断片4「墜ちたるもの」

 アンペレス要塞砲にびっしりと刻み込まれたルーン文字は、根本から青白い輝きを宿し、いまやその光は砲口まで達していた。要塞の主動力である紅の大真珠から送りこまれた魔力が隅々まで行き渡り、それは呪文詠唱が完全に終了しているあかしだった。

 突然、砲身がシリンダーロックめいた回転を始めた。パズルのようにルーンが組み変わる。そして砲身全体がにわかに金色の光を放ち――

 天に向かって発射された!

 爆風が放射状に甲板上をなめる。死闘を演じていたレイナと飯塚秋緒、東海林光は急激に煽られて一瞬身体が浮いた。それぞれが打ち出された主砲を見ている。その他の魔剣士や獣人たちも同様だった。

 打ち出されたのは彗星のように尾を引く光の弾だ。先頭部は楕円に引き延ばした球体で、尾の部分はネジのように螺旋になっている。回転が加わっている証拠だ。
 光の弾丸は、もう肉眼で見えるほどになっている黒い星めがけてまっすぐに飛んだ。そして目標にあやまたず激突し――

 弾だけが光の粒となって四散した。

 その様子を、見下ろすように見ることができる視点があったら、このようなありさまを知覚しただろう。斜め上からと斜め下から、まっすぐにぶつかりあう2つの物体。上から落ちてきた「それ」が、下からの光弾の中心を正確に貫き通す。一瞬、弾丸はまるでビーズのように穴の開いた球体になり、打ち出された勢いを保ったまま、内側から細かい粒のように破裂する。

「報告せよッ!」

 レイナ・アークトゥルスは宙に向かって怒鳴る。宙から魔術師の声がする。
《目標健在、砲弾消失しました》
「何だと……」
《あれが地上に着弾します……いえ、ここに墜落します!》

     *

 イレイザーの大天使ミカエルは、ほとんど空気のない上空にいて、腕組みをしながら地上の様子を見下ろしていた。極星帝国の要塞砲弾が砕け散るさまも彼女は見ていた。

「よき破壊だ」

 ミカエルは、「それ」が地上に落ちていくのを、天体ショーを見物するような気分で見ていた。

「それ」は大気圏にまっすぐつっこんだ。断熱圧縮が起こって先頭部が熱を帯びていたようだったが、赤熱するのではなく青白く発光していた。

「それ」は意志があるようには少しも見えなかった。むしろこれこそが砲弾じみていた。ただまっすぐ飛来して、まっすぐ地球に落ちていく。
 流れ星のようだ。

     *

 地上から見れば、一瞬のことだった。
「それ」は一瞬で大きくなり、眼前に肉薄し――

 アンペレス要塞に直撃した!
 そして貫通した。

 甲板から底部へ、針を通すように要塞を貫き、そのまま「それ」は地上に激突した。
 アンペレス要塞は一瞬の間をおいて、悲鳴に似た金属音を放った。石組みが外側からバラバラと分解しはじめた。
 要塞は、その浮遊する力を失い、炎上しながら沈んだ。威容を誇った逆三角形は、富士の斜面に落ちた。斜面を滑るように横倒しになる。
 砕けた組石と地表の砂がもうもうと舞い上がり、要塞の姿を隠した。

 要塞を貫いて地上に着弾した「それ」は、富士の裾野にクレーターを作ったのだが、上から覆い被さった要塞と土埃で、それは見えない。


 土埃の中で、「それ」はゆっくりと立ちあがった。


 得体の知れない球体にすぎなかったそれは、いま、人のかたちに近い、手と足を持っていた。身体の曲線は美しく、全身はうっすらと赤く発光していた。体格は子供のように小さかった。

 粉塵の中から、「それ」は歩み出てきた。「それ」は何の感情もなく、周囲を見回したりもしなかった。まるでオブジェのようにそこにあるだけだった。

 おもむろに「それ」は、両手を左右に広げて自分の身体で十字を作った。全身が赤く発光した。
 その直後、光る全身から無数のビームが生じた。光の条は天空に飛んだと思いきや、屈曲して樹海全面にくまなくふりそそいだ! 子供が地面に棒で線を引くように、赤っぽい光線が森を薙ぎ、大地は内側から沸騰して次から次へ爆発した!

 一瞬のうちに――
 富士樹海の大部分は火の海と化した。

 深く広い森林には獣人たちがゲリラ戦をしており、極星の魔剣士たちが戦隊を組んで立ちむかっていた。そうしたものたちは、この一瞬でほとんどが消えた。
 そのすさまじい光景、しかし生みだした本人は何の感銘も受けていないようだった。「それ」が再び両手を広げてその身で十字を作り、もういちど光で視界の全てを焼き払おうとしたとき。

「待っていたぞ! イレイザーっ!」

 爆煙の中から各務柊子が躍り出た!全力で間合いを詰めて一気に跳躍した。拳を振り上げ、躍りかかる。青白いオーラを宿した右の拳が「それ」の喉元に正確に激突した。
 ――しかし。
 鉄の柱でも殴ったような感触を覚えて、直後、各務柊子は見えない力にはじき飛ばされた。
 急所を突き下ろされたはずの「それ」は、よろめきもせず、風が吹いたほどですらない。

 何の意志も宿らないふたつの目が、ゆっくりと各務柊子を捉えた。「それ」の右手が緩慢な速度で上がっていき、人差し指が各務柊子を指ししめした。
 指先に赤い光が宿るのを、各務柊子は見た。

「ア……」

 避けることも受けとめることも不可能だと、各務柊子は本能で悟った。
 

     ☆


「今だ――」
 自らを四方に配置した四人の巫女は、今がその時だと察して、示し合わせるでもないのにまったく同時に、祭文を上げ始めた。

《踏足して地の戸に申す 拍手して天の門に申す 天宿地宿諸神諸霊に申す 謹請 青帝在東方 謹請 赤帝在南方 謹請 白帝在西方 謹請 黒帝在北方……》

 巫女たち自身が儀式の人柱だ。人柱をアンテナとして、四方を統べる聖獣の霊が降りてくる。青い竜、赤い鳳凰、白い虎、黒い亀がしかるべき方角に据えられる。四点を結んだ四角形の空間は固定された。


 そのころ。同時に地水火風の四魔女も儀式魔術を始めていた。

《四元素よ四別せよ、水火は左右に、地風は前後に。左回りにめぐれめぐれ。四霊は回転し城壁を作る。人知も神智もせきとめよ、ここは四霊の城塞なり、ここは諸神の牢獄なり》

 自然の力が四種類に分けられ、これも四方に配置される。四点を結んだ四角形が見えない壁となり、内と外を峻別する。

 四角形と四角形が重なり、八角形となった二重結界が現出した。これで結界内にいるものは外には出てこられないはずだった。

     *

「やってしまって下さい」
 広島にいる厳島美晴が指示を下した。おつきの狭野うららが一礼して引き下がる。いま、阿羅耶識につらなる全国の寺社が霊力を結集している。その力を解放せよ、と美晴は命令した。うららはそれを各地に伝達した。

     *

 富士の上空がにわかにかき曇った。雲に遮られた太陽の光は、空に巨大な人影らしきものを映し出した。
 その姿は――背中に炎を背負った半裸の巨人。
 顔は4つ、腕は8本。その手に金剛杵、金剛戟、弓矢、刀、索を持っている。
 厳島美晴と日本の霊能者たちが総力を結集して勧請した神格、それは憤怒の鬼神、降三世明王の姿である。
 阿羅耶識の能力者たちは、自分たちの霊力を一カ所に集め、半ば実体化させ、調伏の憤怒尊の姿を与えたのである。これほど大がかりな降伏法が行なわれたのは、歴史をひもといても数度しかない。

 天空のスクリーンに浮かんだ降三世明王は、炎上する樹海を見下ろし、正面の顔についた三眼をむいた。
 金剛戟を掲げ、それを振り下ろした。

 振り下ろした先には、全身血まみれになって地に伏した各務柊子と――その作業を何の感慨もなく淡々と行なった「それ」がいた。

 半ば透明な、巨大な金剛戟が地面を叩いた瞬間、大地は爆発したようになり、砕けた岩盤が放射状に舞った。
「それ」は無傷で立っていた。
 塔ほどもありそうな三つ叉の戟を、顔色ひとつかえず、紙一重で避けたのだった。

「それ」は初めて上空に目を遣った。そこに大きな力がわだかまっていることを悟ると、全身から激しい衝撃波を放った。
 放たれた力は空で爆発する。
 降三世明王の形に結束していた霊能者たちの霊力は、見えない衝撃を食らって瓦解しはじめた。
 再結集しようとしているが、うまくいかない。やがて雲は晴れ、日光が直接当るようになると、集まっていた力は朝霧のように消えてしまった。


「ええい、やっと追いついた!」

 弓削遙は抜き身の二剣をぶら下げ、早足で火の中から進み出てきた。そこにいる小さな人の形をしたものが、目当ての「それ」であることは一目でわかった。彼女は右手の草薙剣を上段に掲げた。

「神域、侵すべからず。成敗する。話はそれからだ!」
 弓削遙は一気に踏み込み、頭上から草薙剣をふりかぶった。それを必殺の勢いで振り下ろそうとしたとき!

 相手の姿が、ゆらり揺らめくのが見えた。

「え?」

 すさまじい衝撃波が弓削遙を吹き飛ばした。即死しなかったのは反射的に剣を下ろして受けとめたおかげだ。背中から木の幹に叩きつけられ、弓削遙は呼吸不能に陥る。致死性の衝撃弾が立て続けに彼女に降り注ぐ。二振りの剣をかざして体を守るのが精一杯だ。

 ガラスが割れるような硬質な音がして、弓削遙はゾッとした。

 草薙の神剣が真っ二つに折れ、剣先が地面に落ちた。

 二千数百年という歴史の厚みを刃の形に結集したこの剣。それですら傷をつけられない相手と――どう戦えというのだ?


     ☆


 制服姿のまま、人けの少ない住宅街をあてもなく歩いていた藤宮真由美は、名前を呼ばれて振り返った。

 真由美の母、斎木遊名が立っていた。
 血のつながりとして、この人が母だということは知っているが、母らしいことをしてもらったことはない。たまに会うとき、遊名はいつもE.G.O.総帥としての顔だ。

「出撃しなさい」
 斎木遊名は用件だけを何の飾りもなく言った。
「戦いに行って、どうなるのですか?」
「おまえの意志や生命など問題ではない」

 あまりにも冷酷な言葉だというべきであった。だが――

「わかりました」

 真由美は承諾した。遊名の言葉が冷たかったがゆえに、行く気になったのかもしれなかった。真由美の顔には何かを諦めたような表情が浮かんでいた。


     ☆


 高速エレベーターを使い、藤宮真由美は、斎木インダストリービル屋上のヘリポートに立った。
 吹きさらしの広い空間に進み出ると、強い風がなぶいた。そこには、結城望、万城目千里、斎木美奈が並んで待っていた。
「私たちが後方からマインドリンクして、力を送信しつづけます。それと、500名のエスパーが同様にバックアップします」
 結城望の言葉に、真由美は小さくうなずく。斎木美奈が訊ねた。
「戦闘服着たほうがよくない?」
 真由美はいつも通りのセーラー服姿だった。彼女は答えた。
「これ着てないと自分が誰だかわからなくなる」
 万城目千里は沈黙を保っている。

 真由美は特に感慨もなく、屋上を歩いて、ビルの縁にある柵の上に軽々と飛び乗った。振り返りもしないし、手を振りもしない。

 そのまま自分からバランスを崩して、地上に向けて何のためらいもなく飛び降りた。

 もちろん、墜落するつもりなどなかった。しばらく自由落下を楽しんだあと、真由美は念動を発揮して、自分自身を一気に飛ばした。


  弓削遙

弓削遙

 剣の巫女。日本国内に現存する霊剣、神剣のほとんどを実際に振るったことがある。また持ち主を選ぶこれらの名剣も、彼女の手の中には進んで収まると言われる。

 現在、彼女が預かっている剣は「草薙剣」と「七枝刀」の2振り。草薙剣は、壇ノ浦の戦いで海中に没したとされている個体。七枝刀は四世紀に百済から伝わったと日本書紀に記述されているもので、石上神宮に現存するものとは別物。