アクエリアンエイジ フラグメンツ~約束の世界~ 断片1
断片1「女王の親征」
はるか遠い深宇宙で、「それ」は生じた。
生まれた瞬間、それは光のかたまりのような姿だったが、すぐにそうではなくなった。なぜなら、光よりもずっと早い速度で、虚無の宇宙を移動しはじめたからだ。
質量のあるような、ないような、不確かな存在である「それ」は、ある方向へ向けて、さまざまな天体が生み出す重力場や空間のゆがみなどはまったく無視して、ただまっすぐに宇宙を進んでゆく。
目的地は、銀河の辺境。
太陽系と呼ばれる星系である。
☆
南米。永世中立国コスタリカ。
首都サン・ホセからバスで5時間。パルマノルテの街はずれのコテージで、フリーランスの魔女2人――スイレン・オクリーヴとィリールァが、共同生活をしていた。
パルマノルテは高級観光地コルコバードへの中継地点なので、異邦人がいても、さほど目を引かない。WIZ-DOMやイレイザーの目を逃れて潜伏生活をするには、まずまず好都合の場所である。
スイレンはキッチンでランチのトルティーヤを作り、ィリールァは窓際で人なつこいハミングバードを餌付けしながら本を読んでいた。
そんな2人の頭の中に、突如として声が響きわたり、2人は同時に凍りついた。
《久しぶりだね、君たち、元気だったかな?》
スイレンは戦慄とともにつぶやいた。
「サン・ジェルマン……さま」
《おや、以前のように“大師さま”とは呼んでひれ伏してはくれないのかい? 寂しいな。ィリールァ、私の教えた竜語はまだちゃんと覚えているかな?》
ィリールァは答えた。
「おかげさまをもちまして。閣下、いずこに? 私どもに今さら何の御用向きを? こちらの世界へのご帰還は当分先とお見受けしましたが」
《うん、そうなんだ。まだ帰れないし、当分別次元にいるつもりだ。君たちが心配になったのでね。少し親心を発揮してみようと思ったのだ》
「心配?」
《君たち、今、どこにいるのだね?》
スイレンとィリールァは黙って顔を見合わせた。ィリールァがうなずき、スイレンがあいまいに答えた。
「南米でございます。先達」
《そうか。それはいい場所だ。好ましい。よいかね我が娘たちよ。当分のあいだ、そこにいたまえ。しばらくそこを動くのじゃないよ》
ィリールァが問う。
「なぜです? いつまでです?」
《じきにわかるよ。とにかく、日本の裏側にいるにこしたことはないのだ。塩津清良にも伝えてやりたまえ》
スイレンが言った。「塩津清良は音信不通でございます」
《そうか、残念だ》
意識に強制的に接続されていたサン・ジェルマンの気配が、その言葉を最後に、消滅した。
「何が起こるというのかしら」ィリールァがつぶやいた。
「わからない。ただ日本で何かが起こるらしい。地球の裏側にいたほうが良いと思う規模のものが」
スイレン・オクリーヴはテーブルの上のノートPCを開き、
「ともかく、急いで伊勢あかりさまに警告を」
「いいの?」
「サン・ジェルマンさまは、私がそうすることを織り込み済みのはず……」
☆
壁一面がクリスタルガラスでできた、光にみちたムー王国の王宮のサロン。
やわらかなソファーに身体をうずめたラユュー・アルビレオは、肘掛けに上体をあずけて、くつろいでいた。
「で? めずらしくあなたが気に入ったという、その人物に、私はいつ会えるの?」
そばに控えていたロュス・アルタイルは答えた。
「そうせかすな。死んだ諸葛孔明の再召喚は、レムリアの死霊術師たちに頼んで進めさせているよ」
「そんなに時間がかかるものだったかな?」
「……白状すれば、すでに5回試して、5回失敗してる」
「おかしいね、ロュス。一度は召喚に成功しているわけでしょう。なら、道筋はできているわけで、再召喚はたやすいはず」
「そうなんだ」
「なぜ?」
「ひとつの可能性としては、孔明の霊を別の何者かが召喚し、現世にすでに存在している場合。これはいくら霊界に呼びかけても留守だからつながらない」
「そんな可能性ってあるかな?」
「ないとはいえんよ。どっかの野良マインドブレイカーに捕まっている場合、連絡もしてこないだろうね」
「ふぅん、つまらないね」
「あるいは別の可能性として」
「なに?」
「孔明自身が、自分の意志で召喚に応じていない場合」
「現世に甦りたくないということ?」
「そう」
「そんなことってある?」
ロュス・アルタイルは皮肉っぽく笑った。そして言った。
「よほどの不都合が、現世にあるのかもね」
「だとしたら、それは、今回のアトランティスのお祭り騒ぎと関係があると思う?」ラユュー・アルビレオは訊ねた。
ロュスはしばらく沈黙して、答えた。
「あるいはね」
☆
「浮遊要塞、北東方向に向けて依然進攻中! 警告に対する回答なし! 自衛隊機が攻撃を開始しました!」
オペレーターがふり返りながら叫んだ。茨城県つくば市某所地下にあるE.G.O.の防衛作戦本部第3指揮所である。
「自衛隊統合幕僚監部より出撃要請がきています!」
「よし、航空部隊を上げなさい。即時攻撃を許可。推定上陸地点は?」
「中部地方東部です」
「VTM戦闘車を配置し、迎撃準備。陸自と連携を取るように」
指揮をとっているのはイツキインダストリーCEOの斎木麗名だ。
「――まるで怪獣映画ね」
斎木麗名は足を組んで座り、モニターに映ったものを見た。
ピラミッド。
というより、ジッグラトと呼ぶほうがふさわしいのだろうか。
石造りの建築が映っている。階段が刻まれた四角錐の巨大な構造物だ。
それが、上下逆さになっている。
そして、空に浮かんで、ゆっくりと海上を移動している。
しばし一同は、画面に映し出された、空飛ぶ石造りの城に見入っていた。
「どこの勢力でしょうか」と副官が問う。
「あんなものを持っているのは極星帝国くらいでしょうよ。――遊名は何と言ってる?」
「総帥閣下のご指示では、上陸を阻止せよ、と」
「でしょうね。海賊を追いはらうために、山賊を村に引き入れる馬鹿はいない」
「総帥本部では、本日中にレベルCクラスの覚醒能力者を500名招集するそうです。明日までにもう500名」
「直接送りこむ気かしら?」
「飛行能力を持ったエージェント若干名を派遣し、大規模シンクロで遠隔バックアップするプランとのことです」
「また決死隊作戦か……」
斎木麗名は首の後ろを椅子のヘッドレストに預けた。「いいかげん、その方法に頼るのはやめたいものだ」
「しかし、有効な手段です」副官は言った。
「だれが派遣されるのか、聞いている? 東海林姉弟?」
「東海林翼はロシアに派遣中です。東海林光は病院から脱走し、現在行方不明です」
「では、またあの子が?」
「さようです」
斎木麗名の表情は暗くなる。
「彼女はもう限界にきている。……遊名は自分の娘を何だと思っているのかな?」
「その彼女ですが、招集に応じていません。万城目が迎えに行っています。総帥本部より、時間を稼いでほしいとの要請がきています」
「わかった。熊谷の準備はどうなっている? 例の人形を出撃させなさい」
☆
ピラミッドを上下反転させたような浮遊要塞――。
極星帝国、アトランティス王国が誇る移動城のひとつ「アンペレス要塞」の広大な上部甲板には、神殿のような石の柱が立ち並び、その中央には玉座がしつらえられている。
アトランティスの女君主、レイナ・アークトゥルスは、いくさ鎧に身をつつみ、肩鎧の下から戦場用の厚い白マントを着こみ、悠然と玉座に座って、吹きつける海風を楽しんでいた。
玉座の一段下の左右には、同様のマントをなびかせた魔戦将軍カーラ・アステリオン、同じく魔戦将軍レジーナ・アルキオーネが控え、不敵な笑みを浮かべている。
そして広い甲板では、無数のアトランティスの魔剣士たちが、まるでスポーツでも楽しむかのように、魔法の剣を振るっていた。
上空から、E.G.O.航空戦隊のSF-01アルバトロスが急降下してきて、対地ミサイルを投下して離脱していく。
名もない魔剣士がひとり、まるでテニスプレイヤーのように着弾地点にまで馳せて、あやしい色に光る魔法の剣を縦横無尽にひらめかせる。
するとミサイルは布のように引き裂かれ、もちろん爆発することもなく、まるで内側から解体したかのようにばらばらの部品になって甲板上に散らばるのだ。
そんなことは、鍛え抜かれた魔法戦士たちにはごくたやすいことであった。彼らはまるで球技のようにそれを行なった。
甲板上の魔剣士の誰かが、空に向かって、手のひらから光の筋をはなった。
それは反転する戦闘機の中央をまっすぐにつらぬき、一瞬の間をおいて、それは爆発した。
浮遊要塞下部の銃眼から、鈍い振動音とともに光の弾がばらまかれる。
光の弾は空中でカーブを描いて戦闘機に無数の穴をうがち、また一機が落ちた。
「くだらぬ抵抗などせぬがよいのだ」
そんな様子を、レイナ・アークトゥルスは満足げに見ていた。
「道をあけて進ませるが良い。ふたつの地球の命運がかかっておるのだぞ」
「でもその道理は、彼らには通じないでしょうね、お姉さま」
カーラ・アステリオンが言った。
レイナはアトランティス王国の王であり、カーラやレジーナは王国軍の将軍である。だがそれ以前に、レイナはアトランティス剣士の頂点に立つソードマスターだ。彼女たち女剣士は、剣の道の大先達として、レイナを「姉」と呼ぶならわしである。
「さもあろうな。愚かさとはそういうことだ。……あれの観測結果を報告せよ」
「前回計測時の2.5倍です。地球衝突まであと3時間ほど」
「射程までは?」
「あと2時間半ほどですわ」
「カトンボどもが邪魔をせねば、間に合うかな」
「お姉さま!」
魔法の望遠鏡を手にしたレジーナがそのとき言った。
「でっかいのが来ます。進行方向から。あれは――飛行する人型機械!」
「E.G.O.どもの巨大ゴーレムかと」カーラが述べる。「融合型です。レムリア軍との戦闘事例があります」
「ああ、あれか……」
レイナ・アークトゥルスは玉座から立ち上がった。
剣の柄に左手を置き、甲板のへさきまで悠然と歩いていった。
高速で迫り来る巨大人型機械は肉眼で把握できる距離になり、みるみる大きくなり、原色で塗り分けられたボディを露わにした。
極星帝国に空飛ぶ要塞があるのなら、これはさしずめ、人型の要塞と呼ぶのが相応しい。
もはや建築物と呼ぶべきレベルの、手足を備えた機動兵器。
巨大な質量。
“ブレイブカイザー”と呼ばれているそれが、一直線に迫ってくるのを、レイナ・アークトゥルスは見た。
太く長いマニピュレーターが、白光りする塔じみた巨大な必殺剣を振り上げ、浮遊城に突入してくるのを彼女は見た。
「面白い」
レイナ・アークトゥルスはゆっくりと、腰の魔剣を引き抜いた。いつも腰に帯びている愛用の大剣ではなかった。
半透明の刃が青白く輝いている。
帝国最強の魔剣“ポラリス”である。それこそは、極星帝国皇帝より軍事の全権を委任されている証であった。
鞘から引き抜いた瞬間、刀身が震え、高周波とともに二度三度、白い輝きを放つ。
レイナ・アークトゥルスは甲板の先端でただ1人、敵の人型要塞にあいまみえる。
そして地面を切裂くように剣先をすべらせ、一気に振り上げた!
彼女の魔力が、魔剣ポラリスを中心に爆発した。
アトランティスの剣士たちは見た。
剣から放たれた白い魔力の奔流が、巨大なブレイブカイザーの必殺剣を受け止めるさまを。
振り下ろされる巨大兵器の巨大剣と、それに比べたら爪楊枝ていどにしか見えない人間の剣が、まっこうからぶつかりあい、力が拮抗し、せめぎあうそのさまを。
そして、やがて――
レイナ・アークトゥルスと魔剣の力が、鋼鉄の巨大兵を、下から押し返しはじめる。
魔力は剣を中心として、内側から絶え間なく弾けつづけ、その衝撃波に耐えきれずについにブレイブカイザーは後方に吹き飛ぶ。マニピュレーターの関節がありえない方向に曲がる。ブレイブカイザー・ブレードは中央からヒビを生じ、轟音とともにまっぷたつに折れて剣先は海に沈んだ。
「王の道をさえぎる者に死を。――道をあけよ!」
☆
映画館から出てきて、カフェに向かおうとしていた小石川愛美と藤宮真由美を遮るように、大型のBMWが止まった。
後部座席のドアが開き、出てきたのは万城目千里だった。
「真由美、あなたの力が必要よ。――来て」
真由美が小さく後ずさり、かすかに愛美の背後に隠れたいような気配を見せて、そっぽを向いた。
愛美は視界の端で、彼女のそれだけの様子を把握した。
「どうしたの、真由美」
万城目千里がきいた。
「千里さん、ごめんなさい」
真由美は息のまじった小さな声で、答えた。
「……もう疲れました」
それだけ言うと真由美は。愛美の肩に軽く手を触れた。そしてそれ以上何も言わず、後ろをむいて駈け去っていった。
小石川愛美は真由美を目で追わなかった。
彼女は万城目千里から目を離さなかった。
真由美を追おうとする万城目を、愛美は手で遮った。
「どきなさい」
万城目が鋭く言った。
「私をパスして、彼女を追えると思いますか」
愛美が言った。
「危機が迫っている。真由美の力が必要なのよ」
「それがどうかしましたか」
「――」
「何の危機だろうと、彼女に関係が?」
かなり長い時間、万城目千里と小石川愛美が、路上でにらみあっていた。
やがて万城目千里がため息をつき、目を伏せた。
「……問題は、おそらく君の言うことのほうが正しいということだ、小石川愛美」
天才工学博士・熊谷眞実が開発した、巨大な人型攻撃機。かつて数度にわたって、イレイザー、極星帝国の侵攻を阻止した、日本列島防衛の要。
レイナ・アークトゥルスとその配下たちによる集中魔法攻撃によって機能停止に陥り、海中に没した。しかし、戦闘能力は大きくは失われていない。
この事件の直後、イレイザーのブラック・ブレイブカイザーによる地球降下作戦が観測される。これを迎撃するため、ブレイブカイザーは熊谷によってサルベージされ、応急処置を施され、大気圏外に派遣されて死闘を演じることになる。