断片2「狙撃準備」

「それ」はすさまじい速度で星の海を馳せてきた。
 目指すは太陽系。
 地球圏。
 それはすぐ近くだ。もう手を伸ばせば届く距離に近づいている。

 地球と火星との間に展開しているイレイザー分艦隊は、「それ」の接近を認めて、精神スキャニングによる交信を要請した。

 だが、「それ」はコンタクトを完全に無視した。

 通りすぎる瞬間、異常な電波で、艦隊の全コンピュータが一時的に制御不能に陥った。


     ☆


 ブレイブカイザーを海底に葬り去ったアトランティスの浮遊要塞アンペレスは、ついに本土上空にさしかかった。
 眼下にある都市などには、要塞は目もくれていなかった。そんなものに用はないといった風情で、上空を浮遊して進んだ。
 地上には、要塞の大きな影が落ちるのみであった。90式戦車とVTM-C型装甲車による砲撃があったが、蚊に刺されたほどにも感じていなかった。

 要塞が目指した場所は、富士の樹海であった。
 眼下にまるで海のような森林地帯が広がると、浮遊要塞は高度を下げ、地を這うように進んだ。
 影が、濃緑色の森をなめていく。
 要塞が進む先に、鳥がざわめき、飛び立つ。

 最終的に浮遊要塞は、富士山の裾野、山肌にぴったりと寄り沿うような場所まできて、静止した。

「落下予測地点に到着しました、お姉さま」
 カーラがおごそかに報告した。
「よし。要塞主砲を展開せよ。照準、合わせよ」

 要塞の上部、広い平面甲板が、まるでモーゼの伝説のようにまっぷたつに分かれた。
 その断裂の下から、ルーン文字をびっしりと刻み込んだ巨大な砲身が、ゆっくりと持ち上がっていき、やがて天空に向けて立ち上がった。

「詠唱を開始します」
 カーラがそう宣言すると同時に、要塞内の中央動力室に控えていた魔術師たちが活動を始める。要塞中枢部に据え付けられた、人の背丈の二倍ほどもある真紅の大真珠から魔力が汲み上げられ、要塞砲へと誘導されていく。
 砲身に刻まれたルーンが、根本からゆっくりと青白く輝きはじめる。複雑、かつ大量に刻み込まれた魔法文字。これに魔力を通してゆくことが「呪文詠唱」なのだ。

「速度からいって、機会は一度。よく狙え。決して外すな」
 レイナ・アークトゥルスが念を押した。

 そのとき。
 グレネード弾の着弾とおぼしき爆発音が要塞下部にとどろく。
 続いて森の中から鬨の声がひびきわたった。

 要塞内にいる防御指揮官が、声だけでレイナに報告してきた。
「樹海内より獣人の軍勢が出現、殺到してきます。すでに一部は侵入を許しました」
「対応して。剣闘士戦隊を出撃させていいわ」レジーナが命令を出した。「竜兵も飛ばして。いい? 5分で蹴散らしなさい」
 要塞下部のハッチが開き、ギリシャ風の円楯と幅広の長剣で武装した剣闘士たちの軍団が吐き出され、かぎ爪を持った獣人の集団と刃をまじえはじめた。続いて数匹の竜が、翼をはためかせて飛び立ち、上空で旋回したのち、急降下して獲物をくわえこみにかかる。
「道理のわからぬ蛮族どもめ」
 レイナがかすかにいらだちを見せる。

 突然、手榴弾とおぼしきものが、下から投げ込まれて、甲板上で立て続けに爆発した。魔法の楯で武装した近衛魔剣士たちに、被害はない。が、激しい熱と音でかすかな混乱をきたす。そして濃い煙で、視界は閉ざされる。

 その一瞬をついて、かぎ爪つきのロープが三条、投射され、甲板上の飾り物にひっかかる。それを伝って何者かが躍り出てくる気配。

 爆煙の中で、武器がぶつかりあう戦闘音。

 やがて、風にながれて煙が晴れた。

 そこには、血だまりに倒れ伏した十数名の魔剣士と、その中に悠然として立つ、たった三名の獣人の女がいた。

「何者か」
 レイナが問うた。

 中央にいる、破れたショートジーンズの女が告げた。

「飯塚秋緒――この地のを預かるもの」

 その左にいた迷彩服の獣人が擲弾筒を放り捨てながら言った。
「その盟友、マヤ・波照間」
 右の獣人が爪についた血をなめた。
「私、真央・バースト」

「噂に聞く人狼の女王とやらか。何用か」
 レイナが重ねて問うた。

「縄張り荒らしには痛い目を見てもらうのが私たちのならわしなんでね。あんたたちが泣きわめき血を流して敗走する未来をプレゼントしに来た」
 人狼の女王、飯塚秋緒が答えた。

「汝らに用はない」レイナ・アークトゥルスは言い捨てた。「おとなしくねぐらに帰れば、命までは取らぬ慈悲をたれてやろう」
「私たちがねぐらに帰るのは」
 飯塚秋緒はぞっとするような笑みを浮かべた。
「おまえたちが血と肉をむきだしにして恐怖に震え、命乞いをしたときだよ」

「やんぬるかな、蛮にして愚」
 レイナ・アークトゥルスは気圧されるでもなく、うるさげにマントを払い、腰の剣を抜いた。
「汝らの首を飾り、その血で気勢を上げるとしよう」

 カーラ・アステリオンとレジーナ・アルキオーネも同様にマントをひるがえし、抜刀して進み出る。
「者ども、下がるのよ! おまえたちの敵う相手ではない!」
 カーラが叫び、近衛の魔剣士たちが左右に割れて、王と二将軍に道をあける。

「あんたたちの肉、柔らかそう」
 真央・バーストが幼い顔でにこにこしながら、マヤ・波照間とともに左右に分かれ、手招きをして極星の二将軍をひきつける。

 飯塚秋緒の五本爪が、剣と同じくらいの長さに伸びた。それが合図だった。

 レイナ・アークトゥルスの魔剣と飯塚秋緒の爪が、レジーナの愛刀と真央・バーストのかぎ爪が、カーラ・アステリオンの剣とマヤ・波照間のコンバットナイフが、同時に激しく激突した。


     ☆


 時間を少しさかのぼる。

「……と、このように、夏王朝に仕込んだ私の間者が申しております。イレイザーに援軍が送られ、それを迎撃すべく、レイナ・アークトゥルスが大規模な日本侵攻作戦を計画していると」

 畳敷きの日本間に、正座した厳島美晴と、同じく正座の軍師・聞仲が、相対していた。

「極星とイレイザーが互いに噛みあうのは、結構なこと」
 厳島美晴の声は、涼やかだ。
「そう思いません? 聞大師」

「思いますが、アークトゥルスの軍勢を、国土に引き入れることになりますね」
「そうですね」
「どちらかが勝ったあと、そのまま国内で暴れられては困りますね」
「もちろん」
「極星とイレイザーの戦闘それ自体が、コントロール不能なほど激化するのも、うまくない」
「ええ」

 聞仲はほほえんだ。

「どうやら、美晴さまにおかれては、腹案がおありのご様子」
「暴れて困る猛獣は、檻に閉じ込めるにかぎる。――この考えはあなたの軍略にも沿うでしょう? 聞大師」
「正しい発想です」
「四聖獣の巫女を派遣します。富士一帯を結界で封じ込めます」
「封じ込めて、その後、何とされます?」
「鬼神を勧請し、中にいるものをまとめてなぎ払いましょう。各地の寺社にその準備をさせています」
「戦闘ユニットを派遣しないのですか?」
「あそこは獣たちの領地。彼らが勝手に暴れるでしょう。私たちは戦力温存の一手でよいと思います」


 軍師・聞仲は退出した。

「正直、それだけでは甘いと思うが……外様の私にはこれ以上は僭越か」
 聞仲はひとりごちた。

「かん・ぽん・ちー。まったくもってさようで」

 庭の植木の陰から、つくりもののウサギの耳がゆれて、そんな声がした。

「何用かな?」
 聞仲は立ち止まり、桜崎翔子に言った。
「あちき、あっちこっちの大物にコネ持ってるでござぴょん」
「ござぴょん?」
「白いビリビリな人と、赤い二刀流巫女と、どっちにします?」


     ☆


(天雲も……い行きはばかり……)
 巫女装束の美女が、薄暗く湿った富士の樹海を、悠々と進んでいた。

(飛ぶ鳥も……飛びも上らず……)
 胴には胸当て。腕には手甲。戦足袋を履いて、じめついた土をふみわけていく。

(燃ゆる火を……雪もち消ち、降る雪を……火もち消ちつつ……)
 心地よさげに、古い長歌を口ずさんでいる。

 彼女の手には、二ふりの剣がある。
 いずれも、鞘はなく、抜き身のまま持っている。ひとつは、6方向に枝分かれした、七枝刀。もうひとつは飾り房のついた、古代風のまっすぐな剣。
 そのふたつを、肩に置いたり、ぶらぶらと揺らしたりしながら、優雅に歩いていた。

 進んでいたけもの道が、別のけもの道と合流する場所に来た。
 口をつぐみ、立ち止まった。

 機械同士をこすりあわせるような、甲高い回転系のエンジン音が聞こえてきたからだ。

 彼女はねじくれた木の陰に、そっと身を隠した。エンジン音が近づいてくる。
 近づいてくる。
 そして間合いに来たと思った瞬間、

 飛びだして直刃の剣を振り下ろした!

 巫女も驚いたし、相手も驚いた。

 必殺の斬撃は、あやしげな杖でまっこうから受け止められたのだ。
 杖の持ち主は、黒光りする大型のバイクにまたがった女だった。長い髪が身体にからみついている。その身体はほとんど半裸といってもいいような妖艶な衣装につつまれている。

 半裸の女は後輪を横滑りさせてバイクを止めながら、かざした杖からガンテの魔弾を撃ちだした!
 巫女装束の胸の中央を撃ち抜くと思われた魔弾は七枝刀の腹によって受けとめられた。刃が振動し、ガラスのような音を立てる。剣を持った腕に激しい衝撃が伝わる。

「おまえの顔を知っている」バイクの女が言った。「弓削遙だな? こんなところで何をしている」
「おまえの顔も有名だ」二刀流の巫女、弓削遙が言った。「黒魔女ステラ・ブラヴァツキ。こんなところに何をしにきた?」

「東洋魔術の流儀なら、遠巻きから魔神でも召喚するのがいつものやり方ではないのか?」
 ステラ・ブラヴァツキが問うた。
「それはこっちのセリフだよ。いつもの儀式魔術じゃないのか? おまえのような大物の魔女が、単騎で突入するとは意外な話だ」
 弓削遙が問い返した。

 しばらく互いに沈黙した。
 バイクのアイドリング音だけが森の中に響いている。

「自分の目で見たい。これから何が起こるのかを。自分の目で見なければ気が済まない」ステラ・ブラヴァツキは言った。「さしずめおまえも、そんなところだろう、巫女将軍」
「そんなところだ」と弓削遙。「ここで雌雄を決しても良いが」
「確かに、ここで勝敗を決するのも良い」
「決するか」
「そうしても良い」

 にらみ合う時間が流れた。

 やがて、どちらからともなく、二人の剣と杖が、ゆっくりと下げられた。

「互いの目が、満足してから、それからでも遅くはない」と弓削遙は言った。
「同意しよう」

 ステラ・ブラヴァツキはうなずいた。そして後輪をパワースライドさせ、一気にバイクを加速させて走り去った。

「……馬くらい用意しても良かったな」

 弓削遥はひとりごちたあと、二振りの剣をたばねてかつぎ、戦足袋をふみしめてその後を追い始めた。


  飯塚秋緒

飯塚秋緒

 富士樹海一帯に生息する人獣、人怪、化身たちの統率者。人狼の女王。

 境界を侵してテリトリーに入ってくる者は排除する、という、シンプルな行動式に基づいて活動している。