、ため息をつかずにはいられない。
別次元の地球の7分の1を占める大王国の中枢部。その玄関口である。
せわしなく人が行き来している。まるで大都市の中央公園といった広さがある。
この日は宮城の貴賓の間にて、帝国十将軍会議が行なわれている。ふだんの人出に加えて、各王国の大将軍たちが連れてきたおつきの者、警護の者たちが増えている。
十将軍は、いまはひとつ空席があって、9名しかいないが、それでも9人の大将軍がそれなりの格式を伴って来訪するのだから、大変な騒ぎだ。
各国のさまざまな民族衣装、風変わりなよろいかぶとなどがそこここに見え、宮城は活気にあふれていた。
ふいに、女官の悲鳴が響き渡った。
ざわめきが上がり、ばらばらに動いていた人の足が、物見高く、ある方向に集まりだす。
人だかりの中央に、騎士が2人いた。
2人とも、女騎士である。
双方とも、抜刀していた。
決着はほとんどつきかけていた。
ラスタバン竜騎兵の鎧をまとった女騎士が息を荒くして片膝をついていた。左手に剣を持ち、右手の槍を相手に向けてかざしているのだが、その槍は半ばで折れて、すでに下半分しかなかった。
キャメロット王国の紋章をつけた女騎士が、子供のようなにやけた顔で、それを見下ろしていた。抜いた剣を、あざわらうようにプラプラ揺らしている。彼女の髪からは、猫科の動物特有の三角形の耳がつきでていた。
彼女の近くには金色のライオンが寄り添っていて、決闘相手の折れた槍の上半分をくわえこんでいた。
キャメロットの獣人の騎士は、円卓の騎士に名を連ねる獅子将軍ユーウェイン。
ラスタバンの竜騎士はサイサ・シュトルフェだ。
決闘のきっかけは他愛もないものだ。
通り道に、互いに鉢合わせてしまい、
「そちらがどけ」
「おまえがどけ」
の応酬になってしまった、そのあげくのことである。
これを馬鹿馬鹿しいというのは簡単だが、本人たちにしてみれば、背負っているものにかけて、そうはいかないのだ。
極星七王国。帝国十将軍。これらは常に、水面下で勢力争いを繰り広げている。
いわば、サイサはアトランティス王国と竜騎士団を。ユーウェインはキャメロットの円卓騎士団を。それぞれ背後に背負っているのだ。
くだらぬことでも、簡単にゆずれば、それは相手の下風に立ったことになる。
そこはあえてでもつっばらねばならないのが騎士というものであった。
「ええい――」
サイサ・シュトルフェは左手の剣で、下方から捨て身で突きかかった。
「ふん、つまらん」
騎士ユーウェインが子供のような声でそう言って、だるそうにその突きをはじき返した。
「弱いよ、ラスタバンの竜騎士。ちっともわくわくしないね」
「……っ」
ユーウェインは剣のひらで自分の肩をぽんぽん叩いた。
「さてと。戦利品に片手くらいもらっとこうかなあ。王もそのくらいはおとがめになるまいよ」
ユーウェインはむぞうさにサイサに近づいてゆき、剣を振り上げたが――
「やかましいね。十将軍会議の真下で雑音をがなりたてるのは誰だ」
声が響き渡った。
つかつかと――
遠くからホールに入ってくる三眼の女の威圧感に、人の波が割れた。
「ロュス・アルタイルか……」
ユーウェインはいったん剣をおろし、ロュスを一瞥して、
「騒ぎは終わったよ、いまからこいつを……」
「そんなこた聞いちゃいないんだよ」
ロュス・アルタイルの額の目が強烈に光った。
「う、ぐ……」
「う……っ」
見えない“手”が、ユーウェインとサイサ・シュトルフェの顎を万力のようにつかみ、上に持ち上げた。
2人の身体が上方に引きのばされ、かかとが浮き……つま先立ちになり……。
喉を締め上げられているので、「やめろ」という、声も出せない。
2人とも、自分の喉をはさみこんでいる「何か」を外そうとして、首をかきむしるのだが、それは実体ではないので、何の影響も及ぼすことができない。
そうして意識が暗くなりはじめたころ……。
ロュスは見えない“手”を急にほどいた。
持ち上げられていた身体が自由になって、ユーウェインとサイサ・シュトルフェは、同時にドサリと床にくずおれた。激しく咳きこんだ。
ロュス・アルタイルはそれを一瞥して、きびすを返して立ち去っていった。
「バケモノめ。死んで生き返ったら、まるで別人じゃないか」
ユーウェインはやっと調子を取り戻すと、そんな捨て台詞を残し、ライオンを連れて足早にその場を立ち去った。彼女は床に引き倒されたことを恥じたのだった。
野次馬が解散しはじめた。サイサ・シュトルフェは折れた槍を拾って立ち上がった。
奥歯をかみしめると、ホールの出口に向かって、決然と歩き出す。本来ならソフィー・ラスタバン公女将軍の近衛騎士として、その場で待機していなければならない身だ。
「ちょっとぉ、サイサ、どこ行く気なの?」
「スリジェどのか」
蝶の羽根を背中にそなえた手のひらくらいの妖精がひらひらと舞って、歩み続けるサイサの肩に止まった。
「私はラスタバンの紋章をけがし、あまつさえ、公女将軍よりご拝領の竜槍まで失ってしまった。おめおめと麾下には戻れない。私は出奔する」
「しゅっぽん?」
「国を去る。地をさまよう」
「え、出てくってこと?」
「私にはもっと力が必要だわ。戦う力をつける。そして――」
サイサは血の味のする唾をのみこんだ。
「円卓騎士ユーウェイン。あいつを殺す。それまでは決してソフィー様にお目もじはしないわ」
「やだよ、久しぶりに会ったところなのにー。考え直してよー」
「駄目よ。私は、私自身が許せない」
「だったら……サイサ、どうしてもって言うなら、いいこと教えてあげる。だからすぐに帰って来てよ」
「いいこととは?」
「私ね、シルマリルに聞いたトキあるの。あっちの世界のダークロアには、すごい鍛冶屋さんがまだ生き残ってるんだって。神話の時代のマホーの剣や槍を、今でも作れるんだって」
サイサは立ち止まった。
「どこにいるの? その鍛冶師は」
「ニホンの山奥よ」
☆
そうして……。
竜騎士サイサ・シュトルフェは鍛冶師月山に会い、大錬金術師クラリス・パラケルススの研究所を単騎で襲うという冒険をなしとげ、WIZ-DOMにあらわれた聖なる赤子――ホーリーチャイルドを手中におさめたのだった。
サイサ・シュトルフェは赤ん坊をマントに包んで抱きかかえ、竜に乗って海上を飛び進んでいた。
前方から受ける強い風が、赤子に当らないように気をつけている。赤ん坊は泣きわめきもしないで、じっとサイサを見詰めていた。
この子を月山に渡せば、魔法の槍が手に入る。
それはユーウェインの首を取るための、大きな助けとなるだろう。
だが――
月山は、気が向けばこの赤ん坊を食う、とか言っていなかっただろうか。
この、いたいけな幼子を?
心優しいサイサ・シュトルフェは逡巡した。
何らかの別の方策をとるべきではないのか? 例えば――この赤子を得たことを功績として、母国に帰参するというような。そのようなことは可能だろうか。
「アー」
赤ん坊がふいに声を上げた。
サイサ・シュトルフェはそれで我に返った。
「あれは……」
前方に。たくさんの黒い粒のようなものが、小さく見え始めた。
かなりの速度でこちらに向かって飛んでくる。
編隊といった、統制の取れた動きではない。てんでばらばらに飛んでくるだけなのだが、ひとつひとつの個体はかなり大きい。
サイサは双眼鏡を使って目をこらした。
そして、戦慄する。
30頭を下回ることはないだろう、ライオンの下半身を持つ巨大な鷲たちの群れ。
その先頭にいるのは、背中に白い鳥の翼を生やし、巨大な蛇を身体に巻きつけた、ゾッとするような青白い全裸の少女。
「WIZ-DOMのキメラたちだ……」
それはキマイラ“ミオ・アルムクヴィスト”が率いる、有翼獅子グリフォンの集団。
パラケルススが山中で秘密裏に飼い慣らしているキメラたちの軍団だということを、サイサは知らない。
しかし、自分を追ってきた刺客だということは、誤解しようもなかった。
向こうもこっちを、とっくに捕捉しているはずだ。速度を落とす気配はない。
ということは、問答や交渉をするつもりはないということ。
あちらは身軽。
こちらは人間と鞍を乗せた竜だ。
「ここまでか……。ソフィー様……」
サイサ・シュトルフェは剣を引き抜いた。左手に赤子と手綱。右手に無銘の愛剣。
うしろを見せて背中に切り傷を受けるなど、竜騎士のふるまいではないのだ。
サイサは鋭く叫んだ。
「行くぞ! キメラども! ラスタバンの竜騎士サイサの、最期の斬り込みをその目に焼きつけるがいい!」
竜が、あるじのときの声に応じて、武者震いに震え、吼える。
サイサは絶叫し、たった一騎で怪物の群れの中へと突入していった。
その後、彼女の姿は、公式に確認されてはいない。
ホーリーチャイルドの行方も、さだかではない。
ラスタバンの竜騎兵を率いる騎士隊長のひとり。
一本気で、融通がきかないが、そこが愛されているのか、ソフィー・ラスタバンの覚えはめでたい。
ソフィーの使者として各国に派遣されることが多く、各地に親しい友人がいる。
アイシャ・ツバーンとはいとこ同士で、また親友同士の間柄。彼女たちの一族は、特殊な耐性をそなえた竜を育成するすべに長けている。
1戦闘でイレイザーの魔竜の首を5つ持ち帰ってきたという伝説的なスコアを持っていることでも知られる。