断片6「彗星」

「みなさん、こんばんは。“今宵あなたのハートをゲット”でおなじみ、怪盗シャ・ノアールです」
 ずりずりずり。
 と音を立てて移動しながら、怪盗シャ・ノアールは、ひそひそ声でひとりごとを言った。

「私は今、たいへんなことになっております」
 ずりずりずり。
 ひとりごとである。

「えー、私ですね、なんとただいま、イレイザーの巡洋艦クラウディアの中で、孤立しております。ここは宇宙です。日本にいる万城目千里さーん。聞こえますかー。返事してくださーい」

 返事はない。

 どうしてこうなったのかといえば、以下のようなことである。
 ある日、万城目千里は、「イレイザーの司令官ラユューが秘密裏に地球に上陸する」という未来のビジョンを見た。
 ようは予知夢のようなものである。万城目千里の超感覚は、超能力者集団E.G.O.の中でも随一といわれている。
「そこに行って、ラユューが何をするのか見てきてほしい。できたら揚陸艦に潜入して、データを吸い出してきてほしい」
 シャ・ノアールに依頼されたのは、そんなことだった。
「ようするに情報を盗んできてほしいってことね。そんなことなら、おまかせ」
 鼻歌まじりに出かけていった。それがいけなかった。
 楽勝でラユューの揚陸艦に忍びこみ、メインシステムに侵入して、専用のPCでデータを吸い出し始めた、そこまではよかったのだが、なぜかラユューは重傷を負ってかつぎこまれてきて、艦は彼女を乗せたまま、ふわりと地球を離れた。

 そうして揚陸艦は巡洋艦クラウディアに吸い込まれ……シャ・ノアールは今、たったひとりでここにいるわけである。

「シャ・ノアール? 生きてる? 聞こえる?」
「あ、ボス!? っていうか万城目さん!」
 万城目千里からのテレパシーが、シャ・ノアールの意識に接続した。万城目くらいの送受信能力がないと、この距離の通信はとても不可能だ。つまり、万城目からシャ・ノアールに電話をかけることはできるが、逆は不可能なのである。

「状況はだいたい把握している。今、あなたについて上層部と相談してきた」
「救出部隊はいつくるんですか?」
「上の人は、生死は問わないから、最大限の情報を送信しつづけろっていってるわ」
「生死? 生死は問わないって、どういうことですか?」
「あなたの生死はどうでもいいっていう意味だと思うけれど」
「冗談じゃないです! わたしは水島上等兵じゃないんですよ! 帰りたいです! 何とか迎えに来てくださいよ!」
 ずりずりずり。
「仕事はスリルがあるほどいいって、あなたいつも豪語してたじゃない」
「限度がありますよ! だってシャッター開けるとときどき空気ないんですよ!」
 ずりずりずりずりずり。
「さっきからズルズル音がしてるの、何?」
「段ボールを着ています」
「は?」

 シャ・ノアールは、今、こういう状態である。
 おしりと背中を、段ボール箱の内側にかぽっとはめこんでいる。
 手の先と、足の先と、頭だけを外に出して、うつぶせになっている。
 その状態で、正体不明の合金でできた、いかにもSFチックなグレーの連絡通路を、ずるずるずると這っているのである。
 だいたい、段ボール箱の甲羅を背負ったカメ、というのを想像すると、間違いがない。

「へぇ、イレイザーも段ボール使ってるんだ。それって意外に有益な情報かもね。報告しておくわ。その調子でいろいろ情報集めて……」
「あっ、誰か来ました!」

 シャ・ノアールは頭と手足をひっこめて、通路の壁にぴったりくっついた。
 トカゲの頭とシッポのついた戦闘員が2人、威圧的な軍靴の足音をさせて背後からやって来て、段ボールの脇をそのまま通り過ぎ、自動ドアの向こうに消えていった。シャ・ノアールが入った段ボールのことは、単なる荷物の置き忘れくらいに思ったらしかった。

「ふぅ……助かりました。さっきからずっとこの調子で」
「どうなってるの、イレイザーの人たちの認識力は」
 万城目千里が全力で不審のニュアンスをただよわせた。
「ま、いいけど。1時間おきにこちらから連絡するから、そのつど情報をまとめてテレパスで送信して。疲れたから今回の通信は終了する。以上」
「あっ、ちょっと待っ……」
 切れた。

 はぁ。
 シャ・ノアールは、背中に段ボールを背負ったまま、壁にもたれて、足を投げ出してへたりこんだ。
 これだもんなぁ……。

 と、そのときけたたましい警報音がひびきわたった。シャ・ノアールは自分が見つかったかと思ってあたふたしたあげく、段ボールの甲羅の中に自分をぴったりとしまってうずくまった。

 放送が響いた。

“告げる。私は当艦。クラウディアシステムの仮想人格。今から定例の体内フルチェックを行なう。電磁センサー。熱レーザー、中性子シャワーの網羅的使用を行なう。乗組員は2分以内に所定の位置で待機して。じゃないと死んでも知らない”

「ええーっ!?」

 シャ・ノアールがいる通路の、行く手と背後の両方で、分厚いシャッターが閉まった。通路だった場所は、細長い四角い部屋のようになってしまった。
 彼女は密室になった通路をあっちからこっちへ段ボールを背負ったままカサコソを動き回り壁にぶつかったりしてみたが、もちろん何ともならない。

 透明な、赤い光の壁が、ブゥンという鈍い音を立てて、通路の一方の端にあらわれた。
 赤い光は、通路のあっちからこっちへと、空間全体を撫でるようにこっちに進んでくる。

 これ、ひょっとして、触ったらヤバイ感じのものじゃ……。

 そう思うが何ともならない。シャ・ノアールは小さい悲鳴を上げて反射的に段ボールの中に縮こまった。
 シャ・ノアールは段ボールの上から赤い光をまともに浴びた!

 が、特に何ともなかった。
 光はそのまま通路全体を撫でて、シャッターの向こうに通り過ぎて行った。

 シャ・ノアールは、箱の下の縁から、そっと頭を出そうとして、ぱっと再びカメになった。何かの気配を感じたからだ。
 小さなスキマから、外の様子を覗いてみる。

 シャ・ノアールは、立体投影の人物が、そこにフッと現われるところを見た。
 それは髪の長い、白い服を着た、耳の尖った女の子のホログラフだった。瞳と髪が、うすい緑色に発光している。シャ・ノアールは、何となく、これがさっきの艦内放送の主ではないかという気がした。

 クラウディアの仮想人格(推定)は、体重の感じられないうっすらとした姿でそこに立って、あたりを見回し、何かシャクゼンとしない、という風情で首をかしげた。
 次の瞬間、濃い緑色のレーザーが、通路全体に、まさしくクモの巣みたいな密度で充満した。レーザーはもちろん段ボールにもふりそそいだが、内側にまでは入ってこなかった。

 緑の探査レーザーは消え、クラウディアもふっと姿を消した。
“艦内サーチ終了。全員、通常任務に戻ればいい”
 そんな艦内放送がひびいた。

「ふわーっ、あっぶね、あっぶね!」
 緊張をほどいたとたん、どっと汗が出てきた。
「すごいな、段ボール。見直したよ。段ボール」


 シャ・ノアールはそれから、ともかくにも艦内構造を調べられる場所を探しまわることにした。
 情報を集めるというより、自分がなんとか脱出する方法を探すためだ。

 段ボールのかくれみのに隠れて、いくつかの部屋を出たり入ったりした。

 そうしているうちに、やけに内装が豪華な部屋に行き当たった。

 こそこそと入り込んで、コンソールをいじっていたが、やがて誰かが入ってくる気配がしたので、あわてて段ボールに身体を押し込んで部屋の隅にうずくまった。

 真っ赤に燃えるようなオーラを身にまとった、まともに目を向けつづけていたら脳みそが焼けそうな、おそろしい長い髪の美女が入ってきて、王様が座るようなひとり用のソファーに身体を落ち着けた。

 つづいて、それよりはいくぶん地味な、理知的そうな女性が入ってきて、立ったままひかえた。両方とも、背中に翼が生えていて、イレイザーの天使族だということはすぐにわかった。

 あれは、映像で見せられたことがあるような。ひょっとして大天使ミカエルと、参謀長メタトロンじゃなかったかな……。

 2人の天使は、話し始めた。

(そう……)

 シャ・ノアールは、それを、聞いてしまった。

(そして、わたしは、大変なことを……)

(とんでもないことが、起こりつつあることを……)
(知ってしまったのです……)


     ☆


 鍛冶師月山は、レライエから受け取った仙果をうれしそうになでまわすと、戸棚の中にしまいこんだ。
 そして半月ほどかかって、あやしく黒光りする、錬鉄のみごとな大剣を鍛え上げたのだった。
「素晴らしい……」
 レライエは、抜き身の剣を握ってみて、そのできばえに感嘆した。
「でも気をつけなよ」
 月山はにこにこ笑っていた。
「私の作った剣は、持ち主の血を吸うのが好きだからねぇ」
「そのくらいの方が、この悪魔レライエにはふさわしい」
 レライエは黒い刀身に自分の顔を映しながら言った。彼女は何もわかっていなかったのだ。


 ティアマトの洞窟を再び訪れたレライエは、アシュタルテーの繭の前に立った。
「出来るの、本当に」ティアマトは今日も眠そうだった。
「むろんだ」

 レライエは、黒い剣を腰から引き抜くと、目の前の巨大な繭を、アシュタルテーごと何のためらいもなく串刺しにした!

 その瞬間、最初から繭に刺さっていた古い刀身が砕け飛び、黒曜石のかけらとなって散らばった。
 続いて、二度、三度と、繭を中心に激しい衝撃波が生じた。レライエは思わず剣を手放して後ずさりした。

 白い繭にふいに火がつき、瞬時に全体が燃え上がって、繭は消失した。
 うすい胸に黒い剣が突き立ったアシュタルテーが、目をつぶったまま宙に浮いている。 先ほど散った黒曜石のつぶが、まるで太陽をめぐる惑星のように、輪を描いて彼女の周囲をめぐっていた。

 黒光りする剣が、アシュタルテーから毒を吸い出すかのように、先端から順に、その黒さを増していく。
 そして刀身全体が漆黒にそまったとき。アシュタルテーの右手が動いて、剣の柄をぐっと握りしめて、おのれの身体からぬるりと剣を引き抜き、

 大きな目を、かっと見開いた。

 黒い大剣をかつぐようにして、ふわりと地面に降り立ったアシュタルテーは、
「おなかすいた……」
 と小さくつぶやいた。

「久しいな、アシュタルテーよ」
 レライエは顔をゆがめて笑った。
「おまえが盗み出して壊してしまった地獄の剣モーンブレイドが、今まさに復活したのだ。さあ、それは私のものだ」

「おなかすいた」

 アシュタルテーはレライエを一瞥すらせず、むぞうさに手を動かして、黒い剣でレライエの胸をつらぬき通した。

「ば、ア……吸わ……れる……」

 剣はレライエの血をどくどくと飲み干し、レライエの魔力はアシュタルテーに流れこんでゆく。
 アシュタルテーは満足のため息をついて剣を引き抜いた。

 レライエはその場にくずおれた。


     ☆


「わが永き、WIZ-DOMの歴史において初めて。すべての大なるアルカナの席が埋まろうとしている」

 底冷えする空間に、無数のロウソクの、光と熱。
 黒いビロードの幕で壁いちめんを覆った、薄暗い謁見室。

 その玉座に、ひとりの女がいる。

「ゼロより生じて20に至る空虚」

 赤みがかった金の髪。
 力にみちた紫の瞳。

「このわれは、そのすべてに贄をみたした」

 WIZ-DOMの女帝、ジャンヌ=ヨハネスは、無人の空間に向けて、おのれの声を響かせる。

「予言はこれを“世界(ワールド)の相”と呼ぶ。“世界”は今こそ成った」

「さあ……世界よ」

 女帝は、息をもらして、笑った。

「このわれに、どんな顔を見せる?」


     ☆


 彼女の体格には大きすぎる抜き身の黒い剣を、ずるずるとひきずって、アシュタルテーは洞窟の外に出た。

 夜明け前の空は、地平線のまわりから、紫色にかわりはじめている。

 アシュタルテーは、何かを感じ取ろうとするようにじっとしていたが、ふいに、まだ星の残る頭上の黒い空を、勢いよく見上げて睨みつけた。

「……何か来る!」


  シャ・ノアール

シャ・ノアール

シャ・ノアール

 世界中をまたにかけ、美しいものばかりを盗み出す怪盗。
 その実体はE.G.O.の超能力者。

 もう少しで尻尾をつかまれそうになるが、ぎりぎりですり抜け、なんとか脱出する……というパターンを、盗みのたびに繰り返している。
 そのため、「今度こそ捕まってしまうのではないか」「次はどうやって逃げるのか」と、常に世間をハラハラさせており、そのせいでかえって人気が高い。わざとそうしているのか、天然なのかはさだかでない。

 その能力を買われて、E.G.O.上層部から、たびたび諜報活動を依頼される。本人は「そういうスパイ大作戦みたいなのは、いまいちロマンチックじゃない」と公言しているが、それでも人の良さから引き受けてしまうことが多いようだ。

「奴は大変なものを盗んでいきましたあなたの心です」的なことを、一度でいいから言われてみたいと思っているが、残念ながらそういうしゃれた評判は立ったためしがない。


 ちなみに、本編中で彼女がかぶった段ボール箱は、イレイザーの試作型隠密作戦用装備「エスケープルーム」。
 イレイザーは地球のメディア情報を研究して、そこから新たな装備品開発の着想を得ることがある。科学技術班は複数のエンターテインメント作品から、「箱に入ることで、敵の視線から逃れうる」という類型を抽出し、それを実験的に再現した。
 技術的には、段ボール箱でなければならない理由は皆無だが、科学者たちは、「段ボールでなければならないという、地球側の“文化”があるのだろう」と間違った理解をしており、完璧主義ゆえに、その“文化”ごとコピーしてしまった。